中村貴志 音楽の日々

 
ようこそ!名古屋と大阪を拠点に活動している音楽家、中村貴志のブログです。演奏会案内(中村貴志が関わっている演奏会のご案内)、演奏会終了分(中村貴志が関わった演奏会の記録)、音楽雑記(音楽に関する記述)、レヴュー(僕の印象に残った演奏会やオペラ、美術展、展覧会、映画、DVD、本などを紹介)、徒然(中村貴志の日常や思ったことをつづったもの)がレギュラーのカテゴリ。その他に特別カテゴリもあります。どうぞご覧下さい。

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指揮者・合唱指揮者 中村貴志プロフィール

今までにセントラル愛知交響楽団、中部フィルハーモニー交響楽団、愛知室内オーケストラ、大阪交響楽団、テレマン室内オーケストラ、奈良フィルハーモニー管弦楽団、京都フィルハーモニー室内合奏団、ベートーヴェン・オーケストラ・ボン(ドイツ)、シンフォニエッタ・ベオグラード(セルビア)、バロックオーケストラ・マリア・プライン(オーストリア)をはじめとするプロ・オーケストラを指揮した他、アマチュア・オーケストラや合唱団を多数指揮。また、外山雄三、故若杉弘、故手塚幸紀、井上道義、松尾葉子、円光寺雅彦、大友直人、堀俊輔、松尾葉子、畑儀文、現田茂夫、牧村邦彦、小松長生、井崎正浩、藤岡幸夫、寺岡清高、齊藤一郎、園田隆一郎、柴田真郁、田中祐子、角田鋼亮、川瀬賢太郎、石川星太郎、太田弦の各氏の下、オーケストラ・アンサンブル金沢、京都市交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、セントラル愛知交響楽団、大阪交響楽団、京都フィルハーモニー室内合奏団、関西二期会、関西歌劇団他多数で合唱指揮を担当。その手腕は高く評価されている。また、亀淵友香、チェリッシュや今陽子、シルビア・グラブ、今井清隆との共演、千住明、谷村新司、ラッセル・ワトソン、渡辺俊幸、冨田勲、ゲーム音楽『ゼルダの伝説』や『キングダム ハーツ』の公演の合唱指揮を担当するなど、クラシック音楽に留まらない活躍をみせている。オペラにおいてはモーツァルト『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッテ』『魔笛』、ドニゼッティ『愛の妙薬』、ヴェルディ『椿姫』『オテロ』、プッチーニ『ラ・ボエーム』『つばめ』『修道女アンジェリカ』『トゥーランドット』、J.シュトラウスU『こうもり』、レハール『メリー・ウィドウ』の合唱指揮を担当。また2006年4月にフンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』でオペラ指揮デビュー後、パーセル『ディドとエネアス』、ビゼー『カルメン』、ヴェルディ『椿姫』、モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』、モーツァルト『魔笛』、モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』、ヴェルディ『オテロ』、レオンカヴァッロ『道化師』、ペルゴレージ『奥様女中』を指揮した一方、日本人作曲家のオペラにも取り組んでいる。海外においては、2004年に“スコラ カントールム ナゴヤ”とともにドイツに渡り、ボンの由緒あるボン・シュティフツ教会にてボン・シュティフツ教会合唱団とベートーヴェンオーケストラ・ボンと共演して全てモーツァルトによるコンサートに出演した他、ゾーリンゲンでもコンサートを行った。また、2008年に再度ドイツに渡り、ボン・シュティフツ教会でのコンサートに出演。“スコラ カントールム ナゴヤ”単独ステージの『土の歌』(大木惇夫作詞・佐藤眞作曲)と、ボン・シュティフツ教会合唱団とベートーヴェンオーケストラ・ボンと共演してのハイドン作曲『ハルモニーミサ』を指揮し、好評を博した。2009年にはスイスのジュネーヴでアンサンブル・TAIYO・ジュネーヴとハルモニア・アンサンブル・TAIYO・オオサカのコンサートを指揮。当地の一流ソリストも共演して、好評を博した。2010年には在セルビア共和国日本国大使館の招聘でセルビア共和国に赴き、ポジャレバッツ市立の女声合唱団“バリッリ”を指揮。2011年には再招聘を受け、セルビア共和国へ二度目の訪問を果たし、日本の作品を紹介するとともに、セルビアの作曲家A.S.ヴイッチ氏の作品を指揮。メディアでも大きく取り上げられ、文化交流に大きく貢献した。2014年5月にスコラ カントールム ナゴヤとともにオーストリアに赴き、モーツァルトの生誕地ザルツブルクのマリア・プライン教会でモーツァルトの『ドミニクス・ミサ曲』をミサの中で演奏。同年6月にはスイスのジュネーヴのヴィクトリアホールで開催された日本・スイス国交樹立150年記念第九コンサートの合唱指揮を担当、大成功を収めた。2017年には合唱団 ルークス スペイとともにザルツブルクとドイツのベルヒテスガーデンに訪れ、当地の合唱団の教会コンサートに出演、ベルヒテスガーデン教区教会では指揮を務めて成功を収め、地元の新聞紙上でも好評を博した。2019年はドイツのベルリン・フィルハーモニーで開催されたベルリンの壁崩壊・東西ドイツ統一30周年記念特別平和記念コンサートの合唱指導の一翼を担った。現在、“女声合唱団コール・AI”指揮者、“かがり女性コーラス”指揮者、“女声合唱団カリス”指揮者、“合唱団 ルークス スペイ”指揮者、“住之江第九合唱団 in Osaka”指揮者、“合唱団 LA FENICE”指揮者、大阪交響楽団専属の大阪響コーラス合唱指揮者。

作・編曲家 なかむらたかしプロフィール

多岐に渡るジャンルにおいて数々の編曲を担当。2010年10月7日から同年12月23日にかけてFM AICHI80.7で放送されたラジオ・ミュージカル『本能寺が燃える』で初めて作曲を手掛け、作曲家「なかむらたかし」としてデビューを果たした。この番組は放送圏内で同時間帯における最高聴取率を獲得、また日本国内の番組作りの最高の栄誉といわれるギャラクシー賞の第48回(2010年度)ラジオ部門奨励賞を、全国FM放送協議会が主催するJFN賞の2011年企画部門大賞を受賞した。2011年7月には全国放送された。2011年6月には名古屋能楽堂で舞台化されたのを皮切りに、東京、大阪、富山、瑞浪、京都などで再演されている。2011年9月、純器楽曲として処女作となる『弦楽合奏のための作品』がセルビア共和国でセルビアを代表する作曲家のひとりA.S.ヴイッチ氏指揮によるシンフォニエッタ・ベオグラードによって初演された。近年は大阪交響楽団委嘱による楽器紹介メドレー『オーケストラの仲間たち』『でかけよう、オーケストラといっしょにピクニックへ』や瑞浪市制60周年記念事業のためのミュージカル『櫻堂ものがたり』を作曲、いずれも好評を博した。編曲は多岐に渡り、南こうせつや安藤裕子、福原美穂、藤澤ノリマサなど、J=POPのコンサートのオーケストレイションも担当した。

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投稿者:中村 貴志
笑子さんへ

心のままに感じたことを仰って下さっていいのですよ。笑子さんの軍歌が好きだという気持ちは僕によく伝わってきますし、それを大事にして頂きたいと望みます。一方で、笑子さんが僕の述べたこと全てが理解できないのもわかります。これは難しい問題なのです。世代や立場の違いによって意見が違ってきます。また、歴史的事実も見る角度によっては解釈がかなり違ってきます。それらを全て総括したいと僕は望んでいますが、それは難しいことで現段階ではたくさんの課題があります。それでも発表させて頂いて、貴重な意見を頂き、それを糧にして、より深いもの、説得力あるものにしていく所存です。

笑子さんには好きな軍歌をより深めて頂くために軍歌や戦時中の文化に関する書物を読んで頂きたく思います。「懐かしい」以外に新たな感慨が生まれるかもしれませんよ。
投稿者:中村 貴志
おゆき♪さんへ

三度のコメントをありがとうございました。深い考察に基く貴重な意見と僕への激励を感謝しています。これを糧に音楽活動に励みます。
投稿者:笑子
ただ心のままに、懐かしい軍歌について書きました。たいへん真剣なお返事ありがとうございました。感謝しています。先生の強力な主張と熱意を感じました。でも残念ながら私には先生が教えて下さっている事の全部は理解できません。とても難しいです。
軍歌を唱歌のように聴くのは、私達の世代だけなのかもしれません。自分の親が戦争にギリギリ召集されなかった(叔父は特攻隊員でしたが飛び立つ前日に終戦となり今も生きています)でも疎開したりという形で大戦をライブで経験しています。そんなやや客観的に戦争を見られる親に育てられた独特な世代なのかもしれません。だから先生が軍歌を歌うあるいは語ることはタブー視されていると書かれている部分や、その後のさらに重々しい文章には違和感を感じます。軍歌集が売られている。それが何か?カラオケにも軍歌がある。ハイ歌いますよ。私達の世代はそんな感じだと思います。旧来の友人3人に尋ねると、みんな軍歌好きでした。

一途で熱い心を持った中村貴志さん、いつもたくさんの愛に包まれてその道を進んでゆけますよう応援しています。
投稿者:おゆき♪
中村先生、笑子さんへ
こんばんは。先生から笑子さんへのお返事を読ませていただきました。私の祖父は軍歌を唱歌と同じように歌っていました。ですが、祖母は軍歌が嫌いでした。だから私は、先生の気持ちも、笑子さんの気持ちも分かります。確かに、与謝野晶子が「君死にたまふことなかれ」を書けた時代とは違い、当時既に反戦の声を上げられない世の中になっていました。まるで軍歌は、親に望まれずに生まれてきた子供のようです。それでも消えることなく、今まで残ってきたのは愛されていたからであり、また愛されてきた理由もありました。地獄の様な激戦地から奇跡的に生き残って帰国された方の中には、目の前でなくなった戦友に、自分だけが生き残って幸せな生活を送っていることを申し訳なく思い、自分自身を断罪しながら生きている方もいらっしゃいます。軍歌を涙ながらに歌われます。彼らにとって軍歌は、亡き戦友へのはなむけでもあるのです。しかし、一方で祖母のように軍歌を聴くと何もかも強制され、高圧的だった世の中を思い出す人もいます。
歴史の総括とは、善悪判断=主観的ではなく、あくまでも俯瞰的、分析的=客観的に見なければなりません。そうでなくては、明日をどうするべきか、将来どうあるべきかという決断に生かすことが出来ないからです。
はっきりいえば、歴史の総括は祖父母の両親やそのまた両親の世代が果たすべき責任でした。成人したばかりの祖父や成人前の祖母には意志を表す権利が無かったからです。
先生は、軍歌が存在する事は戦争とは何か、平和とは何かを人々はまだ分かっていないところがあるのではと思われているのですね。そうかもしれません。全ての人が平和を望むと言いながら、戦争が一向に無くならないからです。戦争は一人ではできません。戦争とは戦争をしたい人がいて初めて成り立つからです。
先生がこの問題に取り組まれる事は、大変素晴らしいことです。そして、とても難しいことです。ですが、先生の想い、気持ち、祈りは、必ず聴く人の心に届きます。私は先生の歌の力を信じていますし、私にはいつも届いているからです。
どうかたくさんの方々が先生の歌に込められた気持ちを受け取ってくださるように祈ります
投稿者:中村 貴志
おゆき♪さんへ

再度のコメントをありがとうございました。

音楽に対して色々な方々の色々な思いがあるものです。そういったことを大切にして、今後も音楽をやっていきたいと思います。
投稿者:中村 貴志
笑子さんへ お返事1

貴重なコメントをありがとうございました。笑子さんのコメントを頂いて、この記事の一部を修正・加筆しました。

さて、「20世紀 日本のうた クロニクル」を開催するにあたり、僕は過去に勉強したことをもう一度勉強し直し、過去に読んだ書物をもう一度読み直す一方で、新たな論文や書物を読み、勉強しました。また、僕の周辺にいらっしゃる戦争を体験された方々に直接お話も伺いました。その中には軍歌を今でも愛唱される方もいらっしゃいました。一方で、第二次世界大戦で大切な方を亡くされ、大変悲しい思いをされ、その思いが当時の歌と結びついて、聴きたくないという方もいらっしゃいました。また、戦時中の歌を扱った書物の中には「軍歌は悪で、それに加担した音楽家は全員悪者」というような調子で書かれたものもありました。人それぞれに軍歌に対しての思いをお持ちです。笑子さんのように、小さい頃から唱歌と同じように軍歌を聴かれ、今でもご自身で軍歌集を買われるほど愛好されていらっしゃる方もこの世の中にはいらっしゃることでしょう。それは決して悪いことではありません。それは個人の嗜好の問題ですし、否定されるべきものではありません。
投稿者:中村 貴志
笑子さんへ お返事2

上記のように軍歌に対して色々な思いや意見があることを承知した上で、僕はやはり日中戦争あるいは太平洋戦争中に書かれた軍歌は「日本のうた」の暗部と唱えます。笑子さんは唱歌と同じように軍歌を聴かれましたし、現在も聴いておられると思います。しかし、僕は同列に扱うことができません。その当時の軍歌が大量破壊・大量殺戮の手段である戦争のプロパガンダとして使われたからです。しかも、それができるように法整備され、正当化されたからです。日中戦争および太平洋戦争中の軍歌はそのような状況で作られたのです。
軍歌と言っても色々あります。明治時代や大正時代にかかれた物もあります。しかし、これらの時代では軍歌を書くことを拒否できましたし、反戦の意を表すことができました。しかし、日中戦争および太平洋戦争中の軍歌は法の下で書くように強制されました。書かない者は追放されるか、自ら音楽界から姿を消すしか道はありませんでした。また、反戦の意を唱えようものなら、命の保証はありませんでした。そこが他の時代の歌とは決定的に違うのです。
投稿者:中村 貴志
笑子さんへ お返事3

歌がいつの世もその時代の人々を励まし勇気づけるもの、あるいは楽しくさせるもの、心を安らかにさせるものとして存在してほしいと歌い手のひとりとして僕は思っています。しかし、軍歌は励まし勇気づけるどころか、大きな悲しみを呼び起こす可能性も大なのです。他の分野の歌ではありえない、大きな拒絶反応をされる方も多い。それゆえに世間一般に広く軍歌が浸透しているとは僕は思えませんし、それを唱歌を語るように語る雰囲気はないように思います。それは軍歌が大量破壊・大量殺戮の手段である戦争と結びついているからです。そういうことから僕は「暗部」という言葉を使いました。言葉とは難しいもので、この言葉には僕の軍歌の存在を抹消しようとする意はありません。これは僕の信条ですが、歴史上起きたことときちんと向かい合いたいのです。

僕が今なぜ軍歌を歌うのか? 公の場で軍歌を歌うことは上記のようなことから大変勇気のいることです。軍歌を歌わなくても歌い手としてやっていけますし、そちらのほうが簡単で楽です。しかし、あえてやろうとする理由。この記事にも書いたことですが、物事を多角的に捉えたいという僕の性分があります。「日本のうた」の色々な面をみたいし、伝えたい。一方で、世界全体が今疲弊し、閉塞しているように感じます。それは20世紀からの負の連鎖を断ち切れていないからではないか、その根源は世界第二次大戦とその戦後処理にあるのではないか、と僕は考えています。僕は音楽家として現代に生きる者としてそれを見つめたい。
投稿者:中村 貴志
笑子さんへ お返事4

第二次世界大戦後、日本本土では戦争がなく、平和な状態が続いています。何の圧力もなく音楽ができるのは大変幸せなことです。日本はその憲法第9条で「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳って、戦争をしない平和な状況が永久に続くように思われます。しかし、日本の平和は大変もろいものだと僕は思っています。あらゆる所に兵器があり、日本を敵対する国が攻めてこないという保証は全くありません。そうなった場合、日本はどうするのか? 日本国民はどうするのか? また、日本は、戦争を放棄しながら、同盟国の戦争には資金を提供したり、給油で援助したり、戦後の戦地の治安維持の活動に日本の自衛隊を参加させています。これは戦争に加担していることにはならないのでしょうか? 日本は大きな矛盾を抱えているのです。その矛盾は第二次世界大戦の戦後処理の曖昧さにあると僕は考えます。その曖昧さを少しでもはっきりさせ、矛盾を取り除いていかなければ、日本も戦争が起きるのではないか。その可能性はゼロではありません。僕は二度と戦争はしてはならない、二度と戦時中のような状況を作ってはならないと思っていますし、そして世界が平和になることを願っています。「20世紀 日本のうた クロニクル」ではその当時の軍歌を取り上げることにより、当時の社会を振り返り、真の平和とは何かを考える機会になってくれたらと切に願っています。

僕が取り組んでいることは非常に難しいことです。今回取り組んでみて、まだまだ足りないところがあることを痛感しました。それを課題とし、次へとつなげていく所存です。そうでなければ、ライフワークになりませんからね。

長文の返事になり、大変失礼しました。
投稿者:中村 貴志
アリスさんへ

その方ご自身が聞きたいと思って下さったら、
知識云々は関係なく、お越し下さって構いません。
聴いて下さって、知ることも多いでしょう。

日本の歌に限らず、世界中の音楽、いや、文化は
歴史と深く関係しています。
文化はその時代の社会の一部ですから。
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