2021/2/20
宮田静一 著『農泊のススメ』
(弦書房刊・20.11.30・四六判・240頁・本体1700円)
「農泊」という言葉は、聞き慣れないが、なんとなくイメージは湧いてくる。農村に泊まる、農家に泊まるということなのだろうという推測は成り立つ。だが、著者は、もっと広い視野にたって、グリーンツーリズムという考え方から、「農泊」は生起している。
著者は、東京の大学を卒業後、故郷の大分県に帰り、宇佐市安心院町でぶどう農園を開園。
「入植時の昭和四〇年代に安心院町では三五〇ヘクタール、三五〇軒がぶどうの国営パイロット事業でスタートしたが、その三〇年後、ぶどう農家は半減していた。この時「ぶどうの灯を消すまい」で立ち上がったのが、安心院町のグリーンツーリズム研究会であった。」
西欧では、アグリツーリズムといわれるもので、都市住民が、農場や農村で休暇を過ごすことだが、著者たちも最初は、九三年にアグリツーリズム研究会として発足するが、三年後、安心院町グリーンツーリズム研究会に改称した。「アグリからグリーンに変わるのにメンバーの中には反対があったが、これだけ農家が少なくなっている中でアグリはなかろう。都市と農村の交流に農家だけでは対応できない。(略)農家個々の取り組みではなく、農村としての運動、農家ツーリズムではなく、農村ツーリズム、「農村で休暇を」のグリーンツーリズム研究会が新生することになった」と述べている。
二〇〇〇年に、大分商業高校の生徒三二〇名を受け入れる。農泊教育旅行の先駆けとなった。やがて、全国から修学旅行を兼ねて、農泊することへと拡がっていく。〇一年九月、埼玉県立新座高校一五〇名が初めて修学旅行として訪れた。著者の家にも、七名の女子生徒たちが農泊した。そのリーダーから後日、嬉しい手紙(文面を引いているが、ここでは紹介しない。本書で読んで欲しい)が届いたという。
「研究会のキャッチフレーズに「一回泊まれば遠い親戚、十回泊まれば本当の親戚」というのがあるが、二泊しただけで本当の親戚を通り越してしまった。卒業式の後、我が家に農泊した子どもたちが黒板に「卒」と大きく書いて、その前にみんなで並んで撮った写真を送ってくれて、その写真を見て何とも言えず、目頭が熱くなった。農泊の醍醐味と言えよう。/あれから二〇年近く経とうとしているが、七人の娘の幸せを祈るばかりである。/この時三八軒の農泊家庭で受入を行ったが、三八通りの感動があって、今があると信じている。なぜなら、その後、新座高校は修学旅行で一〇年も安心院を訪れ、本当の親戚になったのである。」
例えば、観光地や温泉地の旅館や民宿に泊まって、料理や酒で満喫できたとしても、記憶は薄れていくものである。そこで働く人たちや旅館や民宿の主人との交流があれば記憶(思い出)も鮮烈に残っていくものである。人と人との交流が旅や暮らしのなかでは大事な要素となっていくからだといっていい。
「農泊体験で一番の教育効果「人は信じられる」とわかることではなかろうか。泊まった人達からの最高のホメ言葉は「家族や地域が仲が良く、力を合わせている」でなかろうか。このことは、簡単そうで難しい。(略)美味しい料理を出した上に、人間味が問われるのである。(略)グリーンツーリズムは人が資源なのです。」
例えば、共同体という捉え方がある。共同体というのは閉じては、窮屈な共同体のなかでの暮らしとなっていく。本当は、農村の方が開かれているはずなのに、農業だけでは生活は不安定になり、心的にも負荷が掛かっていく。子どもたちも、農村での暮らしから離反して都市部の方へと移動していく。開いていたはずの共同体が、だんだん閉じられていくことになる。本書を読みながら、画期的な農泊という発想が、共同体を開く力になっていくことに、わたしは感嘆したといっていい。
著者の熱意は、さらに加速していく。「ヨーロッパのように自国民が休暇をとって農村に出かけるようなバカンス法なしに、限界集落という山津波は防ぎきれない。このまま何もせず黙っていれば、誰かが言っていたが日本の大半の農村は安楽死集落に近い状態になっていくのでではなかろうか」と述べていく。そして、農泊の全国組織「未来ある村 日本農泊連合」を一九年三月、結成した。
【付記】「農泊」は、著者・宮田静一が〇三年十月に商標登録した言葉だ。
(「図書新聞」21.2.27号)

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投稿者: munechika
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