「稚児の宮人道橋」から先は、「木津根橋」−「黒川2号橋」−「瑠璃光橋」と続く。このあたりの御用水跡街園の桜並木がもっとも美しい。「木津根橋」の名の由来は、木津根町から来ている。「木津根」は「狐」のことだ。かっての御用水の周辺地は、人々が立ち入ることが禁じられ、狐の住処となっていたからだそうだが、なぜこの場所だけがそう呼ばれたのかはわからない。特にたくさんの狐が住んでいたのだろうか。
「瑠璃光橋」の欄干4ヶ所には、はばたく鳥と子どもの姿の彫像が置かれている。まさに今空に向かって羽ばたかんとする姿は、「瑠璃光」という美しい名とともに印象深い。「瑠璃光」は、町内にある成福寺(じょうふくじ)の本尊「薬師瑠璃光如来」に由来していることは以前に記した。「瑠璃光町」は、「瑠璃光橋」から南に志賀本通にぶつかるところまで細長く続いている。志賀本通と交差するあたりが「若葉通」である。かっては、その南に「紅雲橋」その東に「彩紅橋」と大幸川に架かる橋があった。
瑠璃光町の南の端、若葉通2丁目の一筋北から東に入ったところに医王山成福寺(曹洞宗)がある。江戸時代初期に月峰慶呑が開山。薬師堂の本尊である「薬師瑠璃光如来」は、開山以前にこの地に祀られていたもので鎌倉時代の作と言い伝えられている。 毎月12日には薬師法要が催されているが、本尊そのものは秘仏であり、50年ごとに開帳される。お薬師さんの根本は「薬師瑠璃光如来本願功徳経」という経典に記されている。成福寺は「東海四十九薬師霊場」の一つであり、薬師如来の御真言「オン コロコロ センダリ マトウギソワカ」と唱えることにより病気の平癒がもたらされるという。(私こそ唱えなければ・・・)
成福寺の東隣に下飯田「六所社」 がある(町名は下飯田町になる)。「六所社」という名称の神社はこのあたりには多い。北区では上飯田、安井、金城、東区では矢田にもある(そういえば、今日は矢田の六所社の“カッチン玉祭り”の日であった)。他の地域では、“五所”や“七所”という神社もある。祀っている神の数によって違う。ちなみに下飯田「六所社」は、伊弉諾神(イザナギ)、伊弉冉神(イザナミ)、天照大神(アマテラス)、月読神(ツキヨミ)、速須佐之男神(スサノオ)、蛭子神(ヒルコ)の六神を祀っている。
「六所社」の南側の鳥居の西に、御嶽神社の碑がありその横に橋の欄干が残されている。これがかっての「彩紅橋」の欄干である。役目を終えて、ここに引き取られていた。

木津根橋、西向き。

木津根橋から稚児の宮橋方向を眺める。

木津根橋から瑠璃光橋方向を眺める。

御用水跡街園の案内碑。

落ち着いた散歩道の様子。瑠璃光橋方向。

瑠璃光橋。

瑠璃光橋欄干の彫像。

満開の桜の頃の瑠璃光橋からの眺め。

成福寺。幼児園になっていて、幼児が元気に遊んでいる。

左が「薬師瑠璃光如来」を納める医王堂
右が本堂。本尊は「釈迦牟尼仏」

六所社の鳥居。

六所社の本殿と境内。

由緒書。

「彩紅橋」の銘が入った欄干。

かっての「彩紅橋」の姿を思い起こさせてくれる。

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