戦後の日本で、禅の庭や伝統技術に触れたイサムは、作品によりいっそう東洋的な匂いを漂わせるようになる。ニューヨークで、日本の女優・山口淑子(李香蘭)と恋に落ち、1951年に結婚。鎌倉の北大路魯山人の敷地内にアトリエと住まいを構え、陶芸制作にも励んでいる。そもそも魯山人を知ったのは、制作依頼を受け広島へ行く途中、名古屋の「八勝館」で魯山人の備前焼の皿を見て会いたくなったのがきっかけという。またこの頃に、岐阜提灯に触発され、光の彫刻「あかり」を生み出している。
1958年に離婚後、イサムはニューヨークを拠点に意欲的に活動する。彫刻よりも大きなスケールの庭園制作、空間の彫刻に熱心になる。ユネスコ本部やニューヨークの銀行などの庭園も手がけた。また「彫刻はもっと身近で、役に立つものであるべき」と考えていたイサムは、かねてから思い描いていた公園や遊園地などのランドスケープデザイン、「大地を彫刻する」という夢をさらに募らせていく。
晩年イサムはニューヨークと日本を行き来する生活を送る。日本では、庵治(あじ)石の産地・香川県牟礼町に住まいを構え、和泉正敏をパートナーに数々の彫刻を制作した。ここでの作品は「彫刻に自然を取り入れた」といわれ、傑作と呼ばれるものも多い。1969年、東京国立近代美術館のために「門」を、翌年大阪万博のために噴水を制作。1972年、香川県牟礼にアトリエを設ける。1984年、コロンビア大学より名誉博士号授与。翌年ロング・アイランドにイサム・ノグチ・ガ一デンミュージアムを開設。
1986年、第42回ヴェネツィア・ビエンナーレの合衆国代表に選ばれた。80歳になってようやく“アメリカ人の偉大な芸術家”として認められたイサムであった。同年日本で京都賞受賞。翌年アメリカ国民芸術勲章を受賞する。そんなイサムに札幌市から「モエレ沼公園」ランドスケープデザインの依頼が舞い込む。夢の公園のマスタープランが完成したのは1988年。プラン完成と84歳の誕生日を祝った直後の12月30日、イサム・ノグチはニューヨークで静かに逝去した。84歳であった。

光の彫刻「あかり」の作品

代表作「エナジー・ヴォイド」(1971年) 高さ3.6mの黒色花崗岩
「イサム・ノグチ庭園美術館」

「ブラック スライド マントラ」 札幌大通公園西8丁目
サイズ:高さ3.6m、幅4m、重量80t 材質:アフリカ産黒花崗岩

モエレ沼公園「プレイマウンテン」

高松市牟礼町にある「イサム・ノグチ庭園美術館」遠景。

「イサム・ノグチ庭園美術館」のイサム・ノグチの墓標

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