3月に開催される一連の
中村貴志プロデュース・シリーズVol.9「20世紀 日本のうた クロニクル」(ミュージック・ステーション主催)の本番が刻々と迫っています。この件で
18日には中日新聞および中日スポーツに、
23日には朝日新聞に取材して頂きました。新聞記者の方々には、なぜ「日本のうた」が僕のライフワークなのか、僕は「日本のうた」をどう捉えたいのか、「20世紀 日本のうた クロニクル」に対する僕の思い等を語りました。ここでこのブログをご覧の皆様にも僕の「日本のうた」と「20世紀 日本のうた クロニクル」への思いを記します。
なぜ「日本のうた」が僕のライフワークなのか? 最大の理由は、単純明確で、「日本のうた」が好きだからです。また、ヨーロッパに行く機会、またその際に演奏させて頂ける機会が度々与えられたことも大きく影響しています。僕はヨーロッパでその誇り高き文化の在り方に接して大いに感動した一方、「日本にもこれに匹敵する文化があるではないか」と気付かされました。僕がやっていることで言いますと、日本人の手によって西洋音楽の手法で書かれた作品の数々。しかし、それらが、外国ではもちろんのこと、日本でも演奏されることは少ない。「うた」は比較的取り上げられているでしょうが、その他は本当に少ない。僕はせっかく日本に生まれ、日本で育ち、日本で暮らしているのだから、日本の作品を多く手掛けようと強く決心したのでした。それは、歌手としてだけでなく、指揮者としてもです。
僕は歌手を続ける限り「日本のうた」を取り組んでいくつもりです。限りある僕の人生の多くの時間を費やすからこそ、僕は「日本のうた」の全貌を見たいという思いに駆られますし、多くの方にそれを知ってほしいと強く望んでいます。これは僕の性分であり、特性でしょうが、興味ある事柄は一側面だけでなく、多角的に、また体系的に捉えたいのですね。ですから、「日本のうた」も多角的に、そして体系的に捉えたい。そのためにはその暗部をえぐり出さなければならない場合もあります。
「日本のうた」の暗部はあるのでしょうか? そのひとつは日中戦争あるいは太平洋戦争中に書かれた、いわゆる軍歌です。これを歌う、あるいはこのことを語ることは何かタブー視されています。いや、それに触れないでおこうという空気があるのかもしれません。「臭いものには蓋をしろ」、「障らぬ神に祟りなし」という諺がある通り、日本という国は現実に起きてしまった都合の悪いことを黙殺しようとする嫌いがあります。しかし、それでいいのでしょうか? それで「日本のうた」の真の姿を捉えることができるでしょうか? 軍歌が存在したことは事実なのです。そして、現在でも軍歌集やCDが売られているのです。カラオケにも軍歌があるのです。一昔前まではパチンコ屋の音楽といえば『軍艦行進曲』でした。また、替え歌として歌詞だけは更衣して軍歌のメロディーを聞いている可能性だってあるのです(「20世紀 日本のうた クロニクル」ではこういった例を取り上げます)。われわれが生きている今この時にも軍歌は存在しているではありませんか。日本は、1945年に第二次世界大戦で破れ、その後日本国憲法を制定して戦争を放棄し、軍国主義から民主主義に転換して平和を希求する国家に生まれ変わり、現在までそれを継承しています。しかし、「20世紀 日本のうた クロニクル」を開催して「日本のうた」の真の姿を探るにあたって、平和を希求する国家に今なお軍歌が存在しているという矛盾があり、それに対して多くの人が何も言おうとしない、考えない、もしかしたら、そういったことを気づかないでいることに問題提起しなけらればならないと僕は考えます。また、日本の命運を左右し、いわゆる「戦後」の方向性を決定づけた第二次世界大戦とその敗戦を「日本のうた」の側面から見つめる必要があると考えます。
1931年9月の満州事変をきっかけに日本と中国は戦争状態になり、日本は侵略を続け、軍国主義をひた走りました。そうして迎えた1941年12月、日本はアメリカに宣戦布告して真珠湾を攻撃、太平洋戦争へと突入しました。しかし、翌年にはミッドウェイ海戦で敗退し、形勢が逆転。1944年から日本本土への攻撃が始まり、1945年8月に原子爆弾が広島と長崎に投下され、敗戦を迎えたました。その間、敵国であったアメリカ・イギリス・フランスの音楽はの音楽は演奏するのも、放送するのも(実は一部では流れていた)、発売するのも禁止。日本の音楽は、「音楽は軍需品なり」という言葉に象徴されるように、戦意高揚、軍国主義の教化として作られ、使われました。日本政府は法律を制定し、音楽を統制していったのです。それに反した者は厳罰に処されました。そういう状況の中では当時の音楽家は大なり小なり音楽を通して戦争に加担せざるをえなかったのでした。中にはまったく加担しなかった音楽家も少しはいましたが、反対の声を上げることはありませんでした。そうすれば、自らの命がなくなる可能性が大きかったからです。これは音楽家に限ったことではありません。1938年に制定された国家総動員法によって、全日本国民が「お国のため」という名目で戦争へと仕向けられ、加担させられたのでした。
日本が無条件降伏した後、GHQ主導で戦後処理がなされました。政治の分野では、戦争犯罪を犯したとされる者が国際軍事裁判で裁かれ、処罰されるという形でその責任が問われました。では、音楽の分野ではどうだったのでしょうか? 音楽に限らず、芸術の分野において戦争犯罪としてその責任を追及することはできないですし、それは無益なことです。戦争犯罪とは直接殺戮や破壊活動に関わることであるので、戦争に加担したとはいえ、芸術がそのようなことに関わることはないからであり、国家総動員法やその他の法律の、命をも脅かす統制下ではどうすることもできなかったからです。一方で、当時の芸術家は終戦を迎えて、なぜ戦争に加担したのか、なぜ戦争に加担しなければならない状況に巻き込まれてしまったのかを総括し、後世に伝える必要があったのではないでしょうか。しかし、芸術、特に音楽界はそれをうやむやにして、戦後を歩み始めてしまいました。そして、うやむやのまま現在に至ってしまいました。現在生きている音楽家はそのうやむやの部分をはっきりしなければならないのではないか、と日本における西洋音楽を深く勉強する僕は思うのです。
それはなぜか? 21世紀になって10年が経ちましたが、「20世紀からの負の連鎖」が続いているように感じます。それはあらゆる分野に、そして日本だけでなく、世界全体にあります。戦争の世紀であった20世紀を清算し、21世紀を迎えるのではなかったか? しかし、現実はそれとまったく程遠い。現在を100年前と同様な状況だと言う人もいます。今年は第二次世界大戦が終わってからちょうど65年が経ちます。ここで、20世紀の一番の負である第二次世界大戦を音楽家である僕は音楽を通して正面から見つめ直し、負の連鎖を断ち切りたい、その一歩を音楽を通して担いたいと強く思っているのです。
近年、音楽学においては戦中および戦後の音楽界の研究が進んでいます。今回の演奏会を開催するにあたって、色々な書物に接しました。その中で大変素晴らしい著作と出会いました。それは近代日本音楽史がご専門の戸ノ下達也さんが著された『越境する近代5 音楽を動員せよ 統制と娯楽の十五年戦争』(
青弓社出版)です。戸ノ下さんは、第二次世界大戦前、戦中、戦後の音楽界の状況を散逸した資料の数々から丹念に洗い出し、戦時下の音楽界の組織の実態と、日中戦争および太平洋戦争中音楽がどのように活用され、人々はそれをどのように受容したのか、そして、戦後にどのような問題が起こったのかを感情論に陥ることなく、客観的に丹念にまとめられています。一方で、今後の研究の課題が記されているとともに、音楽家に対してこのことに関する問題定義がなされています。タブー視されている領域に切り込んだ、しかし客観的な資料として大変素優れています。是非一読することをお薦めします。
戦中、ほとんどの音楽家が音楽で戦争に加担しました。加担させられました。現在われわれが愛唱している歌を作った多くの作詞家あるいは作曲家が軍歌を書きました。書かされました。しかし、僕はそれを糾弾したいわけではありません。僕にはそんな資格はありませんし、糾弾することに意味はありません。「音楽は軍需品なり」と言われ、厳しい統制があった特殊な時代で、彼らが音楽をするためにはその道しかなかったのですから。そうではなくて、当時の状況と彼らの行動を検証することによって、戦争という過ちを二度と起こしてはならない、二度と同じような状況を作ってはならない、ということを強く訴えたいのです。それは右とか左とかという政治的イデオロギーや宗教を越えたもの。「20世紀 日本のうた クロニクル」は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロでズタズタになり、いまだに戦争がなくならないことを憂えている、しかし、「なんとかしなければならない」と這い上がり、「音楽を通して何かを起こさなければならない」と思っているこの僕の心の叫びでもあるのです。