旧パラを検証する75
第七号12
詰将棋学校・・・第7号は低調で目を引く作品は少ないのですが、作者名を見ると、野口益雄・川崎弘・宇佐美正(松煙第3番)・山田修司の諸氏が目につきます。他にも熊沢国男氏作(17才)と若い作家には年齢が入っていたりします。7号で好みは次の作品。中学校(B)北村研一氏作です。

34銀、14玉、25銀、23玉、24歩、13玉、23歩成、同玉、24銀、14玉、23銀不成、同銀、12飛成、同銀、24飛、13玉、22飛成、同金、35角成、14玉、24馬迄21手
当時の中学校の担当は二段柴田龍彦氏です。(段が入っているのは時代を感じさせます。)結果稿は評の転記だけです。なので少し解説をしてみます。
いきなり、打歩詰の局面なので、攻方の利きを減らすのは34銀しかなくて、(24銀では14玉でどうにもならない。)14歩が消去できます。すると、24歩が打てるようになるのですが、13玉となって13桂が消えました。王手を続けるには23歩成しかなくて、さらに同玉。初形から1歩を消費して13桂と14歩が無くなりましたが、全然得をした感じがしません。ところが、13桂が消去されていると、24銀、14玉となった時に23銀生として、12飛を質駒に出来るのです。12飛を奪ってからも、打った飛車を直ぐ成捨てる格好よさは秀逸です。易しい作品ですが、内容は面白いし全く知られていないのが勿体無い好作です。
次に短評の中から少し選んでみます。
門脇芳雄「さすが北村氏の作とうなづける好作品。」
落合健次「小味のきいた軽妙な作品棋才の豊かさが方尺の盤上に遺憾なく表現されている。」
荒谷光一「今月の問題中一番難しかった。初めから終わりまで妙手の連続である。」
水上弘「メカニカルな面白さの佳作」
以上で、旧パラ第7号の紹介を終わろうと思ったのですが、今回も裏表紙の広告が気になりました。

日米富士自転車の広告です。1899年に創業され、この頃はアメリカにも自転車を輸出して、有名な自転車会社でした。オンロード車には「Olympic」、MTBには「Mount Fuji」のブランド名を付けて展開し行きました。そんな日米富士自転車でしたが、1997年に倒産しました。今、その本社の跡地で勤務しているのには、縁を感じてしまいます。
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次からは第8号(昭和25年11月号)の紹介となります。

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