実際のところ「頭が悪い」というのは不便なもので、「帝国」とか読んでも、どういう事をいわんとしているのかが結局のところよくわがんねえだ庄屋様に聞いて見るべというような事になってしまうのであって、俺がここでなんだかんだと書いても、ほとんどが「読まずに評論」みたいな事になってしまい甚だ具合が悪いのである。
そおゆうアホの作法として、
1.読んだふりをする
2.雰囲気で語る
という2通りの方法がある。
この「雰囲気で語る」というのはあんま馬鹿にしたもんではなくて、いろいろと政治的文章を読んでいると、「ははあ、これはこういう結論に持っていきたいねんな」みたいな事が、雰囲気でわかっちゃったりするのである。
まあ、「それは全然勘違いだ」と言われたら、反論する根拠というものが全くない辺りが甚だアレなんだが。
それでや。
〈帝国〉
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4753102246/qid%3D1133581065/249-9201977-2601160
の雰囲気的読後感想としては、「社民とちゃうのん?」というものだった。
階級闘争の国民国家の枠組みへの回収。後からいくら読み返しても、そんな事ひとことも書いてへんねんけど、「そんなにおい」がした。
たぶん、俺の鼻がおかしくなったんだろう、もう引退の潮時やなあと思っていたんだが、そこへさして、ネグリが「EU憲法に賛成投票を」と主張していたという話が流れてきた。
まあ、引退する前にひとくさり理屈をこねてみようかと思うのである。
「マルチチュード」という概念が提示された。
俺の解釈では、グローバルに展開する資本に対して、労働者階級の側も、グローバルな連帯、グローバルな闘争を組む事によってしか、グローバル資本に抵抗する事はできない、国境を越えて形成された新たな階級、みたいな概念でとらえていた。
しかし、そこで「EU憲法支持」、即ちブロック化によるアメリカへの抵抗、みたいな話になるのであれば、「マルチチュード」とはせいぜい、ヨーロッパ内の国境しか越えない、「新たなヨーロッパ人」程度の事をしか意味しないのではないのか?
俺はブロック化によるアメリカ帝国主義への対抗という路線の可能性を頭から否定するものではない。
ただ、それはそれとして別の話であって、なんで〈帝国〉からEUブロック化方針が無媒介に出てくるのかがよくわかんない。
誰かうまく説明してくれ。

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