日中友好。
日韓友好。
日朝友好。etcetc.……
日本の有力政治家や外務官僚、またそれらに近しい「有識者」らがよく連呼するフレーズである。
「友好」こそすべての問題・懸案を解決する万能薬でもあるかのように、それを推進し、反対する勢力には「友好を拒むなんて、なんという閉鎖的な! 国粋主義! 右翼!」と反射的にのたまう。そんな勢力が中心になり、戦後の日本は1972年の日中平和友好条約を皮切りに特定アジア諸国との関係強化へと「友好」ベースで傾倒していった。
その体たらくの結実が、今の日本を覆う数々の危機である。
ナチスドイツも裸足で逃げ出す民族浄化、あるいは第二次大戦後唯一の独自侵略戦争実施国……中華人民共和国。
国際条約何するものぞ、国家犯罪のデパートにして核兵器の無秩序拡散に一役買った超軍国主義国家……北朝鮮。
子供への教育の基本は「日の丸を踏め・焼け」、反日を国家の基礎としつつ日本に最も依存する嫌日国家……韓国。
先に主張しておくが、中国が侵略・民族浄化に躍起になっているのは日本のせいではない。
北朝鮮が独裁者一族によって荒廃しているのも日本のせいではない。
韓国が反日&日本依存無しでは維持できない惨状なのも……いや、これはやや日本に責任があるか。「甘やかし、嘘に反論せず、無邪気に善意の手を差し伸べ過ぎた」という責任が。
ともあれ、個々のケースにおける評価を延々続けるつもりはないが、ことに戦後日本の対・特定アジア外交はまさに「敵意に友好をもって為す」の構図であった。
時に彼らが、こちらの示す対価に喜びを見せることもあった。だが、それは単に「エサを獲得して喜んだ」だけのことであり、喉元過ぎれば「日本は我々にもっと奉仕して当然」という視点に至る。前と同じ対価では満足しなくなり、ますます関係は悪化する。友好と奉仕が、連鎖的に関係を「最悪へ、最悪へ」と導いているのである。
なぜそうなってしまったのか?
そして、なぜそれを改められないのか?
私は、決して長くはない年数を多少なりと戦後の「日本の特定アジア外交」に関する知識の取得・分析に当ててきた。
その結果として、あるいは国家と国家の関係における視点として。
ひとつの、大きな結論に達した。
“友好”の促進は、“平和”に全く寄与しない。
「何を言う、人類みな兄弟だろ」「みんなで仲良く、がどうして平和に繋がらないんだ?」という疑問は当然あるだろう。私も当然だと思う。
だが、それ以上に、私は次のような確信を「国家も含めた人と人との関係」に見出すに至った。説明しよう。
「友好」の対立軸は「敵対」である。
「敵対」は「平和」から遠ざかる要素である、ゆえに「友好」は「平和」に近付く要素である。
これがまず、まったく間違っているとしたらどうだろう?
読者の皆様にもぜひお聞きしたいが、上記のように漠然と思っている方は決して少なくないのではなかろうか。
では、正しいのはいかなる概念か……それが以下である。
「友好」←→「支配」
「無関心」←→「敵対」
よく「政冷経熱」という言葉が日中関係において叫ばれた。
胡錦涛・中国国家主席がかつて造語したものだが、今でもこれを挙げて「政冷=外交的不和」は望ましくない、経済のように互いによい関係を築こう――と主張する向きが日本でも少なからずある。
だが、経済はある意味残酷なまでに「利害関係の一致」なくして成立し得ない。互いに対等、相互の利益にならなければそれは「搾取」だったり「金をドブに捨てる無駄遣い」だったりする。どちらも「経熱」には程遠い。
そこに利益を少しでも増やすための「駆け引き」はあれど、「対立軸」は存在しない。仲が良いから経済関係が高まるわけでも、敵対しているから利益が減るわけでもない。(経済関係の良化で仲が良くなったり、利益の減少によって仲が悪くなることはある)
さて、前述の2つの「対立軸」に戻ろう。
「友好−支配」の対立軸、これは一見わかりにくいが事実を見るとよくわかる。
“友好”すなわち仲良くする、というのは、互いが対等であれば単なる友情関係である。だが、どちらかがある分野で著しく上あるいは下にいたらどうか? 必ずそこには「助けよう」「助けてもらおう」という心理が生まれる。
無論、プライドや何やかやがあるから簡単にそうはならない。だが、一度その関係を受け入れてしまえば……そこには「依存関係」が生じる。それが政治分野にまで侵食すれば、「保護国化」「国家併合」「民族同化」という昔懐かしいフレーズが目前である。上下どちらの意志によるにしても、だ。
過ぎた友好は「懐柔・媚び」でしかない。見返りを求めない友好は「自己満足」でしかない。どちらも、相手の誇りを奪うという「支配」に直結する行為になってしまうのである。
「友好」←[関係の上下差]→「支配」
“友好”という概念は、関係を強めよう弱めようという度合いに関わらず「互いの関係の上下格差」によってその色合いが変化する。差が少ないほど良好な関係になり、大きいほど悪化する。(もちろん、「実際の上下差」よりも「心理的・イメージ上の上下差」が重要なのは言うまでもない)
次に「無関心−敵対」の対立軸、これは幾分わかりやすいのではなかろうか。
「好きの反対は嫌い、ではなく無関心」とよく言う。もちろん「嫌い」もまた反語は「無関心」となろう。
そして、無関心ならば「友好しよう・支配しよう」とも思うはずがない。相手を意識していないならば、そもそも争いも起きないのである――すなわち、「平和」である。
そう――“平和”を生む最大の要素とは、「無関心」なのである。
もちろん、人間や国家はそれぞれ存在するだけで他者に関心を持ち、または持たれる。否応なく「無関心」でいられない事もあるだろう。
だが、そこで「関心を持とう、持とう、持たねば」とあがくのは間違いだ。最低限の関係維持とそれに必要な秩序の取り決めを交わし、あとはなるべく控え目な関心の持ち合いに留めるのが最良なのだ。これこそ「平和」。関心を弱めれば他者との比較も嫌悪もない。よって「差別」も、「嫉妬」もない。どうしても生まれる諍いは法の下で公正に(公平に、ではない!)裁けばよい。
「無関心」←[関係の強弱差]→「敵対」
敵対関係を解消したいのなら、何をしたらよいのか。これでわかるだろう。
仲良くしようとしては駄目なのだ。「関係を遠ざける」、これに如かず。
関係を強めるということは、必ず「敵対」を強める事になる。それを防ぐには互いが「対等」である必要がある。実際上も、イメージ上も。
だが、現実に生じている上下関係のギャップは一朝一夕に埋まるものではない。文化、歴史、資質、才能、豊かさ……例えば、我々日本人が「明日から北朝鮮の民衆と同レベルの生活・文化になってください!」と言われて唯々諾々と従い得るだろうか? 無理なのは明白である。逆もまた然り(物理的にも文化的にも)。
「友好」←[関係の上下差]→「支配」
「無関心」←[関係の強弱差]→「敵対」
この対立図を、実際の外交関係に比喩した人間関係で示す。
日本くん:ねぇ、仲良くしようよ〜
中国くん:やだよ、お前昔おれをいぢめたから。勝手にモノも盗んでいったし。
日本くん:だってヨーロッパ組のみんなやってたし、中国くんもいいって言ってたし……
中国くん:黙るアル! とにかくやだ。
日本くん:そんな事言わないでよ、これあげるから。あれもやるしこれもやってあげるし〜
中国くん:む、そ……そこまで言うなら考えてやってもいいよ。その代わり台湾くんとは絶交しろよな
日本くん:え、それはちょっと……わかったよ、じゃあなるべく会うのやめるから
日本くん:ねぇ、仲良くしてよ〜
韓国くん:やだね、お前昔おれを奴隷みたいにこき使ったから。うちの本とか家とか燃やしたし
日本くん:あれは居候したいっていうから三食昼寝おこづかい付きにしたのに……
本も家もぼくが買ったやつだし、燃やしてないし……
韓国くん:黙るニダ! とにかく謝れ。賠償しる。
日本くん:そんな事言わないでよ、これあげるから。あれもやるしこれもやってあげるし〜
韓国くん:む、そ……そこまで言うなら考えてやってもいいよ。その代わり向こう隣の別荘はおれのものね
日本くん:え、それはちょっと……それにもう使われてるような……
韓国くん:あと、お前の家で奴隷にして閉じ込めてる親戚たちも解放して。あ、帰させなくていいから
日本くん:うーん、悪い事したから捕まえてるだけなのに……わかったよ、じゃあお咎めなしにするね
極端に言えば、当時の外交はこんな感じである。友好を望みながら、それが対価要求と土下座姿勢のすれ違いによる「支配と被虐の構図」となっている点で、まったく共通である。
今も、「お前大嫌い!」と公言してはばからない相手に「仲良くしてよ〜、これあげるから、あれあげるから、(嘘でも)謝るから〜」とすり寄っているに過ぎない。
考えてもみたらいい。大嫌いで近寄りたくもない相手が、毎日「仲良くしようよ〜」とおもちゃやお金をダシにしてすり寄って来たら。正直ウザいし、男女ならほとんどストーカーである。
思えば、かつて朝鮮半島を「保護」しようとした時も、満州を「独立」させた時も日本はそうだった。友好反対派を押し切り、よかれと思ってやった事が「支配」による恨みを買う。莫大な労力を投資して、成果ばかりを根こそぎ持って行かれる。一部のピンハネ勢力が間に入ってせこせこ儲ける。不毛の輪廻――
歴史は、繰り返す。
とにかく、日本外交の最大の問題は「関係の改善=友好」だと信じ込んでいるゆえである。
幕末の鎖国解除でもそうだったが、必要なのは「悪い関係の改善=関心レベルを下げ、ドライな約束関係のみで距離を保つこと」である。そうして互いの関係の上下ギャップが埋まったら、改めて関係を深めれば、ようやく本来の「友好」へと進んでいくのだ。
まあ、この理論もまだようやく形になり始めたばかりである。
まだまだ他人様に偉そうに教訓垂れるレベルには達していない……しかし、日本外交が現在進行形で犯している過ちの一端を示し、改善策を示すものとしては最低限の叩き台になるのではなかろうか。
ぜひとも読者の皆様のご意見を求む。

0