先日は、多忙なりに絶対エントリーせねばならぬ慶事につき、半ば無理矢理時間を作って「秋篠宮妃紀子殿下・ご懐妊」に関する記事を上げさせていただいた。
皇室典範改訂(皇統断絶)問題についても、一晩過ぎてようやく衝撃から回復したかのような小泉首相が「今国会での改正は見送りも」というような示唆を行なっているようである。まずは「皇室・皇族を無視したゴリ押し」による王朝革命の早期実現は防がれそうで、ひとまず安堵といったところか。
しかし、変わらず男系皇統断絶の危機にある「宮家不足」の状況、それに伴う旧皇族の「奪われた」身分につき回復すべきか否かという議論……これらは、冷静に時間を掛けて、また皇室のお知恵も積極的にお借りする形で、詰めていくべきであろう。
慶賀の至りにつき、しばらくはこれら皇室問題に関しての丁丁発止を控え、お子様の健やかなるご誕生への祈願と代えさせていただくものである。
よって今回は、少し矛先を変えて……
北朝鮮問題に関して、少し触れてみたい。
今日8日、北京で行われていた日朝協議が終了した。
初の「並行方式」によるものだったが、正直私はかなりの危惧をこの方式に覚えていた。
すなわち、「論外な主張に対して毅然と対応を取る」選択を封じられてしまったのではないか、と。
例えば、拉致問題で幕引きを図る対応に対して「では経済制裁を」とした場合に、「いや経済問題は別だ、勝手に混同するな」等の言いがかりをつけてくるのではないか……あるいは、国交正常化について「各論は各論として総論として正常化を」などという不埒な要求を(「過去の清算」なる虚構をたてに)行なってくるのではないか? といった心配をしていたものである。
しかし、終わってみれば(深入りした話までは進まなかった事もあるが)そのような心配は今のところ杞憂に終わり、不用意に北朝鮮に有効なカードを貢ぐような事態は発生しなかったようである。
今までと比べても、まあ何とか50点くらい……追試は必要だが、落第確定というまでの対応ではなかった。私の予測が外れた理由は、いったい何故か?
これは、あくまで想像による推測だが、「並行方式という交渉手法が、日本流の交渉次第のやり方とうまく噛み合った」のではないだろうか。
日本人は、物事を柔軟に組み合わせて考える傾向がある。
欧米諸国のように「それは+3、それは−2」のようにきっかりと足し引きして交渉の損得を綱引きするよりも、お互いが一方的には割を食わないように「どこかで顔を立てる」という思考をとる。
それにより、国際社会において弱肉強食の外交案件に臨んだ場合に、「必要のない妥協を引き出され、しなくていい損をする」「先に頭を下げた事の言質を取られて要らぬ譲歩を強いられる」といった失態へと繋がっていくように思う。
ところが、今回のような「並行交渉」であれば、それぞれの担当者は「自分の割り振り範囲で無理に相手の顔を立てる」必要性が薄れる。自分はあくまで己の交渉案件において職責を全うし、あとの全体調整はその後に「自国サイドのみで」行なえばよい。
無理無理の論理で妥協をねじ込まれる隙が減り、原則論に基づいた几帳面な交渉がよりやりやすくなるという、思わぬ副作用があったのではなかろうか。
(過去の「ミスターX」式交渉がろくな成果を生まずズブズブの妥協に終わってきたのも、一括での交渉を日本がそもそも不得手としていたがゆえ……かも知れない)
無論、まだ交渉の行方は予断を許さない。
外務省にも政府にも国会議員にも、まだまだ北朝鮮に日本を切り売りせんと企む(もしくは刷り込まれた売国思想により無意識にそのような行為に賛成する)輩は少なくない。
今後も一層の監視、そして必要とあれば厳しい声を(特に国会、与野党に対して)挙げていくべきである。
今この瞬間にも、拉致被害という近現代唯一にして最悪の組織的国家犯罪被害は、継続しているのだから。
「過去の清算」なるものは、その罪と引き換えにはならない。
日本は法的にも道義的にも、すでに「国際社会の規範の中で求められた清算」を、果たしているのだから。
法的な清算を「今考えたら不満だ、おかしい」として撤回させようとしたり、道義的な清算を勝手に他目的に流用したあげく「清算がない」と主張したり、あげくはほとんど存在しない「日本軍による強制連行」や、まったく存在しない「日本軍による慰安婦の強制」なる虚構に基づいての「過去の清算」を主張するような者達と同様の発想での相乗りしかできぬ連中に、原則論を外れてまで「顔を立てる」必要などないのである。
外交交渉とは、軍事力なき戦争である。
日本人の美徳のひとつ「寛容」を、ことさらに発揮すべき場ではない。
交渉に携わる方々には、是非にそれを肝に銘じて欲しい。

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