先日放映された「ウマ娘プリティダービー・シーズン2」第3話ですが・・・おいこらちょっとまて(汗)
本作の主人公の一人、メジロマックイーンが秋の天皇賞〜ジャパンカップ〜有馬記念で三連敗を喫したと言う事が語られた訳ですが、その内容には一切触れませんでした!
名馬メジロマックイーン唯一最大の汚点が秋の天皇賞でして、スタート直後の位置取り争いの過程で他馬の進路を妨害してしまいます。
この妨害は即審議の対象となり、被害馬は落馬寸前になる程によろけた事が原因で17着となった=妨害したメジロマックイーンは1着入線が18着へ降着と言う前代未聞の大失態だったのです。
これをサラっと無かった事にしちゃうのは面白くないなぁ!不満です!!
繰り上がり優勝となった2着馬はプレクラスニー、メジロマックイーンと同じ芦毛馬ですが顔面が真っ白と言うちょっと変わった風貌の馬でした。
もしプレクラスニーがウマ娘化されたら「美白にこだわる」と言うキャラになるのは間違いないでしょう(笑)
さて「ウマ娘シーズン2」から登場した個性派揃いの「チームカノープス」メンバーのモデルとなった馬ですが、今回は堅実さが売りのイクノディクタスを取り上げてみたいと思います。
イクノディクタスはその名の通り父はディクタスです、サッカーボーイやムービースター、ゴールデンサッシュ(サッカーボーイの全妹でステイゴールドの母)を輩出した名馬です。
母ダイナランディングの父はノーザンテースト、この「母父ノーザンテーストにディクタス」は、当時の社台グループ自慢の組み合わせでした(サッカーボーイにムービースターもこの組み合わせです)
しかしイクノディクタスはデビュー前の3歳時(旧馬齢)に屈腱炎を発症、これが一時は安楽死処分も検討される程の重症だったとの事なのですが装蹄師の工夫などの治療の甲斐が有って回復しデビューします。
デビューしてからのイクノディクタスは一転して故障知らず、約5年間の現役生活で51戦を走り9勝を挙げます。
この健脚ぶりから付いた仇名が「鉄の女」夏競馬で良く勝っている事から「夏女」と言う呼び名もありました。
勝てなかったレースでも確実に上位入線を物にして、GT勝ちは無いものの当時の賞金女王となっている、まさに「無事之名馬」だったと言えるでしょう。
そのイクノディクタス一番のレースとして1993年の宝塚記念を挙げたいと思います。
2枠2番イクノディクタス
良馬場発表でしたがレース前に降った雨の影響で内側が荒れた馬場、それを避けて多くの馬が馬場の中ほどを進むのですが1枠1番オースミロッチだけが荒れた内側を行くと言うちょっと不思議な展開のレースでした。
先行するのは例によってメジロパーマー、メジロマックイーンは先行集団外めと言う絶好の位置をキープ、イクノディクタスは最後方で展開を窺うと言った様相でした。
先頭を行くメジロパーマーが失速した所でレースが大きく動き、メジロマックイーンが力の差を見せ付ける余裕の1着。
2着には最後方から一気に追い上げたイクノディクタスでした。
3着はあえて荒れた内ラチ沿いを進んだオースミロッチと言う決着に。
勝ったのはメジロマックイーン、さすがに格が違うと言う感じの完勝だったと思います。
その完勝劇の後ろであれよあれよの追い上げを見せたイクノディクタスもさすがだったと言えます、相手関係が違えば1着も有り得たかもしれない好走でした。
イクノディクタスが走っていた時代はGT体系が今ほど整備されていなかったのです。
それを考えると、もし牝馬のGT競争が今のように整備されていたならGTの1つや2つ勝っていたのではないかと考えてしまいます。
また、ウマ娘ではチームメイトとなっているツインターボが勝った93年オールカマー、マチカネタンホイザが勝った93年富士ステークスと言ったレースにも出走しています。
その富士Sを最後にイクノディクタスは引退して繁殖牝馬となるのですが、初年度の相手は何とメジロマックイーン!
メジロマックイーンの主戦だった武豊騎手によると「メジロマックイーンはイクノディクタスが好きだったのでは?」との事です。