昨年8月の記事
「全体主義vs自由主義、そしてインターネット」において触れた、皇室関連史料「冨田メモ」。
そして先月26日に、朝日新聞が一面記事として「発見」と報道した「卜部(うらべ)日記」。
どちらにも共通しているのは、
・元宮内庁高官の記した個人的記録物であること
・現物は決して表に出て来ない(カメラ越しでさえ断片的・限定的)
・本当に本物かどうか等の検証は拒絶され、過去史料との矛盾も無視
・昭和天皇のご発言(とされる部分)を現政権への圧力に利用している
という事象である。
冨田メモは、およそ8ヶ月のダンマリ期間を経て、先月30日……ようやく先日、日経新聞が
「報告」を発表した。
しかし、「発見」報道当初にインターネットで行なわれた詳細な検証・調査とは比較にもならないお粗末な内容で、明らかに朝日の「卜部(うらべ)日記」に相乗りする形でお茶を濁したというところか。とても昨年「新聞協会賞」を獲得したスクープ記事の末路とは思えない、寒々しい展開である。
以下は、「最終報告」とやらからの抜粋である。
素人の私ですらツッコミ所満載で、これがマスメディアかと呆れ果ててものも言えない。
「これまで比較的多く日記などが公表されてきた侍従とは立場が異なる宮内庁トップの数少ない記録で、昭和史研究の貴重な史料だ」
→さりげなく自家撞着。
今後、冨田メモと既存史料との矛盾を突かれた時に「こっちの方が信憑性が高い」と強弁するための仕込みであろうか。姑息である。
「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」
→
靖国行きをお止めになった時期と戦犯合祀を結び付ける見解からして事実関係と合致していないわけだが、そんな初歩的なことさえスルーなのだろうか。
(最後の靖国親拝が1975年11月、戦犯合祀は1978年)
過去の昭和天皇御自らのご発言、戦前戦後共に「不快感」とやらの対象が極少数名に限られていたことも現在では周知の事実である。また、メモの論点・表現が当時の侍従長・徳川義寛氏のTV等での私的発言とほぼ一致することも見逃せない事実のはずである。
すでにインターネットでも「誰の」「何への」不快感であったかが詳細に検証されており、今さら半年遅れでその程度の迂闊な結論か?とつくづく呆れ果てずにおれない。
「「明治天皇のお決(め)になって(「た」の意か)お気持を逸脱するのは困る」などと昭和天皇の靖国への思いを記した新たな走り書きが見つかった」
→昭和天皇が祖父であるところの明治帝を「明治天皇」とお呼びになっていたのだろうか。散見される史料ではどれも「明治大帝」「故大帝」という呼び名になっているが。
また例によって徳川侍従長あたりの発言なのではなかろうか。
というかさっさと全文を出すがいい。できるものならば。
「天皇は「松平(永芳)宮司になって 参拝をやめた」と話し」
→
だから1978年に就任した松平宮司が原因で1976年に親拝をやめるなどという芸当が可能なのか、という話である。
これくらいの前後関係も調べずに何を「調査」しているのだろう?
結論ありき、とはまさにこういう姿勢を言うのではなかろうか。
※当段落はコメントでの指摘により、私・タマネギ愛国者の事実誤認であることが判明した。(御親拝は毎年ではなくしかも不定期で、最短2年〜最長7年の合間があった)
当時、宮内庁から松岡洋右外相・白鳥敏夫外交官の両氏(対独同盟の熱心な推進者だった)の合祀に異例の抗議があったという事実も踏まえ、「両名の合祀に配慮しなかった松平宮司への批判」そのものを否定する材料は無いと判断でき、この部分についての反論は撤回するものとする。
(メモの主体が誰であるか、とは無関係に判断可能であるため)
「委員会は「昭和天皇が靖国神社の合祀のあり方について、明治天皇の創建の趣旨とは異なっているとの疑問を抱いていたのではないか」と解釈」
→まずはそれら発言が昭和帝のものかどうかの精査が必要である。
早急に全ての日記・メモを欠損・加工なしで公表せよ。
……正直、こんな「報告」が許されるのなら歴史学などというものは「何でもあり」ということなのだろうか。近代歴史学者の方々は、このようなやり方に問題意識を持たないのだろうか。
ぜひとも現役学者諸氏のご意見をうかがいたいものだが……。
御厨貴(東大教授)
秦郁彦(現代史家)
保阪正康(作家)
熊田淳美(元国立国会図書館副館長)
安岡崇志(日本経済新聞特別編集委員)
「最終報告」に至るまでの調査メンバーである。
ようく覚えておくこととする。ダンマリは断じて許さない。
ちなみに、冨田メモでの日経の「失敗」を反省してか、朝日は「卜部(うらべ)日記」についてほとんど現物を露出しない戦術に徹している。冨田メモと違ってTVカメラに写された現物すら皆無ではなかろうか。もちろんワイドショー等で詳細に取り上げられることすらもない。
(
「ぼやきくっくり」様の
当該話題についてのエントリーで知ったが、当日の報道ステーション(TV朝日)による報道では「日記の他の場所はモザイクがかかって隠されていた」そうである。あぁ姑息)
冨田メモの時はあれだけ嬉々として露出させていたというのに……余程インターネットでの検証が堪えたようではある。
卜部(うらべ)日記については、朝日から別途書籍にまとめて出版されるそうだ。
新聞やウェブサイトでは絶対にボロは出さない、知りたければ金を出せ……これが「ジャーナリスト宣言」とやらの末路、哀れなるマスゴミの姿、本音である。
今さらだが、
朝日新聞は腐り切っているという証左であろう。
念のために申し添えておくが、別にこれら史料がニセモノ・すべて捏造である!とまで言い切っているわけでは無い。
ただ、「複数映像でメモの貼り付け位置が違う」だの「インクが経年劣化してない」だの「未発表の部分も合わせると別人の発言とわかる」だの、そんな初歩的ツッコミにさえ答えられないものを「画期的史料」と無条件に認めるような節穴的感性は、残念ながら私は持ち合わせていない。
朝日の「発見」にしても、入手時期と発表との間に(冨田メモ同様)半年近くブランクを置いており、なぜ冨田メモの後追いで一次発表し論拠の補強に使用しなかったのか?という素朴な疑問は湧く。
まして、現物の保全状況が担保されるという保証さえないのである。スクープのためならサンゴに自ら傷をつけて事件をでっち上げるような新聞社なのだから!
とりあえず、言いたいことはひとつだけである。
「現物の全文を早く持って来い、話はそれからだ」
全文を出せば、とりあえず先帝陛下の政治利用は我慢しておこう。
余計な加工をせず、さっさと史料を公表せよ。それに尽きる。
(→同日追記)
昨年7月21日の、麻生外務大臣の記者会見の様子。
今でもマスゴミの腐った姿勢への批判として、そのまま通じてしまうあたりが何ともはや。
朝日記者:えっと、あの、朝日新聞なんですけど、
昨日、昭和天皇の靖国神社参拝に関するメモの存在が明らかになりましたが、
特にA級戦犯の合祀に関しての言及がその中でなされていますが、
改めて大臣の今回のメモの内容についての受けとめをお聞かせください。
麻生:富田っていう人は……宮内庁長官?
その前が……なんだったっけな、内調の室長かな、という人が、
もう亡くなられて2、3年経ちますわね、あちら、うん
それと、故人のメモに関して、
そのメモについての感想というものを述べる立場にありません。
朝日記者:その中で、特に合祀に関して、それが参拝に行かなくなった
理由であるという部分がありまして、大臣は以前天皇参拝が実現できない理由として、
まず公私の別という話をされていたと思うのですが、今もその考え方に変わりはないですか。
麻生:はい、私は基本的にそう思ってます。
したがって、その富田という亡くなられた方のメモが、今、なんで、日本経済新聞に出て、
朝日に出なかったの方が興味があるんですけど、私は
率直なことを言うと
ここまで言うと嫌味なんだけどねぇ
わかってて言ってますけど
あのー、なんでかなぁと思ったりはしますけど、
その事に関して個人的な発言をすることはありません。
JT記者:ジャパンタイムスですけど、それはメモの信頼性がわからないということですか。
麻生:さあ、どういう風に取られても結構ですけど、
天皇陛下とか陛下の話を政治的な問題に巻き込みたいという意図が感じられます……
ことに関してお答えすることはありません。
(引用/参考資料)
「おやじの独り言」靖国メモに関する麻生外務大臣の見解
「外務省サイト」外務大臣会見記録(平成18年7月)
(→5/7さらに一部訂正・加筆。ブル様よりの指摘受け)

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