橦木倶楽部通信第4輯

橦木倶楽部を拠点に、文化のみち全域のネットワークづくりを目指します。

 
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投稿者:加藤鯛喜
そうそうにお返事を頂き、感謝いたします。
資料が出て来そうな図書館などの施設等お教えねがえるだけでも結構です。
お気に留めていただき心より感謝いたします。
投稿者:masa
手持ちの資料では、帝国撚糸織物会社については詳しいことが載っているものはありませんでした。もう少し調べてみます。鶴舞図書館の明治の産業関係資料にあたれば出てくるような気がしますが・・・。
投稿者:加藤鯛喜
帝国撚糸織物会社について、よりくわしい情報をご存知ないでしょうか。
最後の社長・加藤庫吉は。私の祖父であります。
どんな些細なことでも結構です、お知らせ願えれば幸甚です。
投稿者:masa
横浜における原富太郎と中部における原富太郎、生糸貿易の実態を踏まえて実業家としての原富太郎の実像を調べてみます。美術蒐集家としての原三渓は、私の手に負えそうもありませんが・・・。
投稿者:yamori
西濃出身の青木富太郎から原家の婿となり、さらに
美術蒐集家三渓へ。横浜と生糸業界のために骨折っ
た彼はとても偉い人です

banshin@nna so-net.ne.jp
投稿者:masa
解体されたのは、昭和47年ですから話が合いますね。いつまでこの煉瓦造りの建物が残されていくのかわかりませんが、こうして三重製糸や富岡製糸場と見比べていくとますます貴重な産業遺産に思えてきます。今度、横浜の三渓園へ行こうと思っていますが、原三渓(富太郎)への興味も湧いてきました。
投稿者:花散里
もう、随分前(昭和40年〜50年ごろ)のことなので
曖昧になっていますが、現在の北区役所から西、八王子中学校、田端保育園、北青年の家(現在は解体された)のあたりに煉瓦塀がありました。写真と同じような赤レンガで、黒川の川端から良く見えました。今思うと工場の塀だったのでしょうか。
「川上絹糸」は上飯田の、現在は調理師学校になっている辺りにあった、と聞いたことがございます。当時はあまり興味がなかったのですが、改めてまとまった記事を拝読すると、点であった情報が線となった気が致します。
yamoriさまの横浜日記とつながって、不思議、驚いています。
投稿者:masa
原“富太郎”を“富次郎”に間違えて調べていたのでわかりませんでした。間違いなく「原富太郎」が、明治の終わり頃、三井から名古屋製糸所を受け継いでいますね。記事にしているときは「三渓園」と結びつかなかったのですが、わかってみるとそうなんだと納得しています。全く勉強が足りませんね。よくこれで日本史を教えているものです。
投稿者:yamori
三渓園の案内人のかたの話でも「原製糸」と。根拠
は明治の地図かも知れませんが、三井と関係が深
かったのは確かですね

banshin@nna so-net.ne.jp

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