旧パラを検証する155
第十三号 4
類似作品について 渡辺一平・・・渡辺氏の作品の類似指摘に対する反論。その作品の未発表の姉妹作を紹介。
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棋界春秋 盤側三十年〔二〕 中島富治
名人戦
いよいよ待望の名人戦がはじまった。この稿が読者の座右に届く頃には多分第四局の終って居るであろう。
升田の登場によって、名人戦あって以来の名人戦となった。将棋あって以来の大棋戦として全世界を沸騰させて居る。どちらが勝つか。開始に先立って、下馬評はしきりであった。東京方面では、木村勝ちとするものが圧倒的で、三対一か、或は四対一位の比率であろう。関西では升田一色だと聞く。そうもあろう。新聞や雑誌の予想も区々で、毎日新聞が七分三分で木村勝と書けば、朝日の棋士座談会では四対二で升田勝と断ずる。東京タイムズの木村談によれば、木村が双葉山なら升田は九州山位のものだと思い切ったことを書いて居る。升田はあまり豪語せぬようだが、木村はいろいろの機会に恐ろしい自信を披歴して居る。木村が恐ろしく元気だと言うのは之を伝えるのであろう。東海道筋の一木村ファンが百万円を賭けて東京側に五分売って来たと言ううわささえある。木村が勝ったら百万円よこせ、負けたら百五十万円渡そうと言うのである。到る処に「かけ」が行われて居る。いくら東京でも、少し将棋のわかる者の間には升田に乗るものがかなり多い。玄人は立場上言明を避けて居るが、升田勝と断ずるものの方が多いようである。殊に若い棋士に於てそうである。
このような騒然たる雰囲気のうちに既に三局が戦われた。
第一局は三月十九日東京高輪の旅館『泉岳』で戦われた。
駒を振って木村の先番。いつもながら木村はくじ運の強い男である。
木村先番を利して多年経験の筋違角を打ち彼独創の四六歩と突けば、升田新手三五角を打って敵の策戦のうらをかく。この角は何人も想像せぬ奇手で、その善悪得失は今後の検討に俟たねばならぬが、この角打を僅に四分間の考慮で打った処に彼の天分豊かさが見られる。その後互に疑問の幾手があった。
升田の五三角引、続いて六四角出は餘に急激な一本攻めで、指し過ぎの感があり、局勢を損じたようであった。それにしても木村が四七金と出て、この金を右辺に都合よう活用した妙味ある手法は流石とうなずかれるものがあった。かくして木村幾分の優勢を示したが、何事ぞ、三四歩を逸して、三四桂と打ったには驚いた。三四歩では手遅れと誤断したのであろう。時間に追われておった結果であろう。升田はこの一手で、この将棋は勝ったと思った言うが、正にその通りで、この一手以後木村に勝筋はなかった。それにしてもこの際の升田の防戦のうまさは格別で、三三歩、四四銀など滋味掬すべきものがあった。かくして棋勢は一方的となり、升田が八三飛と打って八四に引き成った時、この将棋は終わったのであって、各社のカメラマンは木村投了の一瞬をのがすまいとカメラの放列を布いたのであったが、木村が五七に玉をかわした瞬間、何事ぞ、升田突如として、又猛然として八九龍と桂を取った。動いてはならぬ龍を忘れて動かしたのである。木村すかさず五二馬と金を取る。升田又もやノータイムで同玉と取って万事休す。即詰を喫した。之は前代未聞の大ポカで、所謂「ここせい」である。錯覚も亦甚だしい。次の五二馬の時でも即詰に気が付けば七一玉と逃げて即詰はなく升田の勝である。勝負を見るものも、聞くものも唖然として言葉も出ぬ終局であった。流石に、日頃局後の検討では強弁して人に譲らぬ木村も「全く僥倖でした」と語って居る。升田はどんなにか落胆して、今後の対局にも影響するであろうかと思いの外、彼は平然として、どうもこの将棋をはじめから闘志充分に起らず、将棋にひたる気持がぴったりしていいでしょうと苦笑して居た。
第二局は四月三日東京芝白金の般若苑で升田の先番で戦われた。この将棋は不思議な将棋でいろいろのレコードを残した。升田の七六歩に対して木村は三四歩と突くに六十五分を費やした。二六歩と突かず、七六歩とあけた升田の意図を測りかねて、いろいろ思索したものであろうが、近頃のレコードであつた。又、木村の残り時間二十七分に対し、升田は六時間を残した。之もレコードである。又、升田の一方的な勝利となって、木村は世俗に謂う処の「王手一つせぬ」将棋に終った。之も近頃のレコードであつた。又、升田は戦線に銀を参加させず、飛角桂丈で攻めつぶしてしまった。之も珍しい将棋であった。
木村は多年経験して、殆んど負けたことのない中飛二枚銀戦法を採ったが、升田独創の手数を節した逆美濃に会って、戦線の展開思うに任せず、升田の跳梁に任せて、無残な敗北を喫した。之と謂う悪手を指したわけでもないが、要するに策戦負けであった。大山は六五歩と挑戦して桂を交換したのが敗因だと言い、その他の高段者も、この六五歩の代わりに六三金と上がって居たらと言うが、他人の批判を肯定することの嫌いな木村は之に就いては一言もせず、四四銀が敗因で、四二銀と引いて置けば勝負であったと言って居る。之に対して、大山その他の高段者はだめだと断じ、坂口の如きは、こうなっては敵の間違えそうな手を指すが本当だから、四二銀よりは四四銀の方がよちと言う。升田快心の一戦ではあったであろうが、餘りに一方的な戦で面白い将棋ではなかった。ただ颯爽たる升田将棋の片鱗を見得ただけのものであった。
第三局は一勝一敗のあとを承けて四月十八日宝塚沿線売布神社前松楓苑で戦われた。
先番の木村は、升田の意表を衝いて、又もや指し馴れた筋違角を採用した。第一局に何か飽き足らぬものを感じ、構想を新たにしたのであろう。この日木村は、前二局と異り、長考を重ねることはなく、すらすらと指し進めたのに対し、升田は慎重を極めしばしば長考したが、どうしたものか、棋勢思うままに推移せず、苦吟するかの如くであった。九四歩に対して敵が九六歩受けぬので、意地になった九五歩と突いた一手が疑問であった。この一手が爾後の棋勢の展開が阻んだのではないかと思われる。続いて百分餘りの長考の末決行した三五金が甚しく疑問の一手であって、第一日既に幾分指し悪くい局面となった。爾後力闘を続けるこの百十合、前二局に比して幾分面白い将棋ではあったが、升田の玉の位置が餘りにも悪いため、血闘の機会なく、既に終了した。升田に取って徹頭徹尾、勝負処のない将棋で、彼の最も得意とする序盤の作戦にいつもの光彩の見るべきものなく、彼としては不思議な拙戦であった。之に対して木村の応酬は巧緻を極め一点の緩みもなく完全な勝利であった。第二局のあと某八段は彼の将棋を評して、C級の将棋だと言ったが、この一局は名人将棋の真髄を発揮して餘りあるものであった。
以上三局、いづれも、お義理にも名局はおろか好局と呼ぶことも出来ないような将棋に終った。あまりの緊張によるか、それとも他に原因があるか。行く百万のファンが見守って居る空前の大将棋戦であるから、今少しよい将棋が出来たらと思う。とは言うものの互に一歩も譲らぬ自信に満ちあふれた大棋士の対戦であるから、生れた将棋の出来栄えはとも角、二人の心裡の動きには吾人の想像を許さぬいろいろの真剣なものが絶間なく往来して、眞に骨身を削る労苦を重ねて居るであろう。天才棋士として令名ある七段大和久が、つくづくと語る。「私が対局して、しみじみ強いと思った相手、全身全霊がうつろになるような相手は木村名人と升田さんであつた」と。それに違いはない。この二人の死闘がこの名人戦である。今後の幾局は如何なる場面を展開するであろうか。
こんどの名人戦では、私は思ふ処あり、わざと対局場に臨まず、朝日新聞の対局解説者室に籠城して、原田、松田、加藤(博)その他の高段者の熱心な研究に耳を傾けて居た。時々刻々に指手と共にほほえましい対局場の情景などもはいって来て、面白いことこの上もない。例えば第二局升田の二一龍に対して、木村が五一歩と打った時、升田がクスクスと笑ったと伝えて来ると、すぐあとから、クスクスではなく、アハ・・・と大きく笑ったと言って来る。時間に追われて居る木村が、自分の手番に席を立って庭に出て居る、この間に時間に心配のない升田が一人盤にかぶさるようにして読んで居るなどなども伝えて来る。このへんの楽しみを多くのファンにお裾分けしたいと思いながら、対局場の情景をああかこうかと想像して居る。
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前号に続いて棋界改革を論述する筈であったが、折柄順位決定戦が終了し、名人戦もはじまったのでこの方を先にすることにした。
(一)順位戦総まくり
九ケ月に亘った順位戦もC級甲組二局を除いて全部終了した。何がさて、すべて三百八十五局、しかも東西交流の大仕事とて、そと目には何をぐずぐずして居るかと思われるが運営の当事者としてはなかなか骨の折れたことであろう。
A級の優勝者は万人の予想通り、大山、升田の決戦となったが、升田快勝して、名人挑戦権を獲得、宿願を果して、今名人戦に臨んで居る。この大山、升田の一局は事実上の名人戦として全棋界注視のもとに戦われたが、升田の力攻功を奏して、一方的な、あつけない将棋であつた。大山の不出来な将棋ではあつたが、升田の実力と特色を十二分に発揮した快心の一局であつた。特にあの緊要な六五歩を考慮僅かに八分間で敢行したあたり、彼の天分の豊かを示して餘りあるものであつた。
A級戦は連年とこの二人の跳梁に任せて、名人挑戦権はこの二人の格闘を見るばかりで東京側はいづれもつんぼ座敷で拝見して居るに過ぎないのはいかにも不甲斐ない次第である。この分では、もし名人位が箱根を西に越えた場合、棋風の対照的なこの二人が大阪に頑張って居る限り、名人位を東京に奪還することは容易な業ではない。塚田以下、特に東京側の新若手の奮起を望まざるを得ない。
この二人が飛び抜けて勝つので、あとの連中の勝敗など餘り人の口にものぼらぬようであつたが、そう見くびったものでもない。殊にB級陥落組の予想など仲々興味深いものがあつた。
第三位は七勝三敗の丸田、第四位は六勝三敗一持の坂口となつた。坂口は三年も将棋を遠ざかって居たので、素人も玄人もあまり重きを置かない様子であったが、強いものはどこまでも強い。にも係わらず之を幸運な成績とし、ことしの興味は彼がどれほど負けるかにあると言う棋士も居る。私は彼が更に躍進して挑戦権に近付くであろうことを信じ且つ希望して居る。彼の人知れぬ精進を知って居るからである。丸田は徐々に充実を示して居る。之に次いで、高柳が六勝四敗、塚田が五勝五敗、塚田のスランプは永い。一時二勝四敗で、陥落さえ懸念されたが、流石に、そのような心配はいらぬ大棋士である。が、最後の丸田との一戦を失って、王将決定戦参加権を高柳に譲ったのは大きい。ことしは彼の充分な活躍を見たいものである。いかに不振とは言え、彼が名人戦候補の一人になることに異論を唱えるものは少なかろう。棋界最強者五人、木村、升田、大山、坂口、塚田のうち、終戦後他のだれにも負け越して居ないのは塚田ただ一人である。丸田は上強豪に最も接近せるもので、或は既に之に伍して居るとも見られ、東京側のホープであるが、吾人の最も遺憾とするは彼が連盟の会計部長として日常雑務に没頭して、一生の最も大切な時機を逸していることである。彼自身は勿論、連盟の当局も、棋界のため三省すべきであろう。高柳は当初陥落を予想された一人であったが尻上がりに勝ち続けて六勝四敗、A級の上位も占めて、王将決定戦に参加するに至ったのはえらい。しかし戦局のうち、大山との一戦は全然勝将棋であった。升田との一局も優勢であつた。彼の今次の成績を目して幸運の賜とし、ことしは陥落のうき目を見ることであろう言う棋士もあるが、最近の充実は見るべきものがあり、漸く大棋士の要相を帯びて来たように思われる。いづれにせよ特異な棋風と相俟ち、前途が嘱目される、あと一人は、高島か板谷かと云ふ際どい場面であったが、高島が病気のため丸田との一局を捨て、不戦敗となったため、板谷が残ることとなった。板谷は三勝六敗一持で、この半星がものを言ってA級に残り得たのである。結局B級に陥落する四人は高島、大野、南口、五十嵐にきまった。万年A級の大野も、遂に勝利あらず、陥落のうき目を見た。素人玄人を通じて惜しまれ、痛嘆されて居る。最後の丸田との一局に錯覚によってむつかしくもない即詰を逸してA級を失った。相手の丸田は投げようかと思ったが、大野が、しきりに「詰まぬ詰まぬ」とくりかえして居るので、じっと辛抱して居たら、果して大野が間違えたのであった。流石勝負に「てんたん」な大野が、わめいて残念がったと言うが、無理もない次第であった。よくよく勝運に見放されたものである。ここに聞き棄てならぬ一事がある。それは此際特別の措置として、大野をA級に残そうとする連盟内一部の動きである。連盟にも人あり、まさかと思うが、驚くべき知性に欠けた物の考え方である。このようなことで、どうして勝負の世界の掟が守って行かれようか。私情は察するが、とんでもないことである。土居でさえ一回の不振で陥落して第一線を退いて居るではないか。かかる低劣なセンスを持って居る高級棋士幾人の尚存在することは嘆かわしい。又之を甘受する大野でもあるまい。高島の病気は惜しまれる。速かな回復を祈ってやまぬ。南口は最初から陥落を予想された一人ではあったが、善戦して相当な充実を見せたことは多くのA級棋士の証言する処である。今後の奮闘が期待せられる。五十嵐は全然一般の予想もせぬ処であつた。之にはいろいろ原因もあるであろうが、いつも言う通り、あまり急速に躍進した棋士には有り勝ちなことであって、先年の原田同様、天の与える試練である。之れあってはじめて、もやしのような将棋に筋金がはいるのであって、むしろこの苦杯は願ってもない結構な體験である。最年少の八段で、未来の名人と太鼓判を押されて居る彼の将来に取って何等懸念すべきではない。
以上陥落の四人は、いづれも錚々たる実力者で、A級復帰は易々たるものであろう。かくして、現にB級に在るもののA級突入は今後いよいよ困難となるであろう。
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B級では、原田と松田が、興望をうらぎらず、十一勝一敗の好成績を以て、悠々として難関を突破した。実力の然からしむ処で当然中の当然である。由来B級は棋界の泥沼と呼ばれ、一度之れに陥れば再起不能とせられ、事実今迄に一人の再起したものが無かったのである。之をいとも容易に克服した原因の充実はすばらしい。松田の鋭脱は餘りにも遅かったので、何等賞すべき業績ではなく当然の進出である。この二人の進出によってA級は甚しく充実した観がある。いづれも名人候補で、今後の活躍が見物である。
最初、A級入りの三人は、この二人と加藤(博)と予想されたのであったが、加藤は夙くから四敗して、絶望視されて居た処、好調の斎藤と荒巻が共に四敗したので、浮かび上がって三人の決戦となり、この決戦が三人同成績の三すくみとなって更に決戦することとなり、抽せんで荒巻幸運な不戦となり、加藤、斎藤の一戦に加藤あえなく敗れて、ここに荒巻、斎藤の最後の一局が戦われた。
この重要な一局を観戦したが、斎藤幾分策戦まけの気味で、又固くなって居た。盛岡からの激励電報が届いて、彼の地元の緊張が感ぜられた。結局荒巻の勝利に終わって、もつれた金星を得て、A級と八段を同時に獲得した。彼の喜悦思うべしである。之に反して張り切った斎藤の落胆は見るも気の毒であった。荒巻はもともと強い棋士であるが、中途環境や心境好ましからず、C級乙に沈んで居たのであったが、漸次回復して実力を発揮し得るようになった。それでもことし八段になろうなどと最初から予想したものは一人も居なかったであろう。今後努力精進して石にかじり付いてもA級を堅持せねばならぬわけである。之れで故人花田は四人の門生のうち、一人の名人、二人の八段を産出したわけである。あと一人はこんどB級と七段を獲った広津である。塚田は不振であるが、坂口も相当な成績を示した。ことしや花田一門の当り年でもあったか。
斎藤のカムバックは我々の予期せざる処でB級八段のために万丈の気焔を吐いたものである。最近環境もよくなり、健康も以前にまさる程になって、闘志満々たるものがあり、対局の態度も真摯そのものであった。彼の善戦を賞すると同時に、このヴェテランの活躍を許したB級の若者ども腑の甲斐なさがなさけない。加藤は松田、原田と共に優勝を予想せられたものであるが、どうしたものか大事な将棋を勝ち切れぬ処がある。からだの弱いせいばかりではなく、神経的な処があるのであろうか。名人の資として期待される彼に一抹の不安を感ずるものは私一人ではあるまい。自重して且つ心壮なれ加藤!
B級の中には強い、充実した、筋金入りの古つわものが十人近く居る。A級何者ぞと、之を尻目にかけて居る連中である。梶、松下、大和久などはその尤たるものである。之等が悉く指し分けて居る。不思議な現象である。新にB級に昇入した花村は七勝五敗、富沢は指し分け、まづ順当であろう。最初陥落かと見られた山本が尻上がりに連勝したのは流石である。北村も陥落候補の一人であつたが指し分けまで漕ぎつけた。天分のある棋士ではないが、熱心と努力の賜である。彼は闘志はものすごい。B級八段では村上が善戦して指し分け、萩原、建部は陥落の危険にさらされたが、流石に四勝して辛うじて危機を脱した。あわれととどめたのは、小泉と北楯であった。中井が陥落ときまつて、あとの一人は小泉か北楯かと言う瀬戸際に立った。北楯は二勝九敗、小泉は二勝八敗一持で、各々最後半星の差で陥落を甘受した。このへんの棋士の心裡はまことに微妙である。それにしても、萩原、小泉、北楯、建部などの不振はどうしたものか。萩原は名人の資とも謂はれた。小泉の将棋のうまさは定評のある処、建部は若くして天分をうたわれたもの、北楯は二年もA級に頑張ったもの、いづれも不思議な精神的な不振である。北楯は流石に名を惜しんで、勝負から足を洗うと言う。尤もではあるが、惜しまれる。
序で一言して置きたいことがある。今回B級八段八勝四敗者三人の間に五局の決戦が行われたが、八勝四敗と言えば百点満点で六十六点六分である。この程度のものを手数をかけてA級に入れる処もあるまい。今回は規定の結果だからいたし方もないが、今後は九勝三敗(七十五点)以下のものは昇級を認めず、従って、それ丈け上からの陥落者を減ずることにしては如何。多少でも、八段濫造を防ぐ方途にもなる。
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C級十七人。灘と広津が抜群の成績で優勝にきまった。灘は大阪側のホープである。大阪側はA級に優勝ではあるが、B級に於ては東京側に拮抗すべくもない現状に於て、彼のB級入りは意義深いものがある。期待された大天才ではあるが、彼の早指しがなおらぬ限り花村と同じく大棋士になり得ないであろう。広津は、十で神童、十五で才子、才子に過ぎて、いつでもうだつが上がらず、このままローズフに終わるかと思われたが、漸く芽が出て来たようで、師匠の花田もあの世でいくらか不明のそしりを払い得て喜んで居るであろう。
期待された清野ははじめの勢はどこえやら辛うじて勝ち越した。いくらか天狗になったせいでもあろう。山中は又もや機会を逸した。このへんで抜けなければ、万年六段になるであろう。岡崎、本間、橋爪が好調であった。橋爪が連年相当な成績を挙げているのはえらい。藤内老人の指し分けはえらいと同時に他の若い連中の不甲斐なさを示すものである。神田御曹司はまだまだと言う処である。若い下平の不振は困ったものである。境遇上将棋に専念し得ないのが可愛想である。星田の不振は案外であった。石川と間宮はそろそろ影が薄くなった。野村と畝が陥落するようだが、年のせいでいたし方もあるまい。
C級乙組十三人。この中にはアマチュアが三人居る上に、素人にも負けそうなのが二三人居る。それで八勝三敗以上の成績を持ったものが一人も居ないのだから、以って「どんぐり」程度を知るべきである。熊谷、増田、二見などの若いものの三省を要する。優勝は結局八勝者四人の決戦によって吉田と二見が昇級することとなった。吉田は棋士生活二十五年にもなろうか、土居門下で梶や松下の先輩である。天分に恵まれぬものであるが勤めて怠らなかったおかげで、漸く六段になった。本人の満足さこそと、永年知り合って居る我等もうれしい。二見は最年少者で今後に期待される。鈴木、角田も今一歩の処で機会を逸した。熊谷、増田の逸機は気の毒である。
このクラスに俊英が充満するのではなければ明日の棋界が案じられる。
(四月二十日稿)
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木村VS升田の名人戦で、当時すごく注目されました。筋違い角が3局も出た、珍しい名人戦でした。ただ、内容は大差の将棋や悪手連発の将棋が多くて、中島氏も言っていますが、物足りない内容だったと思います。結果は4勝2敗で木村名人が名人位を防衛しましたが、高野山の一戦と、ここで升田が名人にならなかったことが、その後の将棋界の歴史を大きく左右したことは間違いないと思います。

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