旧パラを検証する140
第十一号 9
詰将棋学校は二上先生の作品から紹介しましょう。

72金、同銀、62と、82玉、72と、92玉、93飛、同玉、82銀、84玉、85香、74玉、A73と、同桂、75歩、同玉、66金、74玉、75金、同玉、57馬、74玉、66桂、75玉、54桂、74玉、B73銀成、同玉、46馬、64角、同馬、72玉、83香成、同玉、75桂、72玉、83角、81玉、82歩、71玉、C53馬、82玉、71馬、同玉、62香成、82玉、72角成、92玉、83桂成迄49手詰
A73銀成〜B73とでも良い
C63桂生、同桂、81歩成、同玉、63馬以下余詰
担当 大橋虚士
☆仲々難解との評多く、七手目目九三香は詰まない。以下八五飛、七四玉にて詰まず、六四飛、七四香合にて詰まない。仲々の佳局と思います。
☆諸氏の評
〇市田霧山「九三飛打は本局の盲点、歩の役目を飛で打たせた点、英断そのもの、本局は大道棋的色彩ありといいたい。」
〇大井美好「本局引きしまつた細かい味のある佳作、九三飛捨妙、六四角合の伏線等」
〇工藤紀良「九三飛⇔八五香には何か不可思議な芳香が漂うている様な気がする。」
〇三好泰造「難局」
〇野崎雅男「流石玄人の作と感心」
〇須針喜一郎「色盲になりはせぬかと心配した」
〇村木徳「1八五飛と打つてみて又逆もどり、2藤吉の二番より上をゆく」
〇形幅清「九三飛はハハアンと思つた」
〇工藤澄夫「詰将棋飛車より香を可愛がり」
〇平戸哲朗「九三飛が解決の好打」
〇小林淳之助「本局誘手が多い。九三飛の所九三香の順もかなり詰筋らしい様相を呈している。玉方六八歩があるため作意の全貌を捉える事ができた」
〇竹中敏雄「十三手目は先に七三銀成として二十七手目を七三とと手順を後先に振り替える事も出来る。
〇大熊正「終盤六四角の妙合駒」
〇堤浩二「九三飛打は盲点だが、この種の合駒強制作品は創作する人にとつては重労働でも解く場合はあつけない。もつと難しい作品を望めないものだろうか」
〇宮本兼利「駒捌良し」
〇内山精一「七筋に於ける攻防の綾面白し」
▼解答者総数 一〇七名
▽B題正解者 五五名(51%)
★今だとこの93飛の筋は最も簡単に飛先飛香を実現出来るパターンとして良く見ますが、この当時では新鮮でした。その後も57金を消去したり、66桂〜54桂とする伏線は面白い順で、64角の捨て合〜71馬捨てまで力の入った中編です。
★A〜Bの手順前後は竹中氏も指摘していますが、痛いところです。ところで、平成版「将棋魔法陣」の補遺4番では73銀成以下の手順が作意で、作意順が手順前後順とされています。C順の余詰順があるのが惜しまれる作品です。

次は奥薗氏の作品を紹介します。
A55角成、44歩、B33香成、21玉、C22歩、同銀、同成香、同玉、34桂、31玉、42銀、21玉、22桂成、同玉、14桂、同香、34桂、イ21玉、22歩、11玉、12歩、同玉、13歩、11玉、21歩成、同玉、22桂成、同玉、12歩成、同玉、56馬、45歩、13香、21玉、22歩、同玉、55馬、44桂、12香成、同玉、45馬、ロ11玉、12歩、21玉、22歩、同玉、23銀成、21玉、11歩成、同玉、12成銀迄51手
A33香成、21玉、13桂、同香、22歩、同銀、同成香、同玉、34桂、31玉、42銀、21玉、22桂成、同玉、33銀上成、11玉、12歩、21玉、22歩、12玉、24桂、11玉、21歩成、同玉、32桂成、12玉、22成桂迄27手詰。早詰
B14桂、同香、33香成、21玉、甲13桂、11玉、12歩、同玉、56馬、45桂、23銀成、11玉、12香迄15手詰。早詰
C13桂、同香、22歩、同銀、同成香、同玉、34桂、31玉、42銀、21玉、22桂成、同玉、33銀上成、11玉、12歩、21玉、22歩、12玉、56馬、45香、24桂、11玉、12香迄27手詰。早詰
イ11玉は12歩、21玉、22歩、12玉、13歩以下作意順に還元する変同
ロ21玉は22歩、11玉、12歩、22玉、23銀成以下作意順に還元する変同
完全なら好作でしたが、早詰が沢山ありました。担当は麻植鉄山氏ですが、B手順の早詰紹介し、B手順中甲で22歩以下の早詰に言及してしますが、早詰手順中の余詰順は意味があるとは思えません。そして早詰順についてしか書いておらず、作品の解説は全くされていませんでした。早詰でボロボロとはいえ作意は面白いので解説してみます。
初手55角成とし、その馬で質駒の56香を取るのが第一の目的です。形からいって12玉の時に56馬と質駒をとることになりそうですが、22で銀を精算して入手した後34桂〜42銀という包囲網を敷くため、34桂が邪魔で王手で56馬と簡単には取れません。

12手目途中図1の局面で22歩は12玉で34桂が邪魔で56馬と取れません。又、13歩も打歩詰で打てません。したがって打開順はここで22桂成〜14桂です。14桂を同香と取らすことにより、再度34桂と打った後の18手目途中図2の局面では、11香が14香になっているので、22歩〜13歩と打てます。

何のために13歩を決めたかというと、34桂を消去した後に12歩成として56馬と取れるようにするためでした。56馬と最初の目的を達成しましたが、次の目的は馬筋を通して詰ますことです。玉方としても馬の王手に対して高い駒は打てませんから、45歩合と先ずします。次に13香〜55馬とすると、44歩が2歩なので44桂合しかありません。44桂合としたので、43香の効きが遮断され12香成〜45馬取ることが出来、以下は手順の詰みとなります。
34桂の繰り返しと更にその後の馬の活用を絡めた順は見事で好作だと思われましたが、A〜Cの早詰順があり、ボロボロでした。
次は野崎氏の作品を紹介します。

96金、同玉、A99香、97歩、同香、同玉、98龍、86玉、B78桂、同と、87歩、同成桂、同龍、75玉、67桂、同と、76龍、64玉、65龍、53玉、63龍、44玉、56桂、同と、36桂、同と、43龍、55玉、45龍、66玉、56龍、75玉、76龍、64玉、65龍、53玉、63龍、44玉、43龍、55玉、45龍、66玉、65龍、77玉、67龍、86玉、87龍、75玉、76龍、64玉、65龍、53玉、63龍、44玉、43龍、55玉、45龍、66玉、65龍、77玉、C76龍、88玉、78龍、97玉、98龍、86玉、87龍、75玉、76龍、64玉、65龍、53玉、D 63と、44玉、45龍、33玉、43龍、22玉、23歩、12玉、13歩、同玉、14歩、同玉、36角、同香、E25銀、13玉、14歩、12玉、22歩成、同玉、13歩成、31玉、41龍、同玉、43香、51玉、61歩成、同玉、72と寄、51玉、62と迄103手
Aで63角成、85歩、同馬、同金、97歩、95玉、96香、同金、84龍迄11手。早詰
Bで87歩、同成桂、同龍、75玉、84龍、同玉、83と引、75玉、74と、85玉、84飛、96玉、88桂、97玉、89桂迄23手。早詰
Cで75龍も可非限定
Dで63龍、44玉、43龍、55玉、45龍、66玉、65龍、77玉、75龍、76歩、(88玉は89歩、97玉95龍以下)同龍、88玉、78龍、97玉、98龍、86玉、87龍、75玉、76龍、64玉、65龍とする迂回手順的余詰あり。
Eで15銀でも良い非限定あり。
この作品も担当の麻植氏はA63角成の早詰順を書いただけで、解説はしておられません。なので、少し解説してみます。9手目78桂としてと金を動かしておくのが、龍追いを可能にする捨て駒です。(実際は87歩で早詰ですが)15手目67桂とした時、66とでしか取れなくて、76龍と追えるようになります。19手目今迄の流れだと56桂なのですが、54角に紐が付いていないので、54玉と取られてしまいます。そこで一工夫して、63龍と紐をつけて45玉の時に56桂とするのです。更に36桂として4桂を4枚のと金を逸らす為に使用しました。45龍以下の復路の手順が変わった手順です。30手目66玉の局面では、56とがあるので、65龍と追うとと金が効いているので、56龍とと金を剥がして角の周りを1回転して、42手目66玉の時に65龍と追えるようになります。以下同様にと金の守備を外す為にと金を取って1回転する機構は今でも珍しい趣向です。以下と金を全て剥がして72手目53玉の局面の時に63龍では1回転するだけなので(実際はD手順の余詰がありますが)63ととして収束に入ります。最後は軸となっていた54角も龍も消えての鮮やかな詰みとなります。
往路で桂打ち捨ての龍追いをし、復路でと金を取りながらの龍追いになるのですが、その振れ幅が広がって行くのは類例が余りないと思います。
残念なことに不完全部分が多くて、今まで見過ごされて来た作品ですが、完全であれば野崎氏の代表作になっていたかもしれません。
麻植氏の担当はこの三月号で終り、次号からは名担当者として名高い土屋健氏が担当になります。麻植氏の辞任の弁を載せておきます。
辞任の弁 麻植 鉄山
今般都合に依り、大学の選者を辞任し、土屋健氏に引継いで頂くことになりました。在任中に各解答者に充分な御満足を与えられなかったことを更めて御詫び申上げます。
何しろ選者を引受けた当時は職に就いていなかったので時間的に恵まれていましたが、入社後昼は外勤で一日中走り廻り、疲労して帰宅後、夜は新聞将棋欄の原稿整理に追われ、大学の選は日曜日にするという有様で、一人三役の忙しさにかてて加えて、十月には妻とも離婚する等家庭的にも恵まれず落着いた仕事が出来ない為。各位の御問合せにも一々御返事を差上げられませんでしたが、何卒御許し下さい。
在任中の御協力を厚く謝し御挨拶にかえます。
★後の三百人一局集では、大学退任について次のように書かれておられます。
☆終戦直後「将棋芸術」「将棋青年」を出されていた安野芝堂氏から詰将棋欄の担当を依頼され、後に文通していた鶴田氏から詰パラ大学の担当を委任され、しばらくやっていました。
☆その内、谷向奇道氏が三代宗看の改作を投稿してきたので「掲載不可」と書き添えたのですが、鶴田氏はその図を掲載されたので、仕事が忙しくなったのを理由に担当を辞任し、鶴田氏と詰パラに決別しました。
★簡単に言うと退任の本当の理由は担当者の意向を無視して、没にした谷向氏の作品を採用したからのようです。作品の選題はどうやら担当者及び紳棋會(実際には鶴田主幹)が行っていたようです。これは、鶴田主幹時代の新パラでも同じ作者の作品を同じ号で載せないように予備作と入れ替えるという形で残っていました。

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