小牧の「メナード美術館」にシャガールの版画展を見に行って来た。
「ダフニスとクロエ」「アラビアン・ナイト」「神々の大地で」「サーカス」のシリーズ、全部で94点の作品が3つの展示室に飾られていた。シャガール独特の柔らかな輪郭線による自由な造形と色彩の世界がそこにはあった。
「メナード美術館」は、日本メナード化粧品(株)の創業者野々川大介・美寿子(みつこ)夫妻が、収集した美術作品を広く一般に公開するため、昭和62年(1987)に開館したものだ。その所蔵点数は、国内外の近・現代絵画を中心に1,300点に及ぶ。
メナードとは、ギリシャ神話に登場する女神の名である。従順、美貌の女性で酒の神バッカスに巫女として仕えていた。商標名を考案したのは、野々川大介である。昭和34年(1959)訪問販売用化粧品の名に使われ、会社経営が始まった。
野々川大介は、大正10年(1921)東春日井郡野口村(現小牧市)の農家に生まれたが、貿易商小塚商店で丁稚奉公ののち、自立し、昭和17年(1942)、遠縁の娘で1歳年上の稲垣美寿子と結婚した。美寿子は、東春日井郡篠岡村(現小牧市)の出であった。二人は、名古屋の中村区上米野町で文具店を始める。戦後メナード化粧品を創業し、幾多の苦難を乗り越えて社業を軌道に乗せるまでにいたる。
事業の成功とともに、美寿子の天性でもあった審美眼が開花し、国内外の美術品の収集に向かった。島田章三はじめ多くの画家とのちにメナード美術館長となる石川浩一ら美術関係者との出会いが、彼女の意欲をますます向上させた。
また「自分が収集した美術品を広く公開することは、美的生活を提案する企業の使命である」との考えを、美寿子は強く抱くようになり、出身地の小牧市に美術館設立を決意するにいたる。
同時に、世界の財産である美術品保全のための理想環境を設定するよう美術館建設に細心の注意を払った。建物完成後も1年間、美術品を展示することなく閉館したまま放置したのもそのためであった。その間、収集した美術品をどのように展示していくか開館の日を楽しみにしていた美寿子であったが、開館を見ることなく、病魔に襲われ、彼女は他界した。
美術館玄関の傍らに「・・・働くことの意味と 美しいものへの憧れと織り交ぜて それが魂のふだん着になった・・・」と、ひたすら美を追い求めた彼女への賛歌が刻まれた碑が静かにたたずんでいる。

野々川美寿子

メナード美術館

美術館内の中庭

入場チケット

シャガール「花束を持つ娘」(サーカスより)
【主な所蔵作品】

マネ「黒い帽子のマルタン婦人」

ルドン「夢想」

ピカソ「静物=ローソク・パレットと牡牛の頭」

尾形光琳「三十六歌仙図屏風」

佐伯祐三「街角の広告」

国吉康雄「女は廃墟を歩く」

中村彝「婦人像」

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