先日、「南京大虐殺に関する証言」のひとつとして重要な位置付けのなされている「栗原利一氏の記録・証言」について、当人のご子息である「核心」氏が当ブログにて多数のコメントを寄せて来られた。
内容的にはコメントというより、他の事件検証系サイト等へのマルチポストなのだが、中には少なからぬ事実誤認や自己矛盾が含まれており、肝心の「栗原証言」さえもがねじ曲げられていることを危惧して、ここで一つのまとめを行なっておこうという趣旨である。
論点は簡潔に2点。
「栗原証言はどこまでが正確・実証的なのか?」
「栗原証言を「捏造」しているのは誰なのか?」
まず、栗原証言とそれを支える利一氏の各種記録について。
「栗原利一資料集」
核心氏の管理するサイトであり、利一氏の残されたスケッチ帳やいくらかの記録物が画像で保管されている。今でも諸比較において重要な参考資料である。
まず、核心氏が異様なまでに執着するスケッチ27・28(サイトのページ番号より)について、核心氏はこれを「動かぬ虐殺の証拠」としている。
しかし、彼の予断を取り除いて純粋にスケッチを見た時、あるいは利一氏の証言とスケッチ帳とを比較した際に、「ん?」となる部分がいくつかある。
・「捕虜の中に女性・子供がいる」という表記がない
核心氏は「後に父は「女子供も虐殺しただろう」と言ってる」という言葉で「女子供の虐殺」を肯定しているが、スケッチ帳にも毎日新聞インタビューにも「南京への道」にもその他栗原証言を収録した記事にも、女性や子供の捕虜の存在は一切記録・証言されていない。(むしろ利一氏は「いなかった」と証言している)
これについてはおそらく、ある事情によって為された「核心氏による証言の捏造」であろうと思われる。(核心氏の「父はあとでこう言った」という言葉は、証拠となる音声記録等もなく証明不能であるため)
「ある事情」については後述する。
・そもそも人数設定がおかしい
当時の中国軍南京方面軍は、義勇兵を含めて10万余。多くとも12万とされる。
一方、中国や当時南京にいた諸外国人の記録によれば「撤退時5万」。
つまり、戦死・行方不明は5〜7万という計算になる。
これは南京を陥落させるまでの数週、及び南京方面軍が完全撤退するまでの間の数となる。
ところが、核心氏がスケッチから取り出してさかんに言い立てる「捕虜殺害7万」という数字を事実とすると、南京攻防戦での陥落前中国軍死者はゼロという計算になってしまう。(捕虜殺害は南京陥落後の数日間とされる)
日本軍でさえ相当な犠牲者を出し、中国軍に至っては陥落前に「督戦隊」戦術による「味方殺し」で1万前後を無駄に殺したという資料が残っているのに、これではまったく事実と合わない。
よくよく読んでみれば、スケッチの記述は「他部隊合せて70,000余と言って居られてた」と「伝聞」であり、しかも誰に聞いたものか、そもそも「捕虜を処刑した数なのか単なる捕虜数なのか」も不明。
これだけを取って「7万人の虐殺は不動の事実!」とは到底言えないことになる。
・物理的にありえない記述
捕虜から取り上げた武器弾薬を「山積みにして焼却」したというスケッチの記述、そして「13,500人を四方から機関砲の水平撃ちで殺害した」という記述。
どちらも、少し考えると根本的におかしいことがわかる。
まず、燃やすための燃料が仮に豊富に(当時の貧窮していた日本軍に! 焦土戦術を取っていた中国軍の残存物資に!)あったとしよう。
いくら弾薬が空ということになっていても、銃火器をうず高く山積みにしていてもし不発していた弾が残っていたりすれば、焼却時に暴発弾に殺されるという笑えない事態は容易に想像がつく。
よって普通は穴を掘ってそこで燃やすなりするだろう。
また、「数キロ行ってももうもうと立つけむり」とあるように、最後尾で火を着けたという栗原氏(の部隊)がその燃えた跡を確認さえせずに場を離れている。
当時の軍規がどのようなものだったかは詳細にはわからないが、武器弾薬の処分が済んでいない(燃やしてる最中)に持ち場を離れることはあまり考えられない。
ここは私の予測だが、「燃やしたのは放置しても危険の少ない非火器武器や装備だった」もしくは「栗原氏は実際には参加せず、後で同僚に伝聞で聞いた」ということになるだろう。おそらく前者ではないかと思われる。(非火器であれば火器処分に必要なまでの大量の燃料は不要)
さて、そして2点目である。
核心氏はさかんに「父の証言は(毎日記事と本多勝一記事を除いて)捏造されている」と主張している。果たしてそれは事実なのか、一部検証してみた。
「30万人虐殺説に抗議して喋ったのが、一転して私自身が
大虐殺の証人に仕立て上げられてしまった」
「私が虐殺の張本人になっている」
これは田中正明氏の著述「南京事件の総括・虐殺否定15の論拠」で登場した利一氏の証言であるとのことだが、核心氏はこれを「父は虐殺もその実行も認めている、よって捏造」と断じている。
しかし、利一氏はもともと「虐殺を無かった事にする事も、中国のプロパガンダ30万説も批判」する立場であり、そういう意味での「真実」という観点に立てば、
「私自身が(30万人)大虐殺の証人に仕立て上げられてしまった」
「私が(30万人)虐殺の張本人になっている」
として憤慨する動機は十分にあるし、理解もできる。
捕虜殺害やその実行を認めているから上記の怒りがあり得ない、というのは短絡的な、核心氏の「予断」による決め付けである。
「毎日新聞には言いもしないことを書かれました。
自分の言いたいことが逆になった」
「本多記者は中国人の言う嘘ばかり書いている。
ジャーナリストは気が狂っているのではないかと思う」
これらは雑誌「ゼンボー(昭和60年3月号)」に掲載された、畠中秀夫氏(=現在は阿羅健一氏)の虐殺プロパガンダ告発記事での栗原利一氏の発言とされるものである。これらも核心氏には「父は「逆になった」や本多氏批判などは自分に言ってない、捏造だ」と断定している。
しかし、前述した「架空説も30万説もでたらめ」とする利一氏の立場からはまったくの正論である。
本多勝一に対する批判部分は他に資料等の証拠が無いので断言はできないが、後に畠中氏が原稿のコピーを利一氏に送った以上、そこにまったくの嘘は書けないはずである。捏造した原稿を捏造対象の発言者当人にわざわざ送る馬鹿はいない。
結局、核心氏が「自分が思ってる、感じたものと違うから捏造なんだ!」という非難に過ぎず、資料との比較においての客観性ある「捏造だ!」主張ではないのである。
確かに、一部にご都合主義的な引用や言葉の切り貼りがあるのは確かである。サヨクの専売特許であるこれらに手を染めた人々が虐殺検証研究者の中にいる事は実に情けないことではあるが、それらもより精緻な研究と解明の前には整理され、より事実に近い歴史の真実が明らかになることであろう。
「25万人都市で30万人殺して残数30万人」
「12万人いて5万逃げて捕虜7万、陥落前戦死者ゼロ」
少なくとも上記(上は中国側プロパガンダ、下は核心氏の主張)が虚構であることは誰が読んでもわかることである。
それだけは声を大にしておきたい。歴史が風化し、中国やサヨクの反日言説が日本に落とす暗い影がすべてを覆い尽くしてしまう前に。
最後に、先述した核心氏の「ある事情」について念のため記しておく。
「南京事件資料集」において、核心氏は資料まとめや利一氏証言の誇張・拡大、虐殺の過大な宣伝などの動機についてこちらでこう述べている。
「長兄(利弘)の悲惨な人生を風化させたくなかったから」
「父のこれらの軍隊経験と、長兄(利弘)が父から受けた虐待との関連を、
将来的に明らかに出来るかもしれないと考えた」
「(利弘氏が恋人との交際を)父に反対され精神病院に強制入院させられる
などして、最終的に強度の精神分裂病を患う」
「約18年間にわたり父の虐待を受けつづけ、昭和51年に精神病院で縊死」
など、彼の実兄が利一氏に虐待されていたゆえの「憎悪」から来る反発として、
「私が父に証言を薦めたのは、長兄の受けつづけた虐待と、父の戦場での
行為が父の精神面に与えた影響との関係が将来的に明らかにできるかも
しれないと考え、父の戦場での行為を歴史的な事実としておきたかった
から」
という動機からこれらの宣伝行為に及んでいるとのことである。
これを考えれば、核心氏が父親である利一氏の証言をむしろ積極的に拡大解釈・捏造し続けて「大虐殺あった説」に無条件に拘る理由もある程度わかる。
核心氏にとって、この一連の行動は「父親への復讐」なのではないか。
南京虐殺30万などが否定されていき、父親の為したとされる所業がさほどの重みを持たなくなる事による「復讐の挫折」を恐れているのではなかろうか。
私にはこれらの事情を客観的に知る術はない。
ただ、核心氏自身の言葉からそれを忖度するのみである。

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