おそらくは、である。
今の天皇のアキヒトという人は、そんなに悪い人じゃないのだろう。
俺なんかはとうの昔に「いい人」である事を放棄しちゃっているのだが、そおゆう俺が見てもその人格について難癖つける事はないよなと思わしめるような塩梅である。
もちろん、会ったこともしゃべった事もない人である。情報の確度としては「泉ピン子って無茶苦茶性格悪いらしいぜ」程度の話でしかない。ま、あれで「実は腹黒い人」だったりしたら、「泉ピン子が実はいい人だった」程度にはオドロキなのである。
事に、この度のサイパン慰霊の旅の一件では、俺の実家なんかは「天皇はすばらしい」の大合唱なのである。
俺は天皇制の解体を主張している人間なのでありますが、その辺でちっとは話を整理しておかねばならないのでありましょう。
なんつーか、元々「右翼ガキ」であった俺には、実に「よくわかる」のであってさ(W、「今上陛下を奉り、戦争への道を歩む奸臣小泉を誅滅せよ!」みたいな方針を出したくなるようなさ(W。
ある意味、現時点において天皇制を批判する事が政治的にマイナスなのではないかという思いにすらとらわれる。今の右派勢力の伸張は、決して天皇をかついでの登場ではないからだ。
ある意味、俺なんかがやっておかなきゃまずい事なんじゃないかと思うのだ。
まず、「天皇いい人」っていう部分はokである。というか、あの人は死ぬまでカネの心配をしなくていいという事が法で保障されている人なんであって、で、その立場が市場経済による競争によって脅かされたりする事は基本的にないのであって、それで「イヤな人間」になるのはそもそもかなり難しいであろう。「イヤな人間」というのは誰もなりたくてなるもんではなく、社会的関係性において生み出されるものである。あの人の周辺の人間関係に「イヤな人間」になる要素なんざそもそもないだろうが、それにしても、一人の人間が「腹黒いイヤな奴」であるよりも、「いい人」であるにこしたこたない。
んでだな、「天皇=いい人」ってのは、戦後象徴天皇制の基本原理であった。
昭和天皇=ヒロヒトは、戦争指導者であったにも関わらず、戦後も罪を問われる事なく、同じ地位に止まったという、アクロバットを生き延びた人物である。そこで生成されたイメージは、戦時中の「軍人天皇」のイメージから一転して、「学者天皇」というものであり、「田植えや研究に生涯を費やしている人」というイメージだった。「学者」であれば浮世離れしていても不思議はない。「軍人天皇」のイメージは徹底的に消去され、タブー化された。で、特に根拠もなく、「陛下のすばらしいお人柄」が喧伝される事により、この人の戦争犯罪を訴追しようとする事そのものが、あたかもこの社会における「お約束」を逸脱する事であるかのように扱われてきたのである。
実に、天皇ヒロヒトは「すばらしいお人柄」一本で生き延びたのであった。
もちろん、ヒロヒトさんのお人柄を俺は知らないし、ひょっとするとある面では「いい人」だったのかもしれないが、「いい人」であるという事が、その戦争責任を免罪せしめるものでもなんでもない。事実、ヒロヒトは戦争方針に責任を負っているし、方針に口を出しているし、その口だしにより、方針そのものが左右されている。
多くの下っ端の兵士が戦争犯罪により裁かれ、処刑されたが、その中で天皇自身がそもそも訴追さえされていないというのは全く理屈にあわんのである。
で、アキヒトさんである。
基本的には親と子は別人であり、「親が戦争犯罪者だったから子も連座」なんてこた理不尽である。俺も俺の親父がやらかしてきた事に対する責任なんぞ負えん。
そおゆうんじゃなくて、「天皇=いい人」というのは、戦後象徴天皇制の基本的戦略であり、そしてアキヒトさんはそういった象徴天皇制の戦略に相応しいキャラクターとして生成されたのではないのか。
「慈愛」という戦略。つまりは、国家により周縁化させられてきた人々が、天皇の発する「慈愛」により、国家に回収されてしまうという機能である。天皇が慰霊の旅をする事により、「日本国家」を許してしまうという人が現実にいる。これが象徴天皇制の機能である。
もちろんそこでの天皇個人の意識の中には、悪意はないだろう。しかし、現実に今の日本国家はかつて来た道に回帰しようとしており、そこで「国家を象徴する」という存在が、その対立軸を国家へと回収してまわる、というのが、いま起こっている事なのではないのか。
さらに原則的な事を言っておくと、天皇が政治的に意味のある行為を行うという事は、それがどっちを向いた事であれ、憲法違反である。この点において、アキヒトさんは先代よりも、より意識的に、法を逸脱している。
俺は、「天皇制打倒」ではなく、「天皇制解体」と言う。
この制度は、国家的制度として法制化されているだけではなく、イデオロギー装置として我々を「国民化」する装置、我々を国家へと回収する装置として機能している。天皇制との闘いは、その制度的廃止のみならず、その果たしている機能を終わらせていく作業でもあるわけだ。
また一方で、俺は天皇個人を罪に問うたり命を縮めたりというような考えはない。先代は罪に問われるべきであったが、アキヒトさんについては罪を問う根拠はない。単に「天皇」という役職を廃止し、退職してもらい、後は自由に生きられればよいと思う。天皇制という機能を終わらせるのは、民衆の側の仕事であり、本人にどうしろといってもはじまるものではない。

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