旧パラを検証する124
第十号 百人一局集 15
第六十六番
岸和田市筋海町五七九
会社員 二十五才
十級(当地棋界)
川崎 弘氏作

A24銀、同桂、23飛成、同玉、32角、22玉、33桂成、同玉、43角成、22玉、32馬、11玉、21馬、同玉、54馬、11玉、44馬、21玉、43馬、11玉、33馬、22金、23桂、21玉、31と迄25手
A12飛成、同玉、15香、13歩、23角、同玉、14銀以下早詰
24銀〜23飛成の筋が見えれば以下は簡単です。54馬以下はミニ馬鋸が入ります。22手目の合駒は作意は金合ですが、非限定なのが少し気持ち悪い所です。ところが、Aで12飛成以下の早詰でした。
川崎氏は盲点をつく不利感のある作品を多く発表され、先駆者でした。また、後世に残る構想作も多く残されました。詰将棋の論考や規約についても造詣が深く、多くの著述を残されました。大道詰将棋についても数々の画期的な改作を残されましたし、「銀問題の研究」「香歩問題新型の研究」も後世に残る論考です。作品集に「北斗」があり、作品や論考も入った読み応えのある作品集です。1950年〜2009年にかけて約200作発表されました。発表先も将棋世界・近代将棋・詰将棋パラダイス(旧・新)等色々な雑誌に発表されました。手数は3手〜57手で、短編〜中編を主に発表されました。平成20年に84才でお亡くなりになられました。
川崎氏は指将棋も好きで、将棋天国に古典定跡について書かれたことがあり、当時中学生だった私が将棋天国社に、川崎氏が触れていない変化について書いて送ったところ、川崎氏ご本人から、封書で直接自宅に丁寧なご回答が郵送されてきて、びっくりしたという思い出があります。それから四半世紀経って、詰将棋全国大会でお会いした時も、とてもご親切に対応していただき恐縮した記憶があります。
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第六十七番
京都市上京区南主税町一〇三三
無職 二十七才
二段
能村 荘一氏作

44龍、13玉、23金、同玉、34角、24玉、43角成、13玉、24龍、同玉、42馬、イ13玉、15飛、ロ14桂、同飛、同玉、15銀、25玉、17桂打、同と、37桂、16玉、43馬、15玉、25馬迄25手
イ33歩合は34飛、13玉、33飛成、23歩、14歩、同玉、25銀、13玉、22龍、(24銀、14玉23龍以下27手駒余りの順もあり)同玉、32と、13玉、31馬迄25手変同
ロ14香合は同飛、同玉、16香、(19香、17香合、同香、同と、15銀以下27手の順もあり)23玉、32馬、24玉、15銀、13玉、14銀、24玉、23馬迄25手変同
初手44龍は5手目22玉とされた時に42龍と取る為の妙手、そして33金を34角と打ち替えて、33龍と入れるようにする。34角と打ち替えたのは、43角成と空き王手をして24龍〜42馬と飛車を取る為で、この辺りの手順は見事です。問題はその後で、イ・ロの変化がいずれも変同でスッキリしません。この変化が割り切れていれば、17桂打〜37桂の跳ね違いで終わり、先ず先ずだったと思います。
能村氏は1947年〜1951年に9作発表作があります。掲載誌は将棋評論に4作、旧パラに3作、将棋とチェス・旧王将に1作づつで、手数は9手〜39手。密度の濃い中編が得意で、作品数は少ないものの好作を残しておられます。
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第六十八番
岡山県児島市味野三〇〇九
学生 二十二才
三級位
田中 道夫氏作

33龍、21玉、43角、12玉、34角成、21玉、23龍、22桂、12龍、32玉、22角成、同金、44桂、41玉、52桂成、31玉、42成桂、同玉、22龍、53玉、62龍、同玉、63金、51玉、52馬迄25手
☆田舎に住んでいるので先生に直接習ったことなし。評論、研究、世界等諸雑誌で学んだ。棋力も棋譜の鑑定をして貰いました。
★3手目いきなり23龍だと22桂合で詰まない所、43角〜34角成としてからの23龍なら12龍を見て詰むという作品。その部分以下は淡々と進みますが、最後の62龍でスカットする解後感の良い作品。
田中氏の発表作は本作品のみです。
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第六十九番
千葉市東本町九
無職 三十二才
二級
加藤 玄夫(ハルオ)氏作

52銀、42玉、A33歩成、同角、43銀生、イ31玉、52角成、ロ51桂、53馬、41玉、63馬、31玉、64馬、41玉、74馬、31玉、51飛成、同角、75馬、41玉、31馬、同玉、32歩、41玉、53桂迄25手
イで53玉は52角成、64玉、84飛成、65玉、54龍、66玉、57龍、65玉、54銀生、64玉、63馬迄
ロで51歩は53馬、41玉、52銀生、32玉、54馬、(31玉は32歩以下)43歩、同馬、31玉、53馬、42金、51飛成、32玉、42馬、同角、43金迄
Aで43銀生、31玉、52角成、51歩、(51桂は53馬、41玉、51飛成、同角、52銀成、32玉、44桂迄)53馬、41玉、52銀生、32玉、33歩成、同角、54馬、43歩、同馬、31玉、53馬、42金、51飛成、32玉、42馬、同角、43金迄余詰
3手目33歩成が後に32歩を打つための伏線手で、同玉で脱出されそうに見える(実際は83飛成、34玉、41銀以下詰み)ので指し難いかも知れません。更に43銀生も馬鋸後を見据えた伏線です。そして7手目52角成の時に51歩合とされた時は、ロの変化中32歩が打てて詰みます。従って、桂合が最善となり、以下馬鋸で75馬と歩を取る前に51飛成とこのタイミングで取るのが肝要で、先に75馬だと同飛で71に合駒を打たれて詰まなくなります。以下はこの筋の常用手段の31馬以下吊るし桂で詰み上がります。
ところで、この作品実は33歩成を省略しても、Aの手順で詰みます。単に33歩成の時期の非限定かと思いきや、51桂合だと早く詰んでしまうので、結局ロの変化に似たA手順で早詰みということになります。面白い作品だったので、残念なところでした。
加藤氏は他にも有田辰次・加藤稔・加藤俊介等もペンネームで100作以上発表されました。解答強豪としても知られていました。また、双玉詰将棋は初めて創作したのは加藤氏の双玉大道棋であるとも言われております。大道詰将棋屋をしておられたこともあり、発表作以外にも大道棋の作品は多数にのぼります。余談ですが、三百人一局集の作者のキャッチフレーズに「不完全ゼロの大記録」とありましたが、この作品は不完全でした。
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第七十番
京都市上京区一條通御前通西入ル大東町用部九六
棕梠製品製造販売 二十五才
棋段級 十級
石川 広氏作

34桂、12玉、24桂、同香、22金、同銀、同桂成、同玉、23銀、同玉、32銀、イ12玉、21銀生、23玉、32馬、34玉、46桂、44玉、54馬、33玉、34歩、42玉、32銀成、52玉、64桂、61玉、72馬迄27手
イで22玉は34桂、12玉、21銀生、23玉、22桂成、14玉、26桂、15玉、16馬迄21手
34桂から、ばらして行くしか手はありませんが、22金の精算の前に24桂、同香と抉じ開けて後の23銀を用意しておくところが肝要です。ただその部分を過ぎてしまうと、以下は流れ過ぎなので、私ならイの変化の22桂成、同玉、32馬、11玉、23桂迄21手で纏めたと思います。
石川氏は1949年〜1952年に7作発表作があります。発表誌は王将(旧)、旧パラ、将棋評論、詰棋界で手数は21手〜37手。読みの入った合駒入りの中編が得意で、合駒の無い作品は本作のみで、本来の作風とは違う作品かもしれません。

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