旧パラを検証する183
第十五号 2
棋界春秋 盤側三十年〔四〕 中島富治
名 人 就 任 式
六月十五日東京新聞社の講堂で、毎年の例に依り、名人就任式が行われた。満場立錐の余地もない盛儀であつた。この式で四つの演説が行われた。その概要は翌々十七日のラジオで放送されたから、多くのファンは既に御承知のことと思うが、以下簡単に所感を述べて見ようと思う。
会長渡辺東一八段の挨拶は、性質上型の如きもので、取り立てて批判すべきものではなかったが、会長もおいおい板に付いて、雄弁ではないが、荘重で至極結構であった。ただ奇異に感じられた一節があった。それは彼が第六局に於ける木村の千日手打開に論及して大いにその勇気と果断を讃えたことである。之は果して声を大にして讃ふべき決断であったであろうか。五局に於ける木村の七五歩の千日手打開策を讃えるものは一人もあるまい。彼自身が局後しみじみと之を悔いて、矢張り千日手にすべきであったと述懐して居るほどだから、之は当然であろう。第六局の打開は素より彼としては本当の自信を以って決行したものであろうが、爾後の進展はどうであろうか。当然打つべき九七銀は打たず、七七歩と打ち。九七桂と成って、八六香と打たせて七二飛と振るべきを、いきなり七二飛と振って七四香を喫し、逆に三一飛と退嬰するの止むを得ざるに至り、勢い七八金と打つ外なく、俄然完全なる指し切り将棋となった。爾後優勢に心弛んで升田に数々の緩手落手があって、勝つには勝ったが、千日手打開策は彼の読筋から見れば全然意義をなさぬものではなかったか、素により之は私が言うのではない。多数の高段鋭才の所見である。第五局との違いは、ただ結果に於て勝ったと言っただけではないか。あの読筋に基いて行ったとしたら、無謀な打開ではなかったか。少なくとも第五局と同様、誤算に因るものではなかったか。この将棋千日手打開に因って勝ったのではなく、升田の爾後の失着によって勝ったのである。決して讃うべき果断と勇気ではなく、千日手とすべきが妥当であろう。高段棋士の多数はかく見て居るであろう。少なくとも、私の知る限りに於てはそうである。渡辺個人の所見はどうであろうと差支はないが、会を代表しての所述である。会は棋士の会である。会員たる棋士多数の所見として之を讃えるはどうであろうか。勿論彼はさんな難しい意味ではなく、軽い気持で述べたものであろうが、聴く者にはそうとばかりは響かないのである。物事に慎重な彼をしては千慮の一失ではなかったか。私は、多くの高段者の所見に基づいて、第五局も第六局も、あの打開策は木村のために惜しむべきであると確信して居る。
日本棋院を代表して岩本八段の祝辞は、雄弁ではないが、情意共に到って、甚だ結構であった。
木村ファン代表と言うか、野村胡堂氏の祝辞は、年配にふさわしい、型の如き結婚披露宴の演説で、之も又甚だ結構であった。
次に立った木村の挨拶は近来の好演説であった。いつもと違って、殆んど衒う処なく、率直に心境を語ったようで、聴きよいものであった。実力に紙一枚の差があるわけではなく、ただ勝ったのは、前年塚田に敗けて、甚だ苦境に陥った時、之ではならんと人知れず、なみなみならぬ努力精進を積んだお蔭であると思うと語った時には、私も今更にそうであろうとしんみりさせられたほどであった。この気持ちを保持して忘れぬ限り、彼の将棋は今後も容易に衰えぬであろう。
次に升田が壇上にのぼったのには少なからず驚かされた。彼は故郷に帰って心の痛手を養って居るとばかり思って居たからである。昨年の就任式には大山は姿を見せなかった。このような場合敗者の挨拶はまことに難しい、強気に出れば負け惜しみと取られ、弱気に出れば泣きごとと見られる。彼は颯爽として登壇、開口一番、第六局に敗ぶれて故郷に帰った。敗れたものの妻との会見は劇的であると満場を笑わせ、郷家に帰ったその日から、妻と共に毎日麦を刈り、畑を耕がした。なれぬ仕事でエラかったが楽しかった。妻が言うには、百姓が労苦して一反の田から一年間に得る利得は一万円に足りない。あなた方の将棋の一手は物質的には百姓一年間の労苦に当るであろうが、それでもものの成長を楽しむ仕事であるから楽しく又尊いと。このようにして幾日を送るうち、かつ然として悟る処があった。自分が負けたのは、何事でもない、修業年限の差であった。年輪の差であることに気が付いた。之れを前から知っておれば、この就任式であったであろう。此上はただ修練精進あるのみである。若し皆さんのうちに一人でも升田を思って下さる方があれば、どうかきびしい批判指導していただきたいと結んで壇を下った。率直な真摯な挨拶で聴者に感銘を与えた。聞いて居た私は終始眼底に流れるもののあるを覚えた。この演説は当日の圧巻であった。ファン大衆は、殊に東の方のファンは升田を知らぬ。知らぬばかりでなく、彼を誤解して居るものが多い。又誤解され易い彼でもある。当日来場のファンは勿論、ラジオでこの演説を聞いた多くの人々ははじめて彼の真骨頂を理解したであろう。
かくして就任式は、昨年のそれとは違って極めて有意義に終了した。
式後余興に大山、丸田、坂口、塚田、板谷、原田、松田、荒巻八A級選手の四人宛に別れた連将棋が行われた。当日の呼びものであったが、素人将棋のような愚戦に終わった。昨年は塚田と高柳の対局であったが、之もひどい愚局であった。凡そ余興将棋ほどつまらぬものはない。
式後に行われた座談会も甚だ面白かった。三象子の司会で東京タイムズ主筆の下条氏、作家の永井龍男氏、将連を代表した北楯八段の座談であった。この座談会にもただ一つの耳ざわりなことがあった。それは北楯が升田の演説中の一節、「負けたのは修業年限の差ならば今迄に先輩も数多くあった筈だ」との意味を述べたが、修業年限の差、年輪の差と言えば、単なる棋士生活の年数を意味するものでないことは小学生にもわかる筈である。多分彼は純粋の棋力に於ても差のあることを言いたかったのであろう。そうなると之は見解の問題となるが、却って其の逆が成立しはしないが、単に純粋な棋力だけの問題なら、言い換えれば之が名人戦ではなかったら、升田が勝って居るではあるまいか、升田丈けではない、昨年大山も勝って居るではあるまいか。棋譜を精読すればわかる問題である。精読せずとも最近二三年の対局の成績をみればわかるであろう。
機 構 の 改 革
諸制度、諸機構の改革は愁眉の急を要するものであるが、なかなか行われない。それでも流石に優柔不断な連盟当局も世論の声にはいつまでも耳を塞いで居るわけには行かず、来年からB級を折半して、二つの級にすることとなった。即ちことしの順位戦で、B級中負け越したものを一群としてB2組とする。之で今迄のA級、B級、C級甲、C級乙の四級が、来年からはA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の五級になるわけである。ABCDEと奇麗に別けられない姿に連盟の不徹底さがある。BTもBUも定員を十三名とし、各自総当り十二局も指すのであるが、B級で指し分け以下の者が降級するわけである。従って、へんなことではあるがことしは指し分けが去年にも増して蓄積して、多分十二三人にもなるであろうから、B級2組はCから上って来る二人を加えて八九人を超えないであろう。これを十三人にするには尚一年を要するであろう。C級の優勝者一人をB1に進め、次の二人をBUに進めることとしたのは適当の処置であろう。
之で、おいおいにC級(六段級)の八段、D級(五段級)の七段が出来て(ことしも既に一人宛出来たが)、段位の威厳地を払うことになって、やがて私の主張するように段位と実力が一致する気運に向うであろう。甚だ迂遠なやり方ではあるが、なさざるにまさるものであって、そう性急にがみがみ言う処もあるまい。之で各級にも漸く順位が確立するわけで甚だ結構である。
そ の 後 の 棋 戦
名人戦終了を以って次の順位戦がはじまった。A級戦四十五局、B級戦百五十局、C級T組九十六局、C級U組六十六局計三百五十七局である。既に組み合わせ、対局順序等もきまって、早くも三十余局が終った。
A級では松田(辰)が病気未だ癒えず、ことしも休場ですべて十人、會て無い粒揃いで興味津々たるものであるが、高柳が入院加療中で、既に板谷との一戦に不戦敗となった。彼の一日も早く快癒せんことを祈って止まぬ。万一彼が不出場ともならば、A級戦の興味を滅殺すること多大であろう。A級は今の処二局を終ったに過ぎないが、辛うじてA級になった荒巻が地力を発揮して原田を破り、余威をかって大山と一戦、善戦よく努めて、勝局を作ったが、最後に一失を演じて敗退した。局後の検討で、大山自身が、こう指されると負けであったと言って居た。この一戦は最後まで盤側で観戦したが、ことしの順位戦の波瀾を思わせるような面白い一局であった。原田と松田と荒巻、この三人で活躍が興味の中心である。荒巻は叩き殺しても死なぬような頑健、原田は持病の痔疾を根治してから見違えるように丈夫になって、例の闘志を以って張り切って居る。ただ松田一人が充分なる健康に恵まれず、最近黄疸をわずらい又腸をそこねて元気がない。摂養加養してことしこそ彼の天分を十二分に発揮させたいものである。
A級戦では僅かに四局のうち、二局の千日手を生じた。板谷松田の一局が過日の名人戦第五局と寸分違わぬ局面を生じて、千日手となった。大山坂口戦も同じ腰掛銀で千日手となった。いよいよ腰掛銀はこの意味に於て再検討せられる運命となるのであろうか。
ことしのB級戦は、十人近くのものが陥落する苛烈なもので、おさおさA級戦に劣らぬ興味−と言っては気の毒ではあるが−あるものとなるのであろう。全棋士必死の緊張ぶりである。五十嵐、梶がすべり出しよく、三勝して居る。尤も梶は毎年はじめの三四局は勝つが間もなくバテる習性の持主であるから、やがて得意の大ポカを演ずるであろう。之に続いて加藤(博)、と建部が二勝、大野は加藤に、高島は五十嵐に一敗を喫した。松浦が三敗して荊の道に踏み込んで居る。斉藤は二勝二敗、去年のようには行かぬらしい。待望の灘と広津は一勝一敗だが、五十嵐や加藤に負けるのはいたし方もあるまい。
ことしの優勝者三名は陥落組の四名と加藤が本命的に予想せられて居るが、梶、松下、大和久、金高、京須などの筋金組から一人位飛び出すかも知れない。萩原、小泉など、いささか老境に入ったヴェテランの運命が気遣われる。
C級T組では清野が二勝してトップを切って居る。優勝第一位はどうやら彼のものらしい、山中、岡崎の二敗は大阪陣に取って悪い辻占である。折角進級はしたものの直ちに陥落が予想せられる吉田がけふ下平と戦って優勢であったが惜しくも敗けてしまった。
C級U組では新人の二上が果して素通りに罷り通るか否かが興味を持たれて居るが、過般松田(茂)に角落で苦もなく負かされた手並ではどうか。野村がはるばる東上して、二連敗を喫して居る。年のせいで気の毒である。
順位戦以外の将棋即ち棋士の謂う所の「自由将棋」は各紙夕刊(朝日は順位戦を掲げている)、地方新聞、雑誌等十指を屈するに足るほどあるが、そのうちで最も大きいものは読売の九段戦と毎日の王将戦である。王将戦はどうしたものか今春以来休載となって今以って契約も出来ない様子だが、九段戦は南口が優勝して、九段を賭けた大山との決戦五番、引いて優勝と木村との七番勝負が行われ、名人戦終了後の棋界を賑わすであろう。
こんどの九段戦は一般の予想もせぬ経路を辿って金高と南口が優勝を争うこととなった。金高は順位戦で負け越して居り、南口は二勝八敗してA級をすべったばかりであるが、金高は升田を破り、塚田を射止めてファンを驚かした。南口も勝運に恵まれて最後に丸田を破って居る。しかもこの二人の決戦は二百手にものぼる凡局ではあったが、最後迄金高が優勢であった。この二人とも充実した棋士であり、その善戦には最大の敬意を表するが、かかる結果は主催新聞社の予期し、待望したものとは凡そかけ離れたものであろう。トーナメント制の然からしむるか、それとも単なる時の成り行きか、それとも他に因由があるか。一考を要する処であろう。それは兎も角も、南口はこの一戦に大山に勝てば九段になり、当然A級に復帰するわけであるが、既に二敗してその望は極めて薄い。
強 震
過日日本将棋連盟に強震があって、総会が紛糾し、流会したが、過日後に再開した総会には、土居、金、木村、金子などの長老が残らず出席して、まあまあと言うことになって、幹部側の提案が無事通過して、事無きを得た。まことに結構であったが、昭和十年の棋界分裂当時この方の紛糾であったと言う。
当面の問題は改選の役員をいつもの通り会長の指名に一任すべしとする幹部案に対し多数の会員が投票を要求したのであった。小学校の級長や委員を選ぶにさえ投票を行うこの時世に、いかにもおかしな事ではあるが、それはいろいろな意味や経緯もあるであろう。
禍難は隆昌の狸に萌すと言う。避けられぬことであるかも知れないが、今こそ大事な時である。他人を交えぬ同僚丈の団体である。各自心して団結を頑固に一路黄金時代の招来に邁進したいものである。この二三年来ともすれば連盟に不安な空気が潜在するかに思われる。一昨年と昨年に既に弱震と微震があった。この二つは外部的なものであったが、こんどの内部的なものであったが、こんどの強震は無事に収まって何事もなかったが之は寧ろあった方がよかったとも謂える。諺に「雨降って地かたまる」と言う。当局も以外のものも、一層物事に注意するであろう。既に会員中より各級を代表する委員が出来て、常時幹部側と意志の疎通を計ることになった。又会内に普及部の設けられたのも之を契機としたようである。結構な事である。
この一文を書くべきか否かについては私も甚だ迷ったのであるが、天下の愛好者に対して内秘すべきではないと思うと同時に、一昨年の弱震に際し、王将誌上に「棋界に黒雲張る」と大々的に警告されながら逆に何等の発表も行われなかったため、読者の不審を惹起し、しばしば質問された事もあるので、問題の一端をここに掲載して併せて棋士諸君の留意と自覚を望む次第である。
北村研一君逝く
今看寿北村研一君が二十九才を以って忽然として長逝した。惜しみて余りある早世であって、詰棋界の損失之れより大なるはない。
十余年前詰棋界は掛け替えのない大天才渡辺昇君を失いとみに寂寞を感じたのであったが、幸いにもこの掛け替えはあった。これが北村君である。君は現下素玄を通じての第一人者であった。今又此一人を失う、嘆きても嘆き切れない損失である。
君の遺した業績は大きく尊い。永く詰棋の歴史に伝わって後人を啓発つるであろう。殊に今次看寿賞を得た長篇「槍襖」や、先年「将棋とチェス」誌上に発表した宗印の成らず百番の第百局を補正した力作の如きは永久に青史を飾るであろう。
君は大天才であったが、又偉大な努力家でもあった。君の如き天禀は或は再び見られるであろうが、君の如き強烈な詰棋に対する情熱の持主は今後容易に見られないであろう。永く病と闘いながら、十分間の安息、十分間の思案を続けて数々の力作を残した、この情熱は何者にも比すべくもなく尊い。
君は明朗な、邪気のない、温かい、世にも稀なすぐれた人柄の持主であった。惜しみて余りある人格者であった。今や此の人なし、誰か憮然たらざるを得べき。
パラダイス誌の企画に依る表彰が、その永眠の五日前に通知されたことは、せめてもの慰めであった。あとに遺された母堂や令姉のせめてもの喜びであった。よい功徳であった。
何とか、全詰棋界の協力に依り、君を記念し、君の霊を慰むべき事業か行事を営む方法はないものか。
謹んで冥福を祈る。
-------------------------------------------------------------------------------
北村氏の追悼記事の中で、渡辺昇とあるのは、渡辺進の誤りだと思う。
しかし、中島氏は名士だけあって、弔辞のようになっていて、中々良い文章だと思います。

1