この記事は前記事「
歪められた環境理論:バーチャルウォーター」の続きである。
前提となる詳細はそちらを先にご覧いただきたい。
参考:「
間抜けな自然科学批判 その1」(「ある紛争についての考察」より。以下同じ)
「
間抜けな自然科学批判 その2」
「
間抜けな自然科学批判 その3」
「
間抜けな自然科学批判 その4」
「
農業用水」
「
間抜けな自然科学批判 その5」
(※閲覧者の方々へ:
一部記述に資料との齟齬や本題と無関係で誤解を招くものがあり、注意書きとともに該当部へ横線を入れて訂正しております。推敲不足をお詫び申し上げるとともに、修正につきご了承ください)
では、stachyose氏より寄せられた批判・主張・質問等につき、私の認識の範囲で回答させていただく。
実際の記事文面は引用含みで結構長いので、参照リンクにてご確認をお願いしたい。ここでは抜粋に留めるものとする。
なお、引用中の青文字はstachyose氏、緑文字はzombiepart6氏、黒文字は私・タマネギ愛国者の記述である。
Tony Allenがこの概念を提出するに至った経緯までは調べていないようだ。
それでバカとまで言い切っちゃうんだから、いやはや凄い。
zombiepart6氏がトニー・アラン教授のもともとのVW説をも「沖VW説=「世界一受けたい授業」で紹介された説」と同様のものだと誤解していたのは確かである。私も2008/6/20(金) 午後 1:49時点でそれを指摘し、ここに関しては誤解を確認し納得していただいた。後で改めて記事の一部追記を要請してみるつもりである。
もともと批判していたのは「「世界一受けたい授業」で紹介された沖教授のVW説」であるので、多少枝葉の話ではあるが。
では次。
反日エコ屋なるもの達が日本に世界の水不足の責任をおっかぶせようとしているという情報のソースを明らかにして欲しい。
「反日」という単語については結果論的な要素もあるのでここでは重視しない。
何も予断無く、以下の文面をご覧いただきたい。
「日本の輸入食料、海外産地は水427億トンで生産」という記事の紹介
(「
国際協力・NGO情報ブログ」より)
>日本への食糧輸入に伴って生じる輸出国の水使用量が、1年間の合計で約42・7立方キロ・メートル(427億トン)に及ぶことが、東京大生産技術研究所の沖大幹教授らの研究グループの推計でわかったという記事
「日本への食糧輸入
に伴って生じる輸出国の水使用量」!!
地味だが、何とも凄まじい言い換えである。まるで「日本が無理矢理水を使用させている」かのような表現。
「日本の食糧輸入量から換算した輸出国の水使用相当量」でしかないはずの数値を、こうしてメディアや環境保護団体さえもが日本を悪者にすべく徐々に一人歩きさせていく、その端緒として興味深いサンプルではなかろうか。
ただ、「沖VW説そのものが反日のために作られた学説」とまでは言えない。そこまで言ったら少々やり過ぎではあるだろう。
あくまで「元のVW説と一貫していない」「誤解・誤謬を生む危険性が高い」ことを強く指摘すべきだとは思う。
>循環しているモノの、一つのポイントを通過する量を累積して・・・そんな数字に、一体何の意味がある?
「一つのポイントを通過する量」を考えることの意義を解っていないということ。
地球の水資源評価とその変化の将来予測において、「一つのポイントを通過する量」と「循環」とにどんな関係があるかについてもおそらく知らないのだろう。
その「通過」した量の
90%以上80%ほど
(この数値は日本での値なので諸外国のケースではもう少し低いだろうか)は、自然界の循環サイクルに基づいて再び同じように農業国等の生産に「使用」される。それらすべてを追跡し、重複カウントを避けた「一つのポイントを通過する量」にならば意味はあるのだろう。
しかし、実際には「カウントしたうちどれだけの水が別の要素に重複カウントされているか」を計る術は無い。もちろん、その段階では水資源の「通過と循環の関係」を正確に理解することはできず、あたかも「VWを得ている側だけが一方的にVWを消費している」かのような誤解を与える結果にさえなり得る。
それゆえに「一体何の意味がある?」という評価もあり得よう。
(※2009/2/14:取消線部分が資料値と異なっており、また値の示す範囲に疑義がある旨注意をいただいたため修正し、下線部分を追記)
>要するに、人が吐き出した二酸化炭素で〜
「一つのポイントを通過する量」として「呼吸」を引き合いにだすのはいいが、上で述べたのと同様に「呼吸」という概念が植物による酸素放出と関係したファクターを含むわけがない。
ここは正直理解できなかった。
生物の呼吸(動物と植物それぞれ)において「「呼吸」という概念が植物による酸素放出と関係したファクターを含む」すなわち循環の概念を持つ、のは学校でも学ぶ当然の前提なはずなのだが……?
よって反論意図要確認、ということでスキップ。
人間の呼吸が一方的な「酸素消費」とならないのは、植物が酸素を消費しているからというよりは、大気中の酸素量が莫大であるからといった方が正確である。
「植物が酸素を」ではなく「植物が二酸化炭素を」だと思うので脳内修正。
……それにしても、である。
人間活動による二酸化炭素の放出は現在の大気二酸化炭素濃度(約370ppm)を年間数ppm程度上昇させているといわれている。それに伴って消費されている酸素が同程度だとして、大気の酸素濃度にどのくらい影響があるだろうか?大まかにみると、空気の20%が酸素だから換算すると20,000ppmだから、その内数ppm減ってもほとんど影響がない。
では、植物による二酸化炭素吸収が無くとも地球上の酸素は2000年以上安泰になるのだろうか。「大気中の酸素量が莫大であるから」人間の呼吸活動は消費とみなされない、のだろうか?
……などと意地悪は言わない。
ただ、粛々と「現在の大気二酸化炭素濃度(約370ppm)を年間数ppm程度上昇」に植物の吸収分が含まれてるのを忘れていませんかな、と指摘するのみである。
二酸化炭素の増加により地球温暖化が問題になっているのも、当然に「地球上に豊富な植物があってなお起きている」現象なのである。言うまでもない事だが。
オゾンホールも年々拡大しているし。余談。
(※2009/2/14:取消線部分が議題の事実関係と無関係である旨の注意をいただき削除)
では、「バーチャルウォーター」で表されるローカルな水投入量は、地球の水循環にどれくらい影響を与えているだろうか?
このあたりの長い解説はつまるところ、そもそもの「循環を無視して一定ポイント通過量だけ見てどうする」という批判に対して、「循環を観測するのに一定ポイント通過量を調べるのは重要だ」という反論という構図で、ぶっちゃけ反論になっていない。
よって「実際の水資源影響を語るのに循環を無視してはいけない。当然ですよね」という確認に留めて、ここもスキップ。
取水量のうち、農業用水として使用される割合は約70%といわれており、食糧生産に必要な水の量を水消費原単位を元に算出することは、将来の水管理計画を策定する上で必須の作業といえる。
枝葉部分であるが、むろんそれに異論は無い。
ただ、「実際の水資源管理」にVWによる「食糧輸入=水の消費」という誤った概念を持ち込むことが、事象を正確に把握できないばかりか有害な理論へと飛躍していく危険をもたらす、という事が重要であるという事である。
そして、もともとVWとは「水資源の別概念化による、循環サイクル上の特定ポイントにおける争奪緩和」という概念である。必然的に、「VWの恩恵を多く得る=必須食糧量を輸入する」ほど「水資源争奪を緩和・代替」していることになる。日本は沖VW説においてはむしろ「本来の水資源使用量からすれば現実の水を節約できている」ことになっているのだから。
一つのポイント(プロセス)を通過する量の累算は
1.グローバルな水循環への影響を試算するために重要
2.流域内の取水量管理のために重要
stachyose氏も自ら述べているように、「通過量」が意味を持つのは「エリア内の水資源管理」においてである。
食糧輸入によってエリアをまたいだ仮想的な使用水量比較において「仮想>現実」である場合、「実際の通過量」の多寡に関わらず「節約できている」という事実を示している──というのは、沖教授の論にもある通りである。
よく知られた事例としては、運河の建設や綿花栽培のための灌漑によってアムダリア川とシルダリア川からアラル海のへの水流入量が激減し、その面積が激減したことが挙げられる。また、アメリカ合衆国のコロラド川にできたフーバーダムも周辺の環境を著しく変えた事例としてよく話題に上る。
物理的な流量・流域の変化による「物理的水不足」と、VW説から派生した「食糧輸入国の水資源消費」にいったい何の関係があるのだろう……
「zombiepart6さんの主張を崩」すために、わざわざイメージの悪いデータを持ってきたのだ──とはまさか思いたくないが、ともあれ問題提起の意図そのものが不明なのでここも確認待ち、スキップ。
>世界の食糧事情や水問題の実情からも自然科学な根本常識からも経済的観点からも完全に逸脱した、非常に奇矯なイデオロギーですから
などといって、水消費原単位から導かれる仮想水という概念を批判するなど、世界の水問題に疎いからだといわざるを得ないのだ。
なんと、結論が出てしまった。
ここまでの流れで、単語的にきつい表現への指弾以外に有効な反論は、「アラン教授のもともとのVW説」に関する無知への指摘くらいである。これは異論の余地がないものであり、修正を要するだろう……だが、他の論点においては反論としていかにも弱かったり体を為していなかったり、少々困った状況である。
自然科学的に虚妄であるとする理由の一つとして、「現実の水の移動の様態と剥離」していることを挙げているが、現実の水移動の様態を表すための数字ではないのだから、当たり前だ。
「現実の水移動の様態を表すための数字ではない」ものを使用して「水移動の様態を判断」しているから、変な話になるぞと批判しているのである。それこそ「当たり前」である。
人間の「呼吸」による酸素消費量から地球全体の酸素収支を考えることができないからといって、「呼吸」という概念が自然科学的に虚妄な概念だとはいえないということと同じだ。
「人間の「呼吸」による酸素消費量から地球全体の酸素収支を考えることができない」わけがないではないか。
全体から人間の消費分を引いた増減を求めることで「地球全体の酸素収支」を客観的に見ることができる。二酸化炭素排出量制限などもこの考え方(環境的に許される限度から排出上限を逆算)に基づいて計算されている。
zombiepart6氏の提示ケースを否定しようとするあまり、論理狭窄を起こしている可能性もあるが……単なる勘違いであることを願う。
最後に、リンクをあえて記していない別所にてstachyose氏に質問された内容についての回答を記して、ひとまず区切りとする。(性質上参照リンクを置けないが、ご容赦いただきたい)
確認事項も少なからずあるので、追加でやりとりをする可能性は高いだろう。その際に不足部分については対応しようと思う。
>そもそも「水問題」というのは「生活や産業に使用できる水の不足」であって、現時点で行われている農業で使用されている水の量の多寡というのは、問題点じゃなかろう。
これは現実と正反対のことをいっています。
これは「灌漑で使用される地下水消費による諸問題」(特にアメリカ内陸部などで深刻)を指して「正反対=農業使用水量の多寡は水問題の大きな構成要素だ」と指摘しているのだろう。
ただ残念ながら、それは単に「地下水(帯水層の水資源)の過剰消費・枯渇」という論点であり、「農業で使用されている水の量」全体の事と直接の因果関係は無い。「現実と正反対」というのはあくまで一面的な切り口の(地下水に限った)指摘である。無論、「水問題」という課題が示すものは地下水の問題に限らない。
ついでに言えば、「農業使用水量の多寡は「水問題」の大きな焦点だ」という主張は「沖VW説の結論は誤った認識を流布する危険が高く、有害だ」という批判への反論ではない。二重の意味で「枝葉の指摘」なのだ。
参考:
http://www.news.janjan.jp/world/0610/0610182980/1.php
(水不足の重大な要因として「中央アジアや北南米における地下水の無理な利用と消費」に着目したアメリカの記事)
>「作物の購入」は水の循環サイクルに対して、作物内に含有されている水の分しか影響を「及ぼせない」。
これも大嘘です。
どこが「大嘘」なのかこの文面のみでは不明だが、「水循環サイクルに対して」「作物購入という行為」の「実際の水における影響」を見る場合は上記の通りであろう。
VWは「実際の水資源の循環・移動とは異なる」概念である、というところにミソがあるのだから。
>「食料輸入国は輸出国の水を輸入しているに等しい」→「輸入世界一の日本は最大の水搾取国家だ」
恣意的解釈のよい例です。
沖VW説が「食糧大量輸入国は輸出国の水を搾取しているわけではない」というものであれば、恣意的も何もそもそも何も危惧はしない。「日本はVWによる恩恵を他に還元すべき」という説である(沖教授HPより)からこそ、その危険性を危惧するのである。
輸出国からの訴えがあるかどうかだけがTamanegiさんの根拠なのかね?
「だけ」も何も、前提として極めて大きいファクターである。
仮に「沖VW説を根拠に食糧輸入量を半減させます」と日本が言い出したら(現状では無理だが)、輸出国の経済は大変な事になるだろう。逆に国際レベルで「食糧貿易自由化の潮流に逆行している、速やかに撤回せよ」と日本が責められる可能性も高い。沖VW説のもたらす論理的陥穽である。
日本が水不足に対する対策としてすべき様々な「貢献」は、「食糧輸出国であるか否か」とは基本的に無関係である。日本の技術力を駆使したケアなり何なりを「表層水資源が少なく、地下水資源が危機に瀕している生活地域」へ行なう事こそ、水不足対策の重大なポイントなのだ。
(食糧輸出国かつ上記危機的状況、という地域「も、ある」事はあるだろう。しかしこの2つはイコールでは、ない)
オーストラリアの灌漑が帯水層からどれだけ取水しているか、知っているのでしょうか?ブラジルだって取水量増加のアマゾン川への影響くらいはアセスメントされているはずですよ。
先にも述べたが、それは単に「地下水(帯水層の水資源)の過剰消費・枯渇」や、物理的な流量・流域の変化による「物理的水不足」という問題である。食糧の輸入量を考え直したり輸出国にODAを提供したりすればどうにかなる問題、というわけではない。
そんで、Tamanegiさん自身は「使用した水」と「消費した水」の算出の仕方をしっているんですか?
算出の仕方は知らない。
具体的値を知る必要はなく、ただその2つを「区別」できていれば問題の理解には足る。循環に「乗っている」水と「乗れなくなる」水とを「区別」できていれば。
「算出の仕方を知らないのなら水問題を語るな」という事であれば、専門の学者やその論文を読んだ人間以外には水問題を議論する資格が無いという事になる。そういう意図ではないと思いたいところであるが。
沖VW説って何ですか?
アラン教授のもともとのVW説に、沖教授ならではの概念(「現実投入水量」「仮想投入水量」の区分け)を追加して、「水資源の節約量」を数値化できるようにした学説である。
この基準に基づいて食糧輸入を判定すると、日本ほか多くのケースで「輸入国でそのまま食糧を作るよりも水資源を節約できている」という分析結果となる。アランVW説にもかなう結論である。
……ところが、沖VW説はなぜか上を受けず「日本はVWによる恩恵を世界に還元すべき」という方向に迷走する。謎である。
せめて、地下水のような「短期的不可逆性水資源」といい得る「短期的に循環サイクルに乗れず表層水に加わってしまう」水資源に限定して調査し、化石燃料などのような「地下水枯渇時計」や「地下水減少カウンター」の類を作って、これらに対する警鐘や意識改革、あるいは日本の水技術の積極活用推進などを提言する──という感じの研究であれば大いに賛同できたのだが。
「食糧問題」、しかもあえて「食糧輸入問題」に無理矢理リンクさせることで、結果的に「悪者探し」の学説になってしまっているのが実に不毛である。日本に対して「good for your health」との言葉をくれたアラン教授は、このVW説の変遷をどう思っているだろう?
最後に……
食料を輸入することによって、国内での水資源の使用を抑えることができるということを、仮想的とはいっても「輸入」と表現してしまうと、誤解を生じてしまうという危惧はある。
これこそ私が一貫して述べている「沖VW説の問題点」である。
そして、その中に「日本に責任を負わせる/感じさせるためのロジックとして使われる危険性」が大きく含まれ、実際に影響しつつある。とても大雑把に言えば「反日プロパガンダ」だ。
stachyose氏が「VW説によって問題意識を持った人達」という形で引いたブログ記事のほとんどが「日本が責任をとらねばならない」的な問題意識に囚われてしまっているのが、この危険性が杞憂でない何よりの証拠である。
というわけで、「
ただ、反日プロパガンダに利用されるかと言えば、それはないでしょう。少なくとも、今はない。」というstachyose氏の認識には同意できないものである。少なくとも、今、存在し得ない罪を認識し、あらざる贖罪意識を植え付けられている人々がいるのだから。
「
ひとりあるきする バーチャル ウオーター」
(「
king has donkey ears・王様の耳はロバの耳」より)
(※バーチャルウォーター紹介番組に懐疑的な印象を持った方のブログ記事)
偶然見つけたものだが……表現の違いこそあれ、zombiepart6氏にかなり近い感想を抱いた人もいるようだ。
危機意識を煽るのが必ずしも悪い事ではないが、それが「日本にありもしない罪を着せ、贖罪意識を植え付ける」ものであってはならない。健全な環境対策のためにも、日本を攻撃するのが使命であるかのような輩の便乗から身を守るためにも。

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