ドイツ演奏旅行後は
お休みモード。
1泊2日で
広島県の
尾道を
旅行してきました。
26日 第1日目
「ここぞ尾道」という千光寺公園を中心に散策。
まずはロープウェイで千光寺山の山頂へ。
山頂にある展望台からの眺め。尾道の特徴的な細長い街並みと瀬戸内海(尾道水道)が眼下に広がります。向こう側は向島。映画『男たちの大和』のロケが行われた所。
尾道ゆかりの作家や詩人の名作を点々と続く自然石に刻んだ25の文学碑のある散歩道、「文学のこみち」を通って、彼らが愛した尾道の風景を楽しみながら、山を下ります。
尾道が生んだ大女流作家、林芙美子の文学碑。彼女の代表作で、女優、森光子さん主演で有名な舞台の原作である『放浪記』からの一節が刻まれています。
さらに下ると、806年に開基された、中国地方屈指の名刹、
千光寺に入ります。千光寺の驚音楼の鐘は平成8年に環境庁の選定した「日本の音風景百選」の一つに選ばれました。ここからの景色も絶景。
次はおのみち文学の館へ。まずは、アララギ派のリーダーであり、現代日本歌人の第一人者、中村憲吉が最晩年をすごした家(中村憲吉旧居)へ。その下には天寧時の三重塔が見えます。これは国の重要文化財の塔婆、海雲塔。
中村憲吉旧居からすぐの所にある文学記念室へ。尾道出身の文学者たちの資料が展示されています。特に、尾道が生んだ最大の作家で『放浪記』で有名な林芙美子の資料は充実しています。
尾道の特有の路(坂)を通って、志賀直哉の旧居へ。
大正から昭和にかけて多くの文学者に大きな影響を及ぼし、「小説の神様」とも称された志賀直哉。その彼が父親と不仲になった時に移り住んだ長屋を保存したのが志賀直哉旧居です。ここでの住いは彼の代表作『暗夜行路』の一文「三軒の小さな棟割長屋の一番奥」の通りで、6畳の部屋と3畳の台所のみの慎ましいもの。しかし、ここから見える美しい風景と自然、尾道の人々との交流を通して、志賀直哉は心を和ませ、やがて父との和解に至るのです。
尾道は猫の街。
さらに下ります。尾道は寺が多いことでも有名。幾つかの古寺を拝見しながら、市街地に出ました。
尾道の市街地のメイン、本町通り商店街。
その入口の脇には林芙美子の銅像が。彼女の代表作『放浪記』の一節「海が見えた 海が見える 五年振りに見る 尾道の海は なつかしい」と刻まれた石碑とともに。
千光寺公園散策の後は、新尾道大橋を渡って向島へ、因島大橋
(本四連絡橋で最初の吊橋)を渡って因島へ、生口橋
(日本初の複合桁斜張橋)を渡って宿泊地、生口島へ。生口島は現代日本画壇の最高峰に位置する画家、平山郁夫さんの生まれ故郷です。平山郁夫さんのご実家から数分の所にあり、平山家とも親交があり、平山郁夫さんご自身が故郷の人々と集い語り合い「子供に回帰する宿」と称するお宿、明治43年創業の
旅館つつ井に宿泊。
27日 第2日目
旅館つつ井は瀬戸田港に面しています。港といってもとても小さい。おそらく通勤や通学で利用するお客がほとんどの定期船の音で目を覚ましました。
開館と同時に
平山郁夫美術館に。平山郁夫芸術の軌跡を辿ることができるように、平山郁夫さんの幼少の頃から現在に至るまでの作品が上手く展示されています。ここの館長は平山郁夫さんの実弟の方が務められています。館長自ら案内して下さり、実弟ならではのお話を交えながら、詳しくそして楽しく説明して下さりました。写真や映像ではなかなか伝わらないリアリティ。平山郁夫さんの絵は日本画でありながら、構成は斬新で、絵の具の塗り重ねによって立体感が巧みに表現され、強いインパクトがありました。平山郁夫芸術をたっぷりと堪能。
続いて、平山郁夫美術館のほぼ裏手にある
潮聲山耕三寺へ。浄土真宗本願寺派の仏教寺院。山号は潮声山(潮聲山)。大阪で活躍した実業家で生口島出身の金本耕三(1891〜1970)が母の死後出家し、1936年(昭和11年)から伽藍の建立が始められたという新しい寺院。30年もの歳月をかけて完成しました。日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並んでいます。このうち15の建造物が国の登録有形文化財として登録され、仏像、書画、茶道具などの美術品・文化財を多数所蔵し、寺全体が博物館法による博物館となっています。「西の日光」とも呼ばれ、瀬戸内海有数の観光地としても知られています。
耕三寺には千仏洞地獄峡なるものがあります。入口の看板には次のような説明文がありました。
自分を見つめ直すために、入りました(笑)。
千仏洞地獄峡を抜けると、救世観音大尊像がお出迎え。
耕三寺のもうひとつの目玉は、広島県出身で世界的に活躍している彫刻家、杭谷一東さんが設計・制作された「未来心の丘」。杭谷さんのアトリエがあるイタリアのカッラーラで採掘し、コンテナ船で運んできた白い大理石をふんだんに使った、広さ5,000uにもおよぶ庭園です。まぶしいほど白い。圧巻です!
耕三寺を後にし、BEL CANTO HALL(ベル・カントホール)へ。BEL CANTO(ベル・カント)とは「美しい声」という意味。音響効果に心を配って設計された、音楽専用のホールです。ベーゼンドルファーのピアノが置いてあり、緞帳は平山郁夫さんの絵です。特別に開けてもらい、一声発しました。BEL CANTO HALL(ベル・カントホール)にちなんで、イタリアの歌、カンツォーネを♪とても歌いやすかった。
BEL CANTO HALL(ベル・カントホール)の前にある、サックスのオブジェ。生口島の野外に美術作品を展示しようという運動、島ごと美術館の作品のひとつです。西野康造作『風の中で』。
生口島の目抜き通、しおまち商店街を抜けて、再び瀬戸田港へ。
瀬戸田港から散策開始。宿泊した旅館つつ井から歩いて数分の所に平山郁夫さんのご実家があります。真向かいは瀬戸田水道。幼少の頃はここでよく泳いでいらっしゃったそうです(現在は遊泳禁止)。
その護岸には平山郁夫さんの言葉が刻まれています。
瀬戸田水道の安全を見守る亀ノ首地蔵様。
生口島は造船業の島。
生口島は国内で初めてレモンの栽培が成功した地でもあります。あちこちにレモン畑があります。残念ながら、この畑は収穫後。
さらに進んで、向上寺へ。
向上寺は室町時代に建立された寺で、国宝の三重の塔があります。
散策の後はこの地方の名物、蛸飯で腹ごしらえ。美味。
そして、帰路に着きました。
この旅行でひとつの日本の美しさに接することができました。尾道を訪れて、多くの作家や映画監督がなぜ尾道を愛するか、わかりました。海と山、島を有する尾道特有の魅力的な自然。それが織りなす綾。高貴さと大衆性が混在し、懐かしさが漂う街並み。そして、大芸術家を育んだ生口島の自然。そこに生きる人々のたくましさ。都会にはないエネルギーにあふれていました。料理も美味しかった!(笑)
気分転換のつもりで行ったのですが、図らずも、この旅行で得たものは大きかった。
帰路にて。琵琶湖の美しい夕暮れ。