猿投橋から、御用水跡街園の遊歩道を木津根橋に向かって歩いていくと途中に「稚児の宮人道橋」という歩道専用の橋が架かっている。橋には虹をイメージした彩色が施されている。これが川面に映るとまさに虹が輝く状態となる。
さて、この「稚児の宮人道橋」の“稚児の宮”とは、志賀橋の北西にある「児子八幡社(ちごはちまんしゃ)」から名前が付けられている。また、志賀橋から堀川と並行して走る通りは“稚児宮通り”である。
「児子八幡社」の祭神は応神天皇である。八幡神というのは、応神天皇(本来の名はホムタワケノミコト)のことであり、母の神功皇后(本来の名はオキナガタラシヒメ)とともに母子神として祀られることが多い。形式上、応神の父親は、日本武尊(ヤマトタケル)の皇子の仲哀天皇であるが、神話的に解釈すると母神功皇后は、タマヨリヒメと同格で神の皇子を産む巫女(神に仕える処女)である。こういう神話を「御子神神話」とか「母子神神話」といい、海神の娘玉依姫(タマヨリヒメ)と神武天皇の関係にもあてはまる。“稚児(児子)”は、“若宮”とも“王子”とも呼ばれ、若宮八幡宮や王子八幡宮という神社も全国に数多くある。名古屋の若宮八幡宮もまた、応神天皇を祭神として祀っている。
八幡は、“ハチマン”と呼称される以前は“ヤハタ”と呼ばれたようである。“ヤハタ”の語源は、神の寄りつく“依代”(ヨリシロ)としての「多くの旗(ハタ;布きれ,ヒレ)」の意味であり、このハタに神が降りてきてたなびく様子から託宣を告げた古代朝鮮のシャーマンの儀式からきているとする説が有力である。ヤハタの神は、シャーマンを通じてメッセージを告げる託宣神としての特徴を持っているのである。宇佐八幡の神託というのはこのシャーマンの伝統を受け継ぐものである。
このような信仰を日本に最初にもたらしたのは、5世紀前後、新羅・加羅から渡来した“秦氏”(はたうじ)であるとされている。秦氏は宇佐地方に<秦王国>を築き、ここを拠点としてさらに畿内にも進出し、応神天皇陵や仁徳天皇陵など巨大古墳の築造、山城国の開発などを行い、勢力を全国に伸ばした。聖徳太子を後援した秦河勝(京都太秦広隆寺を建立している)が最も著名である。愛知県にも、秦、波田、羽田、幡多、八田、半田など秦氏の名に由来する一族や地名は数多く残っている。また、ハタはワタと同じで、古代朝鮮語では、“海”を指す言葉である。
八幡神は、後には一般的に「戦の神」と認識され(神宮皇后の朝鮮遠征神話の影響だろう)、後に源氏の氏神となり、石清水八幡宮から鎌倉鶴岡八幡宮の勧請へとつながるが、時代や地域によって信仰内容には違いがみられ、鍛冶の神、海の神、焼畑の神、安産の神などさまざまな側面があり複雑である。後には仏教と融合し、八幡大菩薩とも呼ばれるようになる。
豊後宇佐の地方神であった八幡神は、奈良時代、聖武天皇による東大寺大仏造立事業が難航していたときに「神々をひきいて成功させる」という託宣をくだしたところ事業が軌道に乗ったというので、天平勝宝元年(749)には一品(いっぽん)という最高の位が授けられた。神護景雲3年(769)の僧道鏡を天皇にしようとした事件(宇佐八幡信託事件)でも国家の危機を救ったため、鎮護国家神として重視された。その後、天皇の即位や国家に異変があるとき、その報告や祈願をする奉幣使(宇佐使)が派遣されることも恒例となった。
貞観二年(860)には、大安寺の僧が京都男山の地に宇佐から八幡神を勧請して岩清水八幡宮を建て都の守りとしている。また八幡社は、村の鎮守神として勧請されることが多く、その数は稲荷社についで全国に2万社以上ある。前回の記事に取り上げた、北区の憧旛町は、堀川をはさんだ対岸にあるが、この八幡社の憧旛に由来している。
「児子八幡社」の北隣に安栄寺がある。曹洞宗名古屋万松寺の末寺で、慶長19年(1614)に建てられた。楠の高木の繁った落ち着いた寺で、心の安らぎを感じる。境内に入って左手に「六地蔵」と呼ばれる石仏がある。この石仏は、志賀公園北東の墓地にあったもので、高さ43cm、幅26cm、厚さ15cmの砂岩でできた平らな石に、3体ずつ、上下2段の地蔵菩薩像が浮き彫りにされている。像の右には「尾張山田庄志賀郷」、左には判読困難な文字の下に「大永七年十月日」と刻まれている。大永七年(1527)に志賀の里の住人が寄進したということであろう。愛知県で最も古いものである。
*「六地蔵」とは、六道のそれぞれにあって衆生の苦しみを救う六体の地蔵菩薩のことである。地獄道の檀陀(だんだ)、餓鬼道の宝珠(ほうじゅ)、畜生道の宝印(ほういん)、修羅道の持地(じじ)、人間道の除蓋障(じょがいしょう)、天道の日光(にっこう)の各地蔵菩薩とするが、異説もある。墓地には、大体この「六地蔵」が祀られている。

稚児の宮人道橋。

稚児の宮人道橋から猿投橋方向を眺める。

御用水跡街園、木津根橋方向。

「児子八幡社」の南の鳥居には、「八幡社」の石碑。
神社の境内は昔から子供たちの遊び場だ。

「児子八幡社」の本殿と「児子社」の石碑。

安栄寺山門。

愛知県最古の六地蔵。

上下2段に3体ずつ彫られている。

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