2006/12/19

Homesick James  ブルース

残念なことに、訃報が続きます。先日アトランティック・レコードのアーメット・アーテガンが亡くなったことが新聞にも載りましたが、ホームシック・ジェイムズが12月13日に亡くなったそうです。

彼がなくなったというニュースは数日前からネットの書き込みなどで出ていたのですが、訃報記事や公式な情報源からの発表などがなく未確認でした。Blues Foundationのサイトに訃報記事が出ているのをみつけたので、間違いはないだろうと思います。以下、その記事を翻訳したものです。(無断転載すいません)

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またひとり伝説的ブルースマン他界:ホームシック・ジェームス
ホームシック・ジェームスがミズーリ州スプリングフィールドの自宅で亡くなった。彼の正確な歳については疑いの余地が残るが(最も古くて、彼自身が1905 年生まれであると主張している) 、ホームシック・ジェームス・ウィリアムソンの切り込むようなスライドのギターの技術は疑いの余地がない。彼の充実作の多くは、突飛なタイミングの取り方が特徴的なソロの設定によるものである。(但し、バックバンドが付いたレコーディングの中にも秀作は多い。)

ジェイムズは、10歳の頃にはギターをはじめて、間もなくテネシー州の自宅から家出をして、フィッシュフライ、ダンスなどのギグでプレイするようになった。1920年代にミシシッピーとノースカロライナ州を放浪し、この間ヤンク・レイチェル、スリーピー・ジョン・エスティス、ブライド・ボーイ・フラー、ビッグ・ジョー・ウィリアムス等と交流を持った。

30 年代にシカゴに定住し、ローカルクラブでプレイ、また1937 年にRCA ビクターへ吹き込んだ。彼の代表作に数えられるArt Sheridan のチャンス・レコードの1952-53 年のレコーディング(彼の芸名のきっかけとなった名作"Homesick"を含む)を行う以前に、ジェイムズの実績は充分積み上げられていたのである。

ジェームスはまたサイドマンとしても活躍した。1945年には、シカゴの酒場パープル・キャットでサニー・ボーイ・ウィリアムソンとプレイ、1950年代にはいとこでスライド・ギターの名手であったエルモア・ジェイムズのバックを務めた。エルモアのスタイルは、彼に大きな影響を与えている。エルモアとホームシックは、1950年代にレコーディングも行っている。ホームシック自身の名義としては、1962年のコルト、USAのシングル、また1964年のプレステージの名作アルバム、そして1965年のヴァンガードのアンソロジーに残した4曲がある。

ジェイムズは、生涯レコーディングとツアーを止めることはなかった。近年ではAppaloosa、Earwigといったレーベルからアルバムを発表している。実際の年齢が何歳であったとしても、ホームシック・ジェイムズ・ウィリアムソンのブルースが盛りを過ぎたということはまったくなかったのである。

ホームシック・ジェイムズ・ウィリアムソンは、12月13日(水)午後11:15ごろ、ミズーリ州スプリングフィールドの自宅アパートで亡くなった。

出典:Blues Foundation http://www.blues.org/about/news.php4?Id=400
http://www.music-discussion.com/showthread.php?p=60759
(英語原文より翻訳)

(写真は1994年ロングビーチ・ブルース・フェスティバル出演時。撮影:陶守正寛)
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