昨日の「
混声合唱団Vox MEA第4回演奏会」が2008年の仕事納め。とは言っても、これは演奏会や練習といった、表面的に見える形での仕事が終わったというだけです。本番翌日の今日、次に向けての勉強をしました。来年は忙しいものの、当初は今日から年明けの1月2日まで休みにしていたのですが、
1月17日に『フィガロの結婚』の出演が急遽決まったので、休みを返上して、前倒して勉強することに。今から勉強を始めないと、とんでもないことになってしまう!
音楽家は練習に臨む前にひとりでたくさんのことをします。あるいはしなければなりません。取り組む作品の作曲家について調べる。その作品について調べる。声楽作品であるなら、言葉の意味を調べる。譜読み。そして、本番に向けて作品を読み込んでいく。これが演奏をする上で大変重要なのです。特に作品をとことん読み込んでいくことが大事。自分自身の能力の限界まで読み込む。それが音楽の内面を深くし、演奏の良し悪しに関わってきます。
さて、音楽の内面を深くするものは人生経験です。僕は音楽だけをやっていてはだめだと常々思っています。
他の分野の芸術を知り、体験すること。それによって刺激を受けます。
自然を愛すること。僕は都会生まれ、都会育ち、現在も都会のど真ん中で生活していますが、こう見えても山が大好き、森が大好き。時々しかそういう場に行けませんが、自然の作り出す美しさを目の当たりにして、自分自身が浄化されていくような感覚になります。そして、自然が作り出す美しさに人間の芸術はかなわないと思いながらも、少しでも自然の美しさに近づきたいと思います。でも、自然の作り出す美しさは都会でも感じることはできます。都会にいても、そういうのに目を向けているか。それが感性の鋭さにつながってくるように思います。
人であること。人としての基本的な経験も音楽に強く反映されます。音楽は喜怒哀楽を表現するひとつの手段ですからね。でも、喜怒哀楽にもそれぞれにたくさんの種類があります。よりたくさんの種類を身につけるためには人としての経験をたくさん積むことです。ありがたいことに僕は出会いに恵まれています。そして、それなりに経験を積ませてもらいました。33歳にして思うこと。自分はまだまだ!
高校生の頃は大人になればなるほど、色々なことを知って、楽に生きられると思っていました(笑)。だから早く大人になりたかった。年齢を重ね、20代になり、30代になり、色々と経験を積んで色々なことを知る一方で、知ったが故にまだまだ足りないことがわかってくる。その先がまだまだあることが判明して、楽になるどころじゃない(笑)。状況が18歳の時とあまり変わっていないんじゃないか。あれもやりたい、あれもやらなければならないという気持ちが。
でも、足りない自分に楽しみを感じてもいるのです。40歳になった時にはこの「中村貴志」はどうなっているんだろう?50歳になった時は?非常に楽しみです。もちろん干されて、クラシック音楽業界から消えている可能性もありますが(笑)。成功か失敗か、自分に勝つか負けるか、音楽家の生き方はある種ギャンブルなようなもので、それに賭けるしかない。失敗する時もある。しかし、「次こそは!」と奮い立たせる僕自身でありたいと思っています。こう書くと、ギャンブル好きなように思われますが、巷にあるギャンブルの類は一切やりません。そんなところで運を使ってしまったらもったいないし、人生のギャンブルだけで十分スリルを味わっていますから(笑)。
とりとめもなく書いていたら、エラい内容になってきたなぁ。総じて言えるのは、経験したことが全て音楽するのに役に立つということ。生きることが即音楽に結びつく。音楽家というのはそういう仕事なのです。でも、これはプロ、アマチュアを問わないと思います。僕はたまたま音楽で飯を食えていますが、音楽を愛する気持ちは同じですから。その気持ちを大事にして、これからも生きていきます。