瑞浪市制60周年記念事業
創作ミュージカル「櫻堂ものがたり」
2015年1月25日(日) 無事終了
瑞浪市総合文化センター 文化ホール
主催
瑞浪市教育委員会
協賛
公益財団法人 十六地域振興財団
お問い合わせ
瑞浪市教育委員会社会教育課0572−68−5281
台本:いちかわ あつき
作曲:なかむら たかし
音楽監督・指揮:中村貴志
構成・演出:佐久間広一郎
管弦楽:瑞浪市民交響楽団(客演コンサートミストレス:鳥居愛子)
合唱:みずなみニューイヤーコンサート特別合唱団
合唱指導:森山孝光、間瀬妃佐美
練習ピアノ:森山康子、伊藤さおり
演劇:みずなみニューイヤーコンサート特別劇団
音響:株式会社 テトラテック
照明:則武鶴代
衣装:木場絵里香
キャスト
小波:桐井祐衣
照覚坊:森山孝光
龍王:鈴木健司
如来:川越菜央
日吉:片山博貴
月吉:鱸智行
工藤:工藤重孝
加藤・舟蟲女:加藤純子
三諦上人:いちかわあつき
長者:井澤康樹
ダンサー:山田美波、堀田菜穂子
瑞浪市制60周年を記念して、瑞浪市土岐町桜堂地域に伝わる民話をもとにした創作ミュージカル『櫻堂ものがたり』の上演は大きな感動を巻き起こし、大成功裡に終わりました。
「みずなみニューイヤーコンサート」では
2013年と
2014年が前売の段階でチケットが完売したことから、今回は初めて2日公演を打ちました。両日合わせて1400名近いお客様にご来場頂きました。会場となった
瑞浪市総合文化センター文化ホールの客席数が800席ですから、入場者数の面から見ても成功です。
当日ご来場下さいました方々、そして『櫻堂ものがたり』の上演にご尽力下さいました方々に心から御礼申し上げます。たくさんのお客様にご覧頂けたこと、素晴らしい上演が実現したことはこのミュージカルの作曲者として、指揮者としてこの上ない喜びです!
「みずなみニューイヤーコンサート」の統括プロデューサーともいうべき存在で、すべてをまとめ上げて毎回素晴らしいステージを作り上げられた、また一般公募の合唱団も指導し、ステージに出て素晴らしい演唱を繰り広げられた森山孝光さんが終演後のレセプションのご挨拶で、「みずなみニューイヤーコンサート」のことを語ったら2時間かかるとおっしゃいました。本当にそうだと思います。このプロジェクトに深く関わってこられたからこそ思いは強く、思うことは多く、一言では語り尽くせないでしょう。
森山さんの思いには到底及びませんが、瑞浪市政50周年の記念事業から関わらせて頂いた僕も感慨は非常に深く、瑞浪には強い思い入れがあります。瑞浪の思いが詰まった『櫻堂ものがたり』が上演されたのを機に、僕の思い出の記録として残された資料を掘り起こしながらこれまでの足跡を残しておきたい。長くなりますが、このブログをご覧の皆様にもお付き合い頂けましたら幸いです。
瑞浪市制50周年記念の「第九コンサート」
森山孝光さんとのお付き合いは相当長い。1999年6月に開催された混声合唱団 スコラ カントールム ナゴヤの記念すべき「第1回定期演奏会」で共演している。出会いはそれよりも前だったかもしれない。
2001年、当時同じ先生に声楽を習っていて交流を続けていた森山さんからL.v.ベートーヴェンの『交響曲第9番』いわゆる『第九』の合唱指導とテノール・ソロをお願いされた。2004年に瑞浪市が市制50周年を迎える。それを記念して瑞浪市で初めて『第九』をやりたい。それにい向けてとりあえず1回やってみたいとのこと。だから、合唱団の名称は瑞浪とにかく第九を歌ってみる会だった。
6月から合唱練習を開始。おそらく合唱の方々は初めて『第九』に取り組むということで音取りやドイツ語の発音に苦労されただろうが、僕は楽しい印象しか残っていない。瑞浪の方々の人柄(あるいは土地柄)の良さに触れて、練習に伺うのが毎回楽しみだった。
そうして、迎えた12月、「第1回みずなみ『第九』入門コンサート」が開催された。前半は主に『第九』の解説、後半は第4楽章の演奏という内容だった。管弦楽を務めたのは瑞浪市民交響楽団。森山孝光・中村貴志・瑞浪の一般公募の合唱団・瑞浪市民交響楽団という組み合わせの原点はここにある。演奏は熱く、『歓喜の歌』が高らかに鳴り響いた。
瑞浪初の『第九』の立役者に旗幸雄先生がいらっしゃった。実際に指導はされなかったが、当時瑞浪市合唱連盟理事長であられ、統括指導者として関わられた。瑞浪の合唱の功労者で、皆から慕われ、そこにいらっしゃるだけで皆の気持ちを自ずと一つにさせる方だったが、翌年病魔に襲われ、帰らぬ人となってしまった。
しかし、旗先生が蒔かれた種は確実に芽吹いた。残された者が旗先生の遺志を継ぎ、確実にステップアップした。合唱団の名称もみずなみ本気で「第九」を歌う会となった。
そうして、2002年12月に「第2回みずなみ『第九』入門コンサート」を開催した。『第九』の第4楽章はピアノ連弾になったものの、合唱のレベルは確実に上がった。また、前半は森山さんがベートーヴェンに扮し、ベートーヴェンやモーツァルト、シューベルトの作品を織り交ぜながら劇仕立てにして、彼の生涯に迫った。ここに後の「みずなみニューイヤーコンサート」の原型があるように思う。
岐阜県下のアマチュア・オーケストラが定期定期に集まって、各々の団体が各々の本拠地で持ち回りで開催している「オーケストラ・フェスティバル」がある。その第6回が2003年10月に瑞浪市民交響楽団の主導の下、瑞浪市で開催される運びとなり、合同演奏曲を『第九』の第4楽章にして頂いて、この年も『第九』を歌うことができた。
実はそれに先立つ3月に合唱団は別のコンサートにも出演している。「宝くじコンサート」の一環としてやって来た
オーケストラ・アンサンブル金沢(円光寺雅彦指揮)と共演を果たした。合唱団の名称は宝くじコンサート合唱団ではあったが、実質はみずなみ「第九」を歌う会。日本のトップクラスのオーケストラとの共演は大きな経験となった。
2004年、瑞浪市制50周年記念の年を迎えた。これまでの3年間はこの年までの準備期間。いよいよ本番である。合唱団員たちの気持ちがいっそう高まり、これまでの積み重ねも大きい。まさに「満を持して」である。管弦楽を務めた瑞浪市民交響楽団も『第九』を全楽章演奏するとあって、気合いが入っていた。
そうして迎えた本番が成功しないはずがない。全ての演奏者の思いが一つになり、音となってあふれ、演奏者にも聴く者にも熱狂を巻きお越し、瑞浪市制50周年を華々しく祝うことができた。
また、今回の『第九』への取り組みは瑞浪市の音楽文化事業においても大きな足跡を残したと思う。大輪の花を咲かせ、実を結び、新たな種が蒔かれた。その種が「みずなみニューイヤーコンサート」として芽を出すこととなる。
僕個人としては「みずなみ第九」で『第九』を4年間もじっくりと取り組めたことが大きな糧であった。大学を卒業してすぐの1998年、僕は瀬戸第九をうたう会創立15周年記念演奏会(手塚幸紀指揮による
名古屋フィルハーモニー交響楽団)で初めて『第九』の合唱指揮を担当した。そして、瑞浪でのこの取り組みが合唱指揮者として大きく成長させてくれた。2003年の9月から関西での活動を本格的に展開し、2004年には京都市交響楽団の2つの演奏会で『第九』の合唱指揮を担当した(ひとつは大友直人指揮、もうひとつは井上道義指揮)。翌年からは
セントラル愛知交響楽団の「悠久の第九」の合唱指揮を担当。現在までに『第九』の合唱指揮は40回を数える。
「みずなみニューイヤーコンサート」始まる
市民参加型で4年間継続し、成功を収めた瑞浪の第九。それをさらに継続していこうという動きが以前からあり、当時瑞浪市総合文化センターの館長で、『櫻堂ものがたり』では工藤役を務められた工藤重孝さんのご尽力もあり、「『みずなみの第九』ファイナルコンサート」の翌月の2005年1月に「2005 みずなみ New Year Concert」として実現した。「みずなみニューイヤーコンサート」の始まりである。
僕はモーツァルトの歌劇『魔笛』の抜粋でタミーノを演じ、合唱が歌ったヘンデルの『ハレルヤ』の合唱指導を担当した。工藤さんはナレーションをされた。
その時のプログラムを見ると、プロ、アマチュアに関係なく、瑞浪在住の音楽家が集い、試行錯誤して作り上げたという感じがする。
それから僕はしばらく「みずなみニューイヤーコンサート」から離れることとなる。端的に言えば、呼ばれなくなったのだ。その理由はわからない。少ない予算ゆえに僕の謝礼が払えなくなったからかもしれないし、瑞浪あるいは東濃地方の人材だけで制作していきたいという考えがあったかもしれない。
一方、僕は2003年の9月から本格的に関西での活動を展開し、2004年からは大阪にも住み始め、仕事は大きくなり、量も増え、忙しくなった。
時は経て2010年、僕に大きな転機が訪れた。思いがけず作曲家デビューを果たしたのだ。
ラジオ・ミュージカル『本能寺が燃える』である。
FM Aichiで同年の10月から12月にかけて放送された番組であるが、僕は当初音楽監修という立場で関わった。しかし、放送2ヶ月前に色々あり、結局作曲も手がけることとなった。
このラジオ・ミュージカルは評判を呼び、東海地区において同時間帯の最高聴取率を獲得、放送業界において最高の栄誉とされるギャラクシー賞の第48回ラジオ部門奨励賞と全国FM放送協議会が主催するJFN賞の2011年企画部門大賞を受賞した。その後CDも制作され、全国放送もされた。作編曲家なかむらたかしの原点がここにある。
さて、ラジオ・ミュージカル『本能寺が燃える』で森山孝光さんと久々の再会を果たした。森山さんは斉藤道三役を務められたのだが、それは堂に入ったもので、絶賛された。
中村貴志、
「みずなみニューイヤーコンサート」に再登場
ラジオ・ミュージカル『本能寺が燃える』の放送が終了した翌月、森山孝光さんからお電話を頂いた。それは今でも覚えていて、河内長野ラブリーホール合唱団の練習の帰り、河内長野駅のホームでだった。これまで合唱(声楽)と瑞浪市民交響楽団とで別々に市民参加型の演奏会を開催してきたが、
「みずなみニューイヤーコンサート2012」は一緒に行いたい。ついては指揮と選曲をお願いしたいということだった。おそらくラジオ・ミュージカル『本能寺が燃える』で再会し、ともに番組を作り上げたことがあったからであろう。この依頼は飛び上るほどうれしかった。もちろん快諾した。
僕は合唱とオーケストラがともにやりがいのある佐藤眞作曲のカンタータ『土の歌』をそのメインに据えた。幸いにも、僕は作曲者自身から購入した楽譜を所有し、レパートリーでもあった。前半はオペラの序曲や間奏曲からオーケストラの力量を試すことのできる曲を選んだ。また、一般公募による演劇も加わることになり、合唱・オーケストラ・演劇が一体となって展開していく「みずなみニューイヤーコンサート」の形が出来上がる。
打ち合わせや練習で度々瑞浪に訪れた。街はメインストリートができて様変わりした部分もあったが、『第九』の時と変わらない懐かしい部分もあった。合唱団員は「みずなみの第九」以来ずっと続けてやっていらっしゃる方も多く、懐かしい再会を果たすことができた。瑞浪市民交響楽団との練習では時には厳しいことも言ったが、「みずなみの第九」の時と同様、毎回瑞浪に訪れるのが楽しみであった。
本番は大成功! その模様は
「みずなみニューイヤーコンサート2012」の記事を参照して頂きたい。
「みずなみニューイヤーコンサート2013」では僕の処女作『本能寺が燃える』が上演されることになった。
好評だったラジオ・ミュージカル『本能寺が燃える』は翌年、舞台化されて名古屋で初演された。指揮はもちろん僕、斉藤道三は森山さんが務められた。舞台化された『本能寺が燃える』は2012年に東京と大阪と富山でも上演された。
しかし、瑞浪での上演にあたっては困難があった。それは市民参加型を崩さないということ。そのために、脚本や編曲を大幅に変更した瑞浪版が制作された。僕としては『本能寺が燃える』をフル・オーケストラでできたことがいちばんうれしかった。
いちばん怖かったのはお客様が集まるかどうかということ。いくらラジオで最高聴取率を獲得し、全国放送もされ、また大きな賞を2つも受賞し、舞台化されて上演されたといっても、知名度が全然高くありません。そんなミュージカルに瑞浪の方々は反応を示して下さるのだろうか? しかし、それは杞憂に終わった。チケットは前売りの段階で完売。
当日は補助席を準備し、立ち見まで出たほどだった。
「みずなみニューイヤーコンサート2014」の選曲と構成には苦労した。『本能寺が燃える』瑞浪版で大成功を収めたが、方向性が定まらずにいた。合唱とオーケストラだけだと、演劇が加わるにしても硬くなるという意見。わかりやすい劇作品が良いという意見。それらをまとめて、管弦楽曲(J.シュトラウスUのワルツ『美しく青きドナウに』)、合唱曲(高田三郎の合唱組曲『水のいのち』管弦楽伴奏版)、劇作品(E.フンパーディンクの歌劇『ヘンゼルとグレーテル』の抜粋)という、独唱、合唱、演劇、オーケストラが活躍できる構成にした。
上演にこぎつけるまでは苦労したが、『櫻堂ものがたり』で構成と演出を担当を担当された佐久間広一郎さんを招き、舞台としての体を整えた。前回に続き、前売チケットが完売し、満員のお客様を迎えて
本番を成功裡に終えることができた。
瑞浪市制60周年を記念する作品の制作に
乗り出す
僕の作曲したミュージカル『本能寺が燃える』瑞浪版が上演された
「みずなみニューイヤーコンサート2013」の記事を見ると、僕は瑞浪市制60周年について記している。『本能寺が燃える』瑞浪版の稽古の終盤にそれを記念した公演ついて話し合いを持ったことを覚えている。ただし、この段階では具体的なことは話し合われていない。「できてら良いね」という程度にとどまった。
その後
、「みずなみニューイヤーコンサート2014」の会議と合わせて幾度か話し合った。そこでわれわれは2つの困難にぶつかった。それは時間と費用である。独唱、合唱、演劇、オーケストラを巻き込んだ音楽劇(ミュージカル)にするということは定まったものの、そのためには台本と音楽を作らなければならない。良いものを作ろうと思ったら練る時間が必要だし、市民参加型で稽古期間を長く取るため、作品の締め切りが早めに設定される。すぐにでも台本制作に入ったほうが良い。しかし、公共事業のため、その予算が市議会で審議されて議決され、正式に事業として認められるのはほぼ本番の1年前。予算が認められない可能性もある。まとめ役の森山さんも僕もできるかどうかわからないことに動き出すのは消極的だった。加えて、
瑞浪市総合文化センターの体制が変わり、「みずなみニューイヤーコンサート」の存続自体が危ぶまれたので、僕は無理だろうと思っていた。
そこで突っ走ったのは「みずなみニューイヤーコンサート」において一般公募の劇団を指導し、自らも舞台に立たれた女優の加藤純子さん。知り合いに台本を書かせる、もし音楽劇が実現しなければ自分で買い取るとおっしゃる。その熱意に押されて周囲も実現に向けて動き出した。最終的には瑞浪市長のお墨付きを頂くことができ、瑞浪市制60周年記念事業「みずなみニューイヤーコンサート」の実現が大きく前進した。
加藤さんが音楽劇の台本を依頼したのは俳優で、自ら戯曲も書く中津川在住のいちかわあつきさん。台本の初稿が出来上がって初めて話し合いを持ったのは2014年の正月明け早々だった。題名は『櫻堂ものがたり』。瑞浪市土岐町桜堂地域に伝わる日吉・月吉の龍退治を交えた内容。いちかわさん、加藤さん、森山さん、演出を担当する佐久間広一郎さん、作曲を担当する僕は意見を戦わせた。内容は良い。しかし、ミュージカルらしくない。もっとドラマティックに。初めて観た人が素直に感情移入できるように。
いちかわさんは何度も書き直し、その度に皆が読み込み、集まって率直に意見を述べた。実は、瑞浪市の広報で瑞浪市制60周年記念事業として『桜堂ものがたり』が上演されることが発表された4月の段階では「これでいける」という台本はまだ出来上がっていなかった(作曲には手もつけられていない)。いちかわさんは終演後のレセプションで心が折れて、途中で止めようと何度も思ったと述べられた。しかし、版を重ねる毎に台本はミュージカルらしく、面白いものになっていった。
台本が一旦の完成を見るのは
8月24日の発会式直前だった。それ以降も細かい修正が繰り返され、決定稿ができるのは年が明けてからである。
作曲は6月の終わりから始めた。台本の制作が途中であるけれども、完成を待っていたら確実に作曲が間に合わないし、歌詞に変更はないということから作曲に踏み切った。が、作曲を進めると、台詞との整合性を持たせたり、音楽に合うよう音節の数を調整したり、行を入れ替えたり、詞が僕の思いとそぐわなかったり、と歌詞の変更は幾度もあった。その度にいちかわさんとやり取りしたが、こういったことはミュージカルを作っているという実感にもなった。
完成した台本を読み込み、音楽のプランをしっかり練って、最初から作曲していくのが真っ当なやり方だろうが、何せ時間がなかったので、大まかなプランを立てて、アイデアが浮かんだ楽曲から作曲していった。
8月末の発会式までには全曲完成するだろうと思っていたが、自分の考えが非常に甘かったことを思い知る。それ以後は「まだか?」と督促を受けながら、稽古に合わせて書き上げていった。
結局全曲完成したのは11月の終わり。打ち込みによるBGMの制作と演出部からの要請による修正をして、完成稿が出来上がったのは台本と同じで年が明けてからであった。
合計で1131小節、スコアにして192ページの楽曲は以下の通りである。
1.第1幕への前奏曲 [オーケストラのみ]
2.めぐる春−オープニング− [合唱]
3.朝から日暮れまで [小波]
4.野に麗しき花ありて [小波、照覚坊]
5.しばし別れて [小波、照覚坊]
6.どこの誰とも知れない小波よ [小波、龍王、合唱]
7.邪神なるものの手に [小波、龍王]
8.第2幕への前奏曲 [オーケストラのみ]
9.光明 [三諦上人、合唱]
10.大蛇の怒り [小波、舟蟲女、三諦上人、龍王、合唱]
11.私が此処に在ることの [合唱]
12.月の光と日の光 [薬師瑠璃光如来、日吉、月吉]
13.因縁の戦い [大蛇の小波、日吉、月吉、三諦上人、龍王、合唱]
14.在るがままに なすままに [合唱]
15.めぐる春−エンディング− [全員]
時間に追われたけれども、アイデアを練り、自分の音を突き詰めた。僕の作曲家としての能力を全て注いで音を生み出した。僕の渾身の力作。良い作品だと自負している。
『櫻堂ものがたり』のCM
『桜堂ものがたり』が上演される
1月24日と25日にとうとう本番を迎えた。両日ともたくさんのお客様にご来場頂いた。そして、「良かった」というお言葉をたくさん頂けた。
出演者とスタッフは一丸となってこの『櫻堂ものがたり』に力を注ぎ、丁寧に仕上げて、素晴らしい上演を実現して下さった。みずなみニューイヤーコンサート特別合唱団は素晴らしかったの一言に尽きる。瑞浪市民交響楽団は演奏しにくい条件下で丁寧に音楽を奏で、舞台に彩りを添えてくれた。みずなみニューイヤーコンサート特別劇団は熱演で舞台を盛り上げてくれた。キャストはそれぞれの役柄を掘り下げ、観る者を惹き付けた。こんなに素晴らしい方々とこんなに素晴らしい時間を共有できたことはこの上ない喜び! 感謝の言葉しかありません。
森山孝光さんには心から最大の賛辞を贈る。森山さんあっての「みずなみニューイヤーコンサート」、森山さんがいなければ成しえなかったに違いない。
2005年から始まった「みずなみニューイヤーコンサート」は他の都市にはない素晴らしい文化事業だった。創作ミュージカル『櫻堂ものがたり』でちょうど10年を迎え、これまでの集大成となり、再び大輪の花を咲かせた。その花が再び実を結び、種が蒔かれ、新たな文化の芽が出ることを切に願っている。
「みずなみニューイヤーコンサート」は指揮者・中村貴志の、作編曲家・なかむらたかしの30歳代の集大成でもある。指揮者として成長させて下さったし、自作のミュージカルが2つも上演されたなんてすごいことである! 瑞浪での思い出は決して忘れることはない。これを糧としてさらに成長し、再び瑞浪の地で音楽できる日が来ると信じている。
瑞浪のみなさん、またお会いしましょう!