旧パラを検証する88
第九号5
主要古図式一覧表(補正)・松井雪山編・・・初代大橋宗桂図式〜将棋必勝法までの図式のタイトルを紹介。同時に不完全指摘と補正案も収録。久留島喜内を「幕府旗本ノ士」と書いてあるのは当時の定説だったみたい。(実際は和算家)「将棋攻格」を「家治公図式」と書き、局数も十二番(実際は百番)、内容も「殆ンド実戦型ナルモ、内一図ハ「逆向ノ七」」(実際は趣向作が多く、実戦型は殆ど無い)と今となっては誤った内容と思われますが、当時は原書が発見されておらず断片的に作品が伝わっていたからだと思われます。
『将棋駒競』(二)解説編選・松井雪山・・・駒競の四番〜六番までの紹介で、変化をとても詳しく書いてあって、読む気になりません。それでも詳細に読むと、四番・五番の変化で最善の合駒を見落としています。そして四番・五番解説後に備考として「現今図式新作無数と雖も、前の第四番といい、これだけの含蓄深味あるものは果たして幾番を数え得よう」とあります。変化が多ければ含蓄深味があるというのは、松井氏が古図式を神格視しているだけかなあ?と思います。図巧や無双なら兎も角、駒競くらいなら、上回る作品はそれなりに有ったはずです。
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中級向 詰将棋に於ける捨駒の目的について(3) 里見義周
三、捨駒分類表の解説(つづき)
前回発表の「詰将棋分類表」の実例による解説をしばらく続けてゆく。
(一)捨駒の移動企図
或る駒(盤駒に限る)が現在何等かの意味で自軍の邪魔駒となつている場合、その取捨を図るもので、一般に邪魔駒の取捨と呼ばれているものである。これは表にも説明のある如く捨駒の原位置に関するマイナスの存在性能の消滅を図るものであるが、存在性能には前々回の「捨駒の一般性能表」にあるごとく、優占、有効、遮効、受難の四つがある故、邪魔駒取捨の目的も更にこれ等各性能の消滅を図る場合に細分される。但し、「受難」の消滅ということは此の場合無意味であるから当然除外される。
(A)捨駒の原位置に関する「優占」の消滅を図る場合
@攻方の駒の原位置に攻方の駒を打ちたい場合(○内の数字は捨駒分類表中の一番から五十五番までの捨駒の種類の番号である)

図面の場合、九二龍と捨てる手がそれで龍の原位置「八の三」に攻方の持駒の桂を打たんとするものである。
次に此の際の捨駒が歩の場合に限り後に至ってその捨駒と同じ筋に自軍の歩を打ちたいために、即ち二歩を回避あうるために歩の捨駒を行う場合がある。これは優占の消滅ではないのであるが、形式的によく似ているので便宜上ここに入れたわけで、理論的な矛盾については大方の御了承を願っておく。
A攻方の歩と同じ筋に後に至って歩を打ちたい場合

図面は
11歩成、同玉、22金、同玉、33金、13玉、23金、14玉、24金、15玉、16歩、同玉、27銀、17玉、18金で詰むが、この初手11歩成がそれで、11手目の16歩打を可能ならしめんがためのものである。
B玉方の歩と同じ筋に後に至って歩を打ちたい場合。

図面に於いて攻方四五角と打つ。これに対し王方は歩以外の持駒がないから已むなく21玉と逃げると41飛と打たれ31歩合が利かないので所謂「合ない最後」となる故、初手45角に対し一旦34歩と突捨てるのが妙で、これなら同角21玉41飛でも31歩合で凌げる。この
34歩がそれである。これは王方の持駒を制限しているので見ても分る通りAに比して更に稀なる場合であるが、これを取り入れた詰将棋もまた可能なわけである。
C攻方の駒の原位置に攻方の盤駒を移動させたい場合。

図面は@の図面の持駒を盤駒にしただけで他は同じである。ただし捨駒としての価値は次の手が見え透いているだけ@よりも劣っている。
D玉方の駒の原位置に王方の盤駒(王に限る)を移動させたい場合

図面の場合、王方が13歩などと普通に合駒をしては12歩21王33桂で駄目である。31角が王の退路を塞いでいるのに着眼ぢて、一旦13角と行って捨合をして王の退路を開けるのが妙策である。これは「王の退路あけ」として一般に知られているもので、新鮮味もあり興味深い捨駒である。この手筋を採入れた作品は未だかなり開拓の余地がありそうではある。
(B)捨駒の原位置に関する有効の消滅を図る場合
E攻方が或る場所(又は区域)へ自軍の盤駒の効きを消すべくその駒を捨てる場合これはすべて打歩詰回避の目的から出る。
(例の一)

図面(例の一)は「八の一」という単独の場所に攻方の馬が効いているのであるから、73馬と捨てて歩詰を回避するのである。

図面(例の二)は攻方の73馬の「八の二」及び「九の一」という複数の場所(これを区域と呼ぶ)への効きを消すために、一旦83馬と寄り捨てて同銀と取らせ93歩以下の詰を狙うのである。因に93歩以下の手順は91王81と同王92銀同銀同銀同歩成同王93歩成91王92銀82王83と迄である。
F王方が或る場所(又は区域)への自軍の盤駒の効きを消すべくその駒を捨てる場合これはすべて打歩詰誘致の目的に出るものである。

図面に於て、王方が34歩合等としては13歩22王23歩32王33歩同馬31銀成で詰む。というのもつまり33歩同馬とされて王の退路を塞がれるからでここでもし王方の66馬が「三の三」に効いていなければ攻方33歩と打つことが出来ず、従って詰を回避出来るというわけである。かくして最初一旦67馬と捨合をして33への馬の動きを消滅させ、後に至って攻方の歩詰を誘致するのである。これは捨駒の中でも高級な方で作品に採入れれば相当面白いものも出来るであろう。
(C)捨駒の原位置に関する遮効の消滅を図る場合
㋑或る場所へ捨駒方の駒を効かせたい場合
G攻方が捨駒を原位置から移すことによつてその捨駒によって遮られていた攻方の駒の効きが直ちに生ずる場合。

図面に於て攻方が73角成と捨駒することによって85香の効きが「八の二」に生じて82金打までの詰を可能ならしめる。捨駒として比較的下級に属するものである。
H王方が捨駒は原位置から移すことによってその捨駒によつて遮られていた王方の駒の効きが直ちに生ずる場合。

図面、15香の王手に対し王方が普通に「一の二」一の三あたりに合駒を打っては22
金の詰ゆえ、一旦13飛寄と捨合するのが妙で、これによって44角を「二の二」に効
かせて巧に危機を脱する。
Gに比較してこの方はかなり面白い捨駒と云える。 (以下次号)
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里見氏の論考は捨駒を表で分類し、今迄現れていない目的の捨駒を表で示していて読み込めば新作創作に繋がるものでした。ただ、例題はもう少し丁寧に作って欲しかったと思います。不備のある図が多いので指摘しておきます。先ずAですが、初手32金とすれば12玉で簡単に二歩禁回避出来、11歩成を入れる必要がありません。つまり32金、12玉22金打以下余詰です。このことについては、昭和26年5月号のお愛嬌ルーム特別室で星野元男氏が指摘しています。次にBですが、論考中31歩合で凌げるとありますが、以下43角成、12玉、42飛成、22歩合、34馬、13玉、22龍、同玉、(14玉は11龍、13合、同龍以下)23歩成、21玉、43馬、32飛合、所期図面で持駒が歩しかないので他に合駒なし)同馬以下詰みます。そしてFですが、論考中67馬に同馬と取ると、34合だと同馬、同とで33に効きが発生するので、33歩と打てるようになり、かといって45合も同馬、同と、13歩、22玉、23歩、32玉に取った合駒を打って詰んでしまいます。
Fは図巧二十番が作例としてあります。里見氏自身オマージュと思える作品を作っておられます。

里見義周著 闘魚(再録版)38番「蜀の桟道」
78馬、67馬、同馬、34歩、13歩、22玉、66角、55歩、同角、44桂、同角、同歩、23歩、32玉、24桂、43玉、53と、同龍、同銀成、同玉、63飛、54玉、55歩、同玉、53飛生、54角、56歩、64玉、63と、同角、A55飛成、75玉、57馬、同と、66銀、74玉、65銀、73玉、64銀、72玉、63銀成、同玉、75桂、72玉、52龍、62歩、54角、71玉、62龍、同玉、63桂成、61玉、62歩、71玉、72成桂迄55手
Aで同飛成、同玉、85馬、64玉、42角、53歩、74馬、54玉、55香、43玉、53香成迄41手早詰
この図は昭和26年発行の闘魚の図と異なっており、昭和30年発行の「昭和詰将棋秀局回顧録上巻・田辺重信編」で改作及び命名された図を闘魚(再録版)に載せたものです。
序は図巧と同じですが、こちらは移動合を取ってしまいます。その後の7手目66角の好手に対する受け方も見所です。(77角でも良い非限定は、今見ると一寸痛い。)前に利く合は取って簡単なので、44桂の移動合が考えられますが、作意と同様に進み、63飛、52玉、62と以下早く詰みます。戻って66角に55歩と捨合しておくのが退路開けの妙手で、同角、44桂という受け方がハイライトです。本手順に入り63飛に54玉とした時、55歩〜53飛生が打歩詰打開の妙手順。以下も飛角2枚を捌き捨てての収束で、無理作りの感もありますが、この時代のものとしては良く出来た作品です。でも、図巧二十番の方が馬捨の移動合を取らずに更にその馬に取られるようにすり寄る構成で、上だと思います。(駒数も少ないですし。)この作品を里見氏の代表作に上げる方も居られますが、何とAで同飛成以下の早詰が発見されました。
例図の不備については、次月(昭和26年1月号)のものについても、昭和26年5月号で指摘されていますが、そのことについて、里見氏は昭和26年7月号で次のように回答しています。「本誌お愛嬌ルーム特別室で本稿の例図についての指摘がなされているが、例図は飽く迄も素材であり、詰将棋として提出したわけではないので、指摘に対しては一々お答へしない事にするから御了承願いたい。御愛読を感謝して擱筆する。」しかし、詰将棋として仕上げた図のAは詰将棋の体裁をとっているのだから、余詰が無いように作るべきでだと思います。また、BとFは逃れると書いてあるし、簡単に逃れる図に出来るのだから、詰まないように作るべきかと思います。ちなみに、本稿が詰棋めいと26号に転載された折には、Aに玉方31歩が追加されて修正されています。この修正は故森田正司氏が行ったものかもしれません。

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