連載第14回目です。
一時に比べだいぶペースが落ちてしまいましたが、今回は大洗女子学園と全国大会2回戦で対戦したアンツィオ高校を語ります。
書き出したらえらい長さになってしまったので二部構成としました、今回はその前編です。
アンツィオ高校はイタリアをモデルにしていて、学園艦のモデルは空母アクィラです。
「月刊戦車道」によると、19世紀に来日したイタリア商人のマリオ・ポーロなる人物が「日本にイタリアの文化を伝える」と言う目的で創立したとされています(当時の学園艦は帆船だったらしい)
学園艦上の建築物もコロッセオなどローマ風で統一されていて「ローマよりローマらしい」と評する人もいるとか。
また、何かのアンケートでは「中学生が選ぶ進学したい学園艦」第一位がアンツィオ高校だとか。
そのアンツィオ高校ですが、学校の所在地は栃木県です。
しかし栃木県は海に面していないので、静岡県の清水港を寄港地にしていると言う設定です。
もしかしたら、三保松原の沖に学園艦が停泊しているなんて可能性もあるかも?
だとすると、ローマを模した街並みの背景に富士山と言う、ちょっとシュールながら絵になりそうな風景が見られるのかも?
イタリアを模しているだけあってか校風は明るく無邪気、屈託の無い元気な校風と言えますが、その反面勢い任せで思慮に欠くいい加減な面もあります。
これが戦車道チームの評価「調子に乗ると手強いが調子が出なければ総崩れ」そのままに繋がっています。
アンツィオ高の使用戦車はイタリア戦車です。
1930年代よりイタリア軍が主力として運用していたのはカーデンロイド豆戦車を元に密閉戦闘室を装備するなどの改良を加えたL3/33カルロ・ヴェローチェ(CV33)でした。
このCV33がアンツィオ高戦車道チームの主力となっています。
CV33の武装は口径8mmの連装機銃が基本で、バリエーションモデルでは火炎放射器や20mm対戦車/対物ライフルを装備した仕様もありました(アニメにおいてはアンツィオ高が装備している描写はありません)
軽量ゆえの快速が自慢ではありますが、装甲に関しては「無いよりマシ」と言うレベル。
ぶっちゃけ小口径の拳銃弾や投石などには耐えられても高初速の小銃弾だと危ないかも知れません。
主に占領地の治安維持に使われたようで、その用途ではこれでも間に合ったのでしょう。
歩兵支援用の戦車としては、M13/40カルロ・アルマートがありますが、こちらはコミカライズ版には出て来ますがアニメ版には出て来ません・・・何故出さなかったのか疑問です。
このカルロ・アルマート、世代的には独国のV号戦車や日本の九七式中戦車(旧チハ)仏国のソミュアS35辺りと同世代で、戦力的にはチハと同等と言えると思います。
しかしカルロ・アルマートの47mm砲と貧弱な装甲では極めて重装甲のチャーチルやマチルダUとはマトモに戦えませんでした。
北アフリカでイタリア戦車が英国戦車から逃げ回っていたのは、ある意味で仕方のない事なのです。
そのカルロ・アルマートの車体に固定の戦闘室を設け、75mm/18口径の主砲を装備した自走砲がM40/M41セモベンテda75/18です。
セモベンテはドイツのV号突撃砲に影響を受けたと言われ、前線での運用もV突とほぼ同じで歩兵支援から対戦車戦闘に活躍しています。
いまいちパッとしないイタリア戦車の中では、最も成功した戦車(自走砲)だと思います。
アンツィオ高では3輌所有しており、攻撃の中心となっています。
そして「アンツィオの秘密兵器」として、隊長のアンチョビが「宝」と評するのが重戦車P40。
しかし重戦車と言っても比較対象がカルロ・ヴェローチェやセモベンテでして(汗)格としてはドイツのW号戦車クラスの中戦車と同等です。
しかも同世代の中戦車と比較しても古臭い部分が多く、お世辞にも優位性は感じられません。
実際、エンジン供給が間に合わず100輌そこそこの生産数のうち完成していたのは60輌程度。
エンジンが間に合わなかった車体は固定砲台として使用されたとか・・・
そのうちにイタリアは降伏してしまい、稼働状態にあった車輌をドイツ軍が接収して使ったと言う記録が有る程度で、イタリア軍の戦力としてどれほどが戦ったか怪しい所です。
まあ、本土決戦の為として温存され結局運用されなかった三式中戦車よりは戦車として役に立ったと言えると思いますが。
しかしそれでも「W号戦車1輌、V号突撃砲3輌」と言う戦力を擁していると考えたら、意外に侮れないのではないかと言う気はします。
なお戦車の型番はそれぞれ重量や採用年度などを表していて、名称も種別がそのまま使われています。
タンケッテ=豆戦車のL3は「L=軽戦車、重量3t」CV33は「カルロ・ヴェローチェ=快速車、1933年採用」
中戦車のM13/40は「M=中戦車、重量13t、1940年採用、カルロ・アルマート=装甲戦闘車」
自走砲のM40/M41・da75/18は「M=車台が中戦車、40年及び41年採用、75mm18口径砲、セモベンテ=自走砲」
重戦車のP40は「P=重戦車(Pesante)1940年採用」となります。
面白いと思うのはこの辺の命名基準でして、イタリアは種別、重量、採用年度を並べ、英国は車輌の種別を頭文字で揃えて人物名を名付け、米国は開発順に数字でしたが途中から英国に倣い愛称(主に名将とされる人物名)を付けるようになります。
ソ連は基本分類のアルファベット+数字ですが最強の重戦車には指導者の名前を付けたりもしています、この辺がいかにも独裁者ですね(苦笑)
独国は開発順の数字と同時に猛獣の名前を愛称として付けています(ヤークトパンターが「ロンメル」と呼ばれていたのはタミヤの模型の商品名なのです、ロンメル将軍はヤークトパンターとはほとんど無関係なのです)
例外的には開発者ポルシェ博士の名前「フェルディナント」を冠した所、総統閣下が「これの名前はエレファント!」と言い出したので変更したと言う例も。
この辺がいかにも独裁者ですね(苦笑)
なお、W号以前の戦車はまだ総統閣下が政権を掌握する前だったので愛称が付いていません
日本は種別と開発順を「イロハ」で付け、採用年度を示す数字は西暦では無く皇紀でした。
陸軍は早いうちから戦闘機には愛称を付けていましたが、戦車にはそれは有りませんでした。
戦闘機の場合は新聞や映画等で宣伝する良い材料だったので特別だったのかも知れません。
なお、海軍の戦闘機と違って陸軍の戦闘機には命名の基準はありませんでした。
次回はアンツィオ高校のキャラクターを語りたいと思います。