基幹レーン西行きの白壁バス停を南に下ると、東白壁公園の前に「東白壁小学校」がある。
大正3年(1914)当時の白壁町4丁目(現5丁目)に「東白壁尋常小学校」が設立された。「棣棠」「白壁」「筒井」「山口」の4小学校の区域の中央に位置し、近接する区域から児童543人が転学した。
大正13年(1924)には、高等科を置き、「東白壁高等小学校」と改称した。昭和12年(1937)「大曽根高等小学校」の創立に伴い、高等科を分離し、「東白壁尋常小学校」と改称した。昭和16年(1941)「名古屋市東白壁国民学校」と改称。空襲の激化とともに昭和19年(1944)三重県鈴鹿郡関町へ集団疎開して難をのがれた。昭和19年6月の空襲で校舎の半分を焼失したが、焼け出された「白壁国民学校」の児童も収容して学校を再開した。
昭和22年(1947)「名古屋市立東白壁小学校」と改称、昭和23年(1948)には「旭丘小学校」を統合し、「名古屋市立旭白壁小学校」と改称したが、翌年(1949)「旭丘小学校」が再び独立し、「名古屋市立東白壁小学校」に戻った。
東白壁町は、藩政時代には中ノ町と呼ばれていた。明治4年(1871)に山口中ノ町、さらに同11年(1878)に白壁町の東に当たるところから東白壁町と名付けられた。
「東白壁小学校」校歌
明るい校舎にふりそそぐ
陽ざしの色もやわらかく
正しく 深く 一心に
あすをめざして伸びて行く
東白壁小学校
みんなそろった足なみに
心と心が かよいあう
明るく 強く 健康に
あすをめざして伸びて行く
東白壁小学校
がっちりくんだスクラムに
かがやく希望の歌がわく
正しく 強く 明朗に
あすをめざして進み行く
東白壁小学校

昭和8年の地図

東白壁公園から見た「東白壁小学校」。

金鯱を形どった校章をデザインした校旗

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