2014/8/29

ハリケーン・カトリーナ9周年  ニューオーリンズ

この季節になると、ニューオーリンズを思い出さずにはいられません。

2005年8月29日、ハリケーン・カトリーナがニューオーリンズに上陸し、甚大な被害を与えました。市内は80%が冠水し、ニューオーリンズ市内とその近郊だけで1,000人以上が命を落としたと言われています。

奇しくも僕がこのブログを立ち上げたのも2005年8月でした。9年も経ったのかという思いもありますが、まだ最近の出来事のようにも感じます。

上陸翌日8月30日に、僕は少ない情報ながら、ハリケーンのニュースをここに書き込んでいます。

ニューオリンズのハリケーン(8/30/2005)
http://black.ap.teacup.com/sumori/8.html


多くの人々は、バトンルージュやヒューストンなどを中心に全米に散り散りに避難し、残った人々も非常事態宣言が出される中で強制退去となりました。その後、約1か月間に渡り、ニューオーリンズは州兵など治安維持要員が僅かに残るだけのゴーストタウン状態となったのでした。

避難先から戻らない(あるいは戻れない)人も少なくなく、被災前は50万人近くを抱えたルイジアナ州最大の街の人口は一時期30万人近くまで落ち込み、バトンルージュの人口をも下回りました。その反面、復興工事要員でヒスパニックの人々などが新たに住み着くようになり、ニューオーリンズの人の分布は大きく変わったと言われます。

その後、様々な情報が明らかになる中で、殆どの被害がハリケーンの雨風ではなく、少し間をおいて襲った浸水によるものだったこと、またその浸水が土手の設計の甘さなど、人為的なミスの側面が大きかったことなどが判明し、人々の怒りが沸き上がりました。

音楽の世界も大きな損失を被りました。多くの名盤を生み出した2つのレコーディング・スタジオ、シーセイント・スタジオとウルトラソニック・スタジオは冠水して使えなくなり、その後復活することはありませんでした。翌年の春開催された恒例のジャズフェスは、開催にはこぎつけたものの規模の縮小を余儀なくされました。出演したアーティストもトレーラー暮らし、あるいは避難先からの参加という人も少なからずいました。

大きな被害を受けたスーパードームを会場としていたエッセンス・ミュージック・フェスティバルは、2006年だけヒューストンでの開催となっています。

一方で災害を機にニューオーリンズは世界中の注目を集めることになりました。チャリティ・コンサートが各地で開催され、ミュージシャンたちに新たな活動の機会を与えたという側面も大きかったようです。

その中で出てきたのがアラン・トゥーサンとエルヴィス・コステロのコラボレーションで、トゥーサンはその後活動を活発化させることになりました。2006年5月にプロモーションのため久々に日本の地を踏んだ彼が「カトリーナは偉大なブッキングエージェントだ」と、思いのほか前向きな発言をしていたのが印象的でした。

9年経って現地は殆ど被災前と変わらないくらい復興していると聞きますが、地域によってはまだまだというところもあるようです。以前、被災が特に酷かったロウワーナインスワードの復興状況をグーグルマップで見てみようとここで書き込んだことがありました。

2013年の書き込み
http://black.ap.teacup.com/sumori/1441.html

2008年の書き込み
http://black.ap.teacup.com/sumori/161.html


今見てみたら、この地域の画像も今年1月のものに置き換わっていました。少し建物が増えているようですが、あまり大きくは変わらないですね。同じ場所の画像を貼りつけてみます。

クリックすると元のサイズで表示します
2349 Tennessee Street(カーニバルタイム・ジョンソンが住んでいたところ)

クリックすると元のサイズで表示します
1238 Caffin Avenue(ファッツ・ドミノの家があるところ)


日本でも今広島の土砂災害のニュースが連日流れ、とても心が痛みますが、災害を風化させないように心に刻みたいと思います。
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