2日間の大阪での仕事の疲れが出て、朝起きられず。
金城学院大学の講義は15時5分からだから大丈夫と思っていたら、今日は補講で13時20分からということを思い出して、慌ただしくデスクワークを片付けて、準備をして家を出る。先週は寝込んで急遽休講にした上に、今日の補講を1限すっぽかしたなんてシャレにならない。
今日は音楽芸術学科の2年生を対象とした合唱指導法の最後の講義。実技試験を行いました。課題曲はこの講義でずっと取り組んできた岩間芳樹作詩・新実徳英作曲の『聞こえる』。これは僕が高校1年生の時のNコン(NHK全国学校音楽コンクール)高校部門の課題曲でした。あの多感な時期、思春期の青臭い青春時代の思い出の曲。当時、ベルリンの壁の崩壊に象徴される東欧の民主化が進む一方、湾岸戦争が勃発、また自然破壊も進んでいた世の中を歌っています。しかし、現在に目を向けると、その状況はあまり変わっていないことに愕然とします。
僕の次の世代の金城学院大学の学生たち(だって、僕が高校生の時はまだ彼女たちは生まれていない!)は真摯に取り組んでくれ、それぞれの『聞こえる』を聴かせてくれました。この半期で指揮が上達しました。
本当は他の曲も取り上げたかったのですが、曲を理解度を高めながら一人一人じっくり指導すると、1曲しかできませんでした。
クリスマスコンサートの練習もありましたしね。
これは学生たちにも正直に言いましたが、半期でできることには限りがあります。どうしても表層的な部分しか教えられません。合唱指導は一朝一夕には習得できません。合唱団とじっくり向き合い、どうしたら上達するかを考え、試して習得していく他ありません。それこそ、小学校、中学校、高校、大学、一般のアマチュア、プロでそれぞれ対処の仕方も違います。現場に出たら、失敗を恐れずにどんどん試して、スキルを磨いてほしい。
合唱指導法の講義で本当に良かったのは、学生たちと一緒に
クリスマスコンサートで演奏できたことと、17名の学生が金城学院大学教授である小松長生さんが指揮し、僕が合唱指揮を務めた
セントラル愛知交響楽団の「悠久の第九」に出てくれたこと。現場での僕の仕事ぶりを見てもらうのがいちばんの勉強ですし、何よりも素晴らしい音楽性を持つ彼女たちと一緒に音楽することができたのがいちばんうれしいのです。
これで今年度の金城学院大学の仕事は終わりました。教育機関に勤めだして2年目。慣れた部分もありますが、まだまだだ。より良い講義を目指して、来年度に取り組みます。
夜は
コーラスユニットCoCoRoniココロニの練習。
13日は本番中に倒れてしまい、大変大変ご迷惑をおかけ致しました。宗次ホールの皆様にご心配を頂きました。しかし、しかしである。病院から帰宅した後、脳と心臓には異常はないとメールしたにもかかわらず、脳疾患になっていたのには驚きました! 内耳炎ですから(笑)。
今でこそお笑いになりましたが、僕が激しい頭痛とめまいで座席うずくまったのが、男声陣が『叱られて』で歌詞を間違えた時。男声陣たちはステージから僕を見て「そんなにうろたえなくても…」と思ったらしい。隣りにいたプロデューサーは僕がうずくまってしまうほどの失敗だと思ったらしい。ただ気持ち悪かっただけ。
内耳炎の予兆はなかったのかとよく聞かれますが、本当にまったくありませんでした。当日は風邪気味だったので、ギリギリに会場に入り、お客様のお迎えをご遠慮致しましたが、楽屋でコーヒーを飲み、メンバーと他愛もない雑談をし、本番前に舞台袖で円陣を組み、客席のいつもの席に着きました。本当に突然症状が出たのです。
さて、今日から3期生を迎えました。1期生も2期生もウカウカしていられません。ダメだったら降格して、ステージに出られない可能性もあります。切磋琢磨してさらに向上してほしいと願います。
3期生を迎えた新生CoCoRoniココロニの初練習は厳しいものとなりました。プロフェッショナルとはどういうことなのか? 上手い、下手ではありません。上手くて当たり前。求められたものができるかどうかだ。クライアント側からの視点で乱暴に言うと、使えるかどうか。できない者はプロではない。使えない者は捨てられる。極論はそういうことです。おそらく自分なりに頑張っているかもしれません。しかし、評価するのは他人。絶対的な成果を示さなければ、評価されません。
これはメンバーだけに当てはまることではありません。僕もそうなのです。僕が使えない人間ならば、捨てられるのです。現場とはそういうところ。僕はその覚悟を持って、絶対的な成果を示して捨てられないように日々努力しているのです。プロとして音楽をする真の喜びはその先にあるのです。