この記事は「
歪められた環境理論:バーチャルウォーター」「
歪められた環境理論:バーチャルウォーター(回答編)」の続きである。
前提となる詳細はそちらを先にご覧いただきたい。長くて恐縮だが。
では、stachyose氏よりブログ記事にて寄せられた新たな質問等につき、私の認識の範囲で回答させていただく。
実際の記事文面は引用含みで結構長いので、参照リンクにてご確認をお願いしたい。ここでは抜粋に留めるものとする。
参考:「
曲解・捏造オンパレード その1」(「
ある紛争についての考察」より。以下同じ)
「
Tamanegiさんへの質問 その1」
「
Tamanegiさんへの質問 その2」
「
何も予断無く・・・」
なお、引用中の青文字はstachyose氏、緑文字はzombiepart6氏の記述である。
その他の引用は黒文字で表記してある。
まず、エントリー「
曲解・捏造オンパレード その1」への回答。
>
先に言っておくと、Tamanegiさんは「概念」と「学説」を混同して使用している。というか、分けていない。
というご指摘があったので、本題の問答に入る前にこちらを消化しておくこととする。
私が「概念」として認識しているのは『食糧の輸出入を水資源の移動に置換して考える』という部分である。
それをベースとして「水資源不足は食糧移動との置換により解決できる」という論へと到達したのが、トニー・アラン(Tony Allan)教授でありその学説「バーチャルウォーター」ということになる。
これに対して、沖教授が展開しているのは『食糧の輸出入を水資源の移動に置換して考える』というベースは同様でありつつ、「食糧輸入の多いところほど水資源を多量に消費しており、その分を世界に還元するよう考えるべき」という論へと到達したものである。
この2つはベースとなる部分こそ同一であるが、細部及び論の方向性がまったく異なると言っても過言ではないため、エントリー等でも区別として「アランVW説」「沖VW説」という感じの表記をしている。単に「VW」とだけ表記している場合は、おおむね『食糧の輸出入を水資源の移動に置換して考える』思考法(概念)部分を指しているものである。
ただし、対比する事象によっては「アランVW説」「沖VW説」それら学説自体もまた「概念」であり、「それは概念であり学説ではない」「学説であり概念ではない」というような扱いを前提とはしていない。単に「アラン説と沖説の差違認識を明確に区別」するために用いた表記であり、そこに不明瞭な解釈余地を与えてしまったのは私のミスである。stachyose氏及び読者の方々にお詫び申し上げる。
回答編エントリーの冒頭で「概念」「思考法」「学説」の単語をほぼ同義として並べたことで「混同だ」との批判がなされたことについては上記の通り私の検討不足であり、ここに改めて修正稿として(実質は同内容の)認識説明を行なうこととする。といっても大した変更ではない。
もともとのアラン教授によるVW説とは
・例えば中近東の様な利用可能水資源が絶対的に少ない国々で、さほど水を巡る国家間争いが激化しないのは何故か?
→各種食糧を国外から輸入することで、結果的に自国生産よりも国内水資源を節約していると考えることができる
という
説であり、すなわち「食糧輸入を間接的な水資源の輸入と擬することで、水資源を巡る争いを緩和させている要因としての食糧輸入を「仮想上の水」の移動に置き換えられる」という
概念を用いた思考法の学説である。
この思考法は、確かに特定の水不足地帯等での水資源紛争頻度の低さに論拠を与える論理であり、現在のところ否定する余地のない面白い学説であると思う。
太字にした部分が修正となる。
さて、これを踏まえた上で先方からの更なる問題指摘をクリアしていくこととする。
問題1:「学説(主張)」と「概念」を混同している
問題2:「学説(主張)」を捏造、曲解している
問題3:「学説(主張)」の根拠・論拠にならないということを以て、「概念」を否定している
問題4:「概念」が表すところの一般的性質とその意義・利用法を正しく理解していない
1については、前述の説明で消化した。
これにリンクして4の問題に対しては改めてお詫びを申し上げる。「概念」という単語の定義について争うつもりも余地もないので、あくまで元々の論点であるところの「アラン説」「沖説」、その2つの共通項としての『食糧の輸出入を水資源の移動に置換して考える』「VW」というベースという関連に話を戻したい。
では、次に2の問題であるが、「捏造・曲解」と断定されてしまったのでは(結論ありきの論とされてしまい)話が進まない。まずはここを分析していく。
・VWの単位計算を、「投入水量」という定義を使い「現実投入水量」「仮想投入水量」に区分けする
・上記で「仮想>現実」である食糧輸入は、実際の水資源を節約していることになる
(日本を含む多数の食糧輸入国においては、上記の式が成立している=水節約になっている)
・日本は世界最大の食糧輸入国であり、VWへの依存度が高く、この恩恵を世界へ還元すべき
Tamanegiさんの挙げた項目の一つ目は、「概念」の精緻化についてだ。これはOK。
二つ目は、その精緻化されたVWという概念を使った(学)説の一例。個人的には学説というほどのものとは思えない。まぁ、学説の補強というくらいのものでしょう。
そして、三つ目。これははっきりいって捏造である(問題2)。
まず、「日本は世界最大の食糧輸入国」という事実は、還元が云々の話の根拠としては一切使われていない。これはTamanegiさんが後から勝手に付け加えたもの。そして、「VWへの依存度が高く」も実はかなり微妙な表現だ。本来、科学者が「高い」とか「低い」とかの程度を表す言葉を使うときは、どんな基準によるものかを示すことが重要視される。基準が示されずに使用された程度を表す言葉は無意味だから、あったとしても無視されるんだけれどもね。で、沖教授は、Tamanegiさんがリンクを貼ったページにおいて、VWへの依存度が「高い」ということを根拠に何かを主張したりはしていない。他では知らないが、もし「高い」ことを根拠に何かを主張していたら、それら個別に妥当性を検証すればいいだけの話。Tamanegiさんのモットーである「是々非々」でね。
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「日本は世界最大の食糧輸入国」という事実は、還元が云々の話の根拠としては一切使われていない。これはTamanegiさんが後から勝手に付け加えたもの。
付け加えたのは私ではない。
京都新聞2002年9月13日朝刊エコ研究最前線「モノに形を変え膨大な量を輸入」
東京新聞、中日新聞2003年1月19日朝刊『「仮想水」輸入量は世界一』
北海道新聞2003年2月16日卓上四季『日本は「世界一の水の輸入国」だという』
東京新聞、2007年1月5日(金)、「仮想水」輸入大国・日本
上毛新聞、2007年6月6日(水)、環境特集6、水と生きる、 日本は世界一の輸入国
これら紹介記事のタイトルが示す通り、沖説の方向性に対するマスメディアの認識そのものである。私の勝手な後付けや、まして捏造などではあり得ない。
そして現在までのところ、この「認識」を沖教授サイドが否定したという話は耳にしていない。どころか、これら紹介記事タイトルは沖教授のサイトに一覧紹介されている。むしろこれら紹介姿勢を肯定し、あるいは無意識に前提としていると考えるのが適切だろう。
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沖教授は、Tamanegiさんがリンクを貼ったページにおいて、VWへの依存度が「高い」ということを根拠に何かを主張したりはしていない。
生活をvirtual waterの輸入に頼っている日本は、その恩恵を世界へ還元することを考えることも必要でしょう。
ここでは水に関してのみ示していますが、土地や労働力も同様に海外に依存していて、広大な海外の農地が日本社会を支えていることが想像できます。そうした地域の農業生産の持続性や年々の生産高の変動に関心を払い、注意深くモニタリングしていくことが、日本の将来を考える上では極めて重要だと考えられます。
これら記述が「何かを主張」しているように読めるのは、私の読み方が悪いということであろうか。
「〜ことも必要でしょう」「〜していくことが重要だと考えられます」という結語の記述であるからには「主張」であるはずだが、まあここは認識の違いかもしれない。stachyose氏の反応を待ちたい。
やはり、「世界一の食糧輸入国である」という記述はない。「還元することを考えることも必要」を「還元すべし」と言い換えて『日本へ大きく「還元」への努力を迫る』と解釈するのも恣意的だ。
たしかに、「生活をvirtual waterの輸入に頼っている日本は、その恩恵を世界へ還元することを考えることも必要」だけをみれば、不必要な負担を課そうとする意図があるのかもという危機感が発生するかもしれない。ここだけをみればね・・。
さらに読み進めていくとどうだろうか?引用部分からは、沖教授は「恩恵を還元する」は「投資」としての側面もあると考えていることが読み取れるでしょう。どうしてその「負担」を投資的なものとして捉えられるのか、どうして「不必要な負担」ではなく「必要な負担」になり得るのか、その辺の根拠は書かれてはいないが、少なくともVWという概念で表される数値をもとに日本が水不足に対して負う責任を考えようとしているわけではない、ということは理解できる。その「負担」が「不必要」であると考えるのは、Tamanegiさんが勝手にそう思っているだけの話。しかも、その根拠は水資源開発において既にODAを適用しているという事実しかない。
あんまりこういう台詞を使いたくないが、はっきりいえば勉強不足ということか。
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「還元することを考えることも必要」を「還元すべし」と言い換えて『日本へ大きく「還元」への努力を迫る』と解釈するのも恣意的だ。
では、該当個所を果たして「還元すべきとは言えない」「日本に今以上の還元の努力は不要」と解釈できるだろうか? そんな解釈は恣意的どころの話ではないはずだ。
普通は逆の解釈、すなわち「還元の必要あり」「(必要な分に向けて)今よりも努力をするべき」と言っている、と読み取るであろう。
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沖教授は「恩恵を還元する」は「投資」としての側面もあると考えていることが読み取れるでしょう。
側面自体は有償無償問わずあろう。それが無償援助ODAや善意の寄付であったとしても、「その使い先に利便性をもたらす・生活水準の改善により地域の生産力が向上する」などの効能はある。だが、
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どうしてその「負担」を投資的なものとして捉えられるのか、どうして「不必要な負担」ではなく「必要な負担」になり得るのか、その辺の根拠は書かれてはいない
のである。
stachyose氏は「根拠は書かれていない」が、必要性を「理解できる」らしい。だが、その「負担」がどれほど重いものになるのかの試算もなく、マスメディアにおいては「日本=最大の仮想水消費国」という認識が広まっている。「日本が率先して負担せよ、責任を果たせ」というプロパガンダへとリンクしてしまう危険性を果たして全否定できるのか?
また、現状で国や民間により行われている水資源に関する技術支援や開発援助では足りないのか? それらによる現在進行中の「還元」では不足なのか? また、水資源の管理方法に(たとえ適切なアドヴァイスであっても)過大に干渉することで国家間の関係が悪化する懸念はないか?
そういった部分がすっぽり抜け落ちている点も非常に危険であると思える。
それとも、そういった部分を考慮して危険性に警鐘を鳴らすことそのものが「勉強不足」ゆえなのか? 改めて反応を待ちたく思う。
続いては、この論争の大元となったzombiepart6氏の指摘内容について。
元記事「
バーチャルウォーター」の冒頭で、
今「世界一受けたい授業」という番組で、沖某というペテン師が「バーチャルウォーター」というゴミの様な概念を宣伝している。ワシは、今までに世界中で現れたペテンの中でも、この「バーチャルウォーター」というのは最低最悪の部類だと考えている。
と、沖教授(とそのVW説)を「ペテン師、ペテン」と断言したわけであるが、
最初の提唱者(トニー・アレン氏)をバカ呼ばわりしたことについては、Tamanegiさんからの指摘後に訂正が入っている。原典をみればわかるが、トニー・アレン氏の学説において「食糧輸入国というのは食料輸出国の水資源 を(仮想的に)大量輸入しているのと同じだ(=みなせる)」ということが一つの論拠となっている。
学説(主張)が正しいことの要件(必要条件)として論拠(に含まれる理屈)が正しいということが求められる。だから、学説(主張)が正しいと判断したということは、その論拠も正しいと判断したということになる。従って、トニー・アレン氏の学説を支持した者は、「食糧輸入国というのは食料輸出国の水資源 を(仮想的に)大量輸入しているのと同じだ(=みなせる)」という部分にも納得したということになり、それを屁理屈と評価したのならば、すみやかに訂正しなくてはならない。当然、仮想的に輸入している水の量として使われるVWという概念についての悪評も撤回するべき。
もし、学説(主張)が誤りであるとしたらどうだろう?「論拠(に含まれる理屈)が正しい」というのは必要条件であって、十分条件ではないから、この条件が成立したとしても学説(主張)が誤っていることもある。だから、学説(主張)が間違っているからということを理由に、論拠(に含まれる理屈)が屁理屈であるという主張はできない。論拠として使われている理屈を否定するには、それ自体に含まれている欠陥を指摘するしかない。この御仁は、何を根拠に「危地害と言う他は無い」といっていたのだろうか・・?これも撤回しないといけないんじゃない?ねぇ、Tamanegiさん。
端的に書けない自分が情けないが、要するにとトニー・アレン氏の学説に納得した時点で、件の記事「バーチャルウォーター」における主張の大半は崩壊していることを自覚するべきだろう。ついでに多くのウソを含んでいることもね。論にもなっていないのに、私のエントリが反論になるはずがなかろう。嘘の指摘が大半なんだから。
沖説とアラン説の違いについては今までも触れてきたが、そこをがっつり無視すれば「論にもなっていない」という決め付けは可能である。おそらくそういう事だろうと推測した上で話を進める。
>
従って、トニー・アレン氏の学説を支持した者は、「食糧輸入国というのは食料輸出国の水資源 を(仮想的に)大量輸入しているのと同じだ(=みなせる)」という部分にも納得したということになり
何やらさりげなく括弧書きが付いているが、極めて重要なところなので確認しておく。
zombiepart6氏の主張であるところの「ペテン」とは、
・水資源を(実際に)大量輸入しているのと同じだ
というロジックに対してである。
後の追記部分で元々のVWについて『「食料」を「産生するのに必要な水の量」に置き換えて説明したもの』であるとの私の確認に納得していただいているが、つまり「仮想概念」である(実際の水消費・食糧輸出入をみなし同一化できるわけではない)という部分でコンセンサスが取れたゆえに受け容れていただいたものである。
最初から沖説が「水資源を仮想的に大量輸入している」=「実際の水消費を食糧輸入により軽減している」というアラン説的なものであるなら、そもそも某番組で
世界では水不足に苦しんでいる人たちがいる反面、こんなに水を消費しているんです。と、突然その含まれる水という量を透明のバスタブにザブザブ入れて、「実はこんなに消費しているんです」 「え〜〜〜〜!!!」で終わった
(引用:「
The king has donkey ears・王様の耳はロバの耳」)
という危機感の煽り方になるわけもあるまい。
そう、沖説の「日本の輸入を水消費と直結させてことさらに悪玉的に見せる」部分こそが最大の危険である。上のやり方など、文面だけ見てもよく言ってペテンである(まさにその意味で私はzombiepart6氏に同意している)。
もちろん、この認識(「沖説はペテン」)をもってバーチャルウォーターの「仮想概念」までをも否定することにならないのはお判りいただけよう。
>
ある人が学説Aは詐術であり、それは概念Cがエセ科学未満のゴミであるからだという。
追記部分によって、最初の『沖某というペテン師が「バーチャルウォーター」というゴミの様な概念を宣伝している』の部分においてzombiepart6氏が
「バーチャルウォーター」を紹介する文章として、「世界の至る所に水不足であえいでいる地域がある」という話をマクラに「日本は実際には大量の水を外国から輸入している(事になる)」という文脈で語られている例しか目にした事が無かったので、初めからそういう概念だったのだと思っていたんだけど
つまり『自分の認識していた「バーチャルウォーター」は沖説であり、アラン説ではなかった(アラン説の存在・沖説がアラン説の別バージョンであること・を知らなかった)』ことを説明している。
むろん、元々のエントリーやその後の話題展開を見てもその認識が前提となっているのは明白である。
>
概念Cの地位が落ちるきっかけになった学説A、実はそんなもの存在していなかったのだ。
正確には「アランVW説とそのベース仮想概念VW」の地位が落ちるきっかけになった「沖VW説」である。むろん、それはれっきとして存在する。
次はエントリーを変えて、「
Tamanegiさんへの質問 その1」の質問に回答する。
>
移動概念が地球上の水の循環サイクルという自然界の営為を「無視している」ことによって具体的にどのような問題が生じているのか?
トニー・アレン氏の学説では問題とならず、沖氏の主張では問題となるということだよね?私は、沖教授がVWという概念を使用して日本に水不足の責任を押し付けようという主張をしているとは捉えていないのだが、この質問についてはTamanegiさんの捉え方をもとに話を進めていただこう。
ということなので、心おきなく「アラン説と異なる」沖説の危険性を前提としての回答をさせていただく。
『日本があたかも「実際に水を浪費している」かのような誘導をされ、日本責任論の論拠として悪用される危険がある』
という事である。
アラン説はあくまで「仮想」の置換であり、食糧輸入とのリンクを水消費そのものではなく「資産価値」の疑似移動としてプラスに捉えているところが重要である。実際に水を農業利用や商取引等々で奪い合えば大変なリスクの発生になるところ、食糧輸出入における食糧と金銭の「価値移動」を「水の資産価値の移動」に置換することで
『実際に水は移動していないが、水が移動したのと同じ利益を得る』
ことを証明し、それを各地域の水資源問題に活用しようという説である。
それに対して沖説は「VW輸入量」を「水消費量」に上乗せし、「日本国内での総水資源使用量約900億m3/年の3分の2程度の水を、日本は海外に頼っていることがわかりました」という話に持っていってしまうのである。
『実際に水は移動していないのに、水が移動したのと同じ消費となり世界に負担をかけている』
とみなし、食糧輸入国に対して更なる「還元」への問題提起を起こしている。
繰り返すが、極めて危険であると言えるだろう。
>
食糧生産地で水の循環サイクルに還元される分まで重複カウントしていることを問題にするのであれば、トニー・アレン氏の学説も支持できないということ。
アラン説は「実際の水消費」に対するネガティブアプローチはしていないので、重複カウント問題(=実際の消費をカウントする際の課題)はまったく影響しない。お気遣いなきよう。
とりあえず次、「Tamanegiさんへの質問 その2」への回答で一区切りとする。
もう1つご連絡いただいたエントリー「何も予断無く・・・」はコメント欄でのやりとりが多く為されており、その中で私の主張をはなっから否定的に断定する表現も散見される。そのまま回答しても印象論に話がずれてしまうだろうゆえ、収束が確認できた時点で回答編を新たに展開したいと思う。
1「食糧生産による水不足」という状態はどのような基準によって判断されるのか?
2「食糧生産による水不足地域」該当国がアメリカ・中国・インドぐらいしかないという認識によって、VW説がどのようにして否定されるのか?
>
Tamanegiさんはいったいどんな基準によって、「食糧生産による水不足」を判断しているのだろうか?是非、教えていただきたい。
沖教授のサイトに「3. 世界の水需給の現状と将来推計」の項目で
年間一人当たりの潜在的利用可能水資源量(図-9)は、水利用比とほぼ同様の分布を示しましたが、年間一人当たりの取水量分布(図-10)は北アメリカ、特にアメリカ合衆国西部等で非常に大きな値をとり
とあり、
こうした領域では、その地域内で消費する水資源だけではなく、他地域での消費に供する農業製品等の生産のために、大量の水資源を利用していることが推察されます。すなわち、virtual waterのソースとなっている地域が、 (図-10)にはまざまざと示されていると考えられます。
という分析認識を示している。
「他地域での消費に供する農業製品等の生産のために、大量の水資源を利用していることが推察されます」という結論自体はデータそのままであり、否定の余地もなさそうである。
私の「食糧生産による水不足の基準判断」における根拠としては、以上でよいだろうか。
>
Tamanegiさんの判断基準によって諸国が「食糧生産による水不足地域」に該当するかどうかを判別するとして、その結果は沖教授の主張のどの部分に反駁しているのか、私には理解できていない。
例えば沖教授サイトの「1.1 仮想水とは?」における、
より単収が高く水消費原単位が少ない国で生産し、単収が低く同じだけの食料等を生産するのにより多くの水を必要とする国で輸入して消費することは、グローバルに見ると水資源を節約していることになります。
という記述が示すように「輸入」による水資源負担への軽減という側面が(元々のアラン説がまさにそうだが)存在することは沖教授サイドも触れている。
だが、そこからの流れは延々と「いかに日本が仮想水を輸入しているか」の説明に費やされている。それが水資源負担の軽減であるという視点はついぞ再見できない。逆に「日本は還元を考えるべき」という話になり、結果として「グローバルに見ると水資源を節約していることになります」のパラグラフは何事もなかったかのように論旨から消え去ってしまっている。
総論と各論がここまで(一部とはいえ)正反対になってしまっている上に、マスメディアレベルでも「日本の大量消費」という部分ばかりクローズアップされる現状への反駁を「理解できない」というのは私には不思議である。観点の違いなのだろうか。
>
そもそも、沖教授は「水不足」の責任に関して言及しているのだろうか?
世界では水不足に苦しんでいる人たちがいる反面、こんなに水を消費しているんです。と、突然その含まれる水という量を透明のバスタブにザブザブ入れて、「実はこんなに消費しているんです」 「え〜〜〜〜!!!」で終わった
(引用:「
The king has donkey ears・王様の耳はロバの耳」)
再掲(しかも他者ブログからの又聞き)で恐縮だが、これを実演した沖教授が「いや、でも日本は水資源についてそれほど責任は負いません」という立場だろうか? サイトに「責任」という単語がないからどうのという話ではあるまい。
>
どんな研究分野で成果をあげているかくらいは把握してから批判して欲しいものだ。
まさに沖教授がメディアや国家機関も認める「水問題の専門家」であるからこそ、この問題が極めて危険なのである……もう繰り返すのも疲れたが。
「沖説をベースにして日本のODA投資を追加しよう」という動きは実際に始まろうとしている。日本が一方的に「負担」すべきものとして。
それらがすべて有害無益だ等とは言わないが、「要・不要」の検討があいまいなまま「日本は消費に見合った負担の責任を」という方向に進んでいくのが良いことであるはずがない。
もちろん、逆の発想として「日本が食糧輸入を抑える」のも難しい。
ただでさえ日本は食糧を「もっと輸入しろ」とせっつかれている側の国である。
また、各国に対して「農業による水の消費を抑えよう」などと主張したら大変だ。環境問題でも何かといえば「内政干渉」扱いされかねないデリケートな問題であり、おいそれとコントロールできる分野ではない。
そういった難しい問題をスキップして「食糧輸入国に責任を押し付ければ解決」となってしまうのが沖VW説の危険極まりない部分であり、極端に言えば「ペテン」呼ばわりされても仕方あるまい。
前向きプラス志向なアラン教授のVW説が、ベースを同じくしながらもこうまで正反対の理論へと変貌するという恐ろしさが、果たして周知される日が来ればいいのだが。
(その危険を認識・消化した上で展開されるなら問題はないのだ。間違っても『ザブザブ「実はこんなに消費しているんです」「え〜〜〜〜!!!」』などという短絡になってはならない!)

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