2019/9/6

鏝鍛冶を考える  左官鏝
YouTubeにて杉田隆三さんをご紹介したところ、熱心な職人さんから
他の鏝鍛冶さんについても、お問い合わせを頂きましたので、この機会に
私の知る限り、また聞いたお話をさせて頂きたいと思います。

ただし、これらのお話は私の考えであり、決して正しいとは言えません、
中には推測の域を超えていない場合もありますことをご理解下さい。

杉田さんの話に出てくる梶原家(明治14年)には3人の息子さんがおり、
長男は政一(明治37年)、次男が杉田さんの師匠にあたる真次(明治40年)、
三男が現在のヒシカの父にあたる重治(明治42年)となります。

杉田さんは言葉を濁しましたが、真次さん、重治さん
(政一さんに関する情報を聞いたことがありません。)両名は共に
兵役も経験しており、杉田さん初め、お弟子さん達の修行は想像を
超える程の厳しさだったそうです。
(この件に関する動画もYouTubeで公開しました。)

重治さんに至っても同様で、時に梶原さんの語気からは心に
怒りを秘めているのではと感じた時もありました。(昔の話ですが)

それ程の厳しさですから逃げ出す者も多く、一人前とされる僅か
10年程で独立すると言うのは鍛冶屋としての強烈な自尊心なのかも
知れません。

鍛冶屋と言う仕事は孤高の戦いです。
今の時代とは違い、親方からは罵声が浴びせられ、独立したからと
言っても今度は取引先や職人からも罵声を浴びせられる。

そんな時代ですから、一日も早く独立したいと思って当然です。
また、その行為を「逃げ出した」と野次る方もおりますが、
事実、私がこの仕事についた昭和60年代には、まだ元鏝鍛冶だった
問屋仲間が数名おりましたので、鍛冶屋として大成されたのですから、
やはり立派だっと思います。

政一さんの息子さんである金梶(かねかじ)さんは、問屋卸を
一切行わず、職人さんへ直に販売しておったようです。

公森さんも凄い鏝鍛冶さんでしたが、こちらは数軒の問屋に販売の
一切を任していたようです。
残念ながら、お二人とも今は他界しております。

最後に、私が良く知る藤本好光さんに付いて語らして頂きます。
時代背景や詳細に付きましてはサイト内でご紹介しておりますので、
ここでは私の感じた藤本さんの人間像に関してご紹介致します。

まぁ何と言っても努力の人でした。
神経質で庭のいたる所までチリ一つないと言うのは近所でも有名な話。
また人一倍の負けず嫌いだからこそ、鍛造・焼き入れは勿論、
鋼の加工から溶接、果ては木工までもやり遂げてしまう辺りは
まさにマルチの天才です。過去にインタビーューを動画撮影させて
頂いた時は現代の名工にも厳しい言葉があり、事実とは言え、
「使えない」と思ったほどでした。
そんな藤本さんが亡くなった日を今も忘れません。
仕事に関しては厳しいが人間的には愛情に溢れ、とても優しい
方でした。これは今もお付き合いしてて、鏝鍛冶さんに
共通して言えることかも知れません。



1

2019/10/29  23:03

投稿者:ダイコン
色々な鏝鍛冶屋さんのお話は本当に貴重だと思います!
古い鏝を触る機会がたまにあるのですが今の鏝にはなかなか無い細かい造りの良さに感動しました。
藤本さんのページは大好きで何回も見返してます。
(黒打ち7寸の地金鏝即売り切れらしく残念です…!)素晴らしい方々に感服であります。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ