「真性保守」のデモの動画見てからどうにも吐き気がしてならず、気持ち悪いまま寝たらそのまま寝違えて、3日ほど比喩じゃなくして首が回らず、「真性保守の呪い」というか、あんまりグロ動画を不用意に見るもんじゃないというか、まあそんなこんなで話題が3日ほど古いのだが。
「マスコミがどんどんアホになってきてるんじゃないか?」というのは何回か言及した。
テレビとか顕著なんだが、よく考えたらこれは20年ほど前からの現象だ。
「ニュースのワイドショー化」という事が言われ、これは「ニュースステーション」とか「朝まで生テレビ」とかが作り出した状況だが、それまでというのは、ニュースというのは「ニュースの時間」というのがあって、7時とか9時とかになったらアナウンサーが出てきてニュースを読み上げるという枠組みがあって、その他の時間は他の事をやっていた。お昼のワイドショー的な時間は、歌歌ったり漫才やったり芸能ニュースやったりしてたのである。ところが今はどこのチャンネルもニュースであり、漫才師やアイドルがニュース読んでたりする勢いである。
ニュースだらけになること自体は別にいい。問題は、そのテレビ局にニュース番組を作る力量があるのか?という問題だ。
日本テレビ「真相報道バンキシャ!」の件なんかは、裏をとるという事を最初からいっさいやっていないわけで、これは報道記者の仕事ではない。バラエティ番組とかを作っていた人が、同じ手つきで「数字の取れる」ニュース作っているのである。
で、そういうのは既にテレビだけでとどまっていないのではないか。
新聞記者の人と話する機会があったが、なんというか、「報道の使命」みたいなところの話が通じないような感じがある。
「記者」というのは、まあこれは本多勝一がつくったイデオロギーなのかもしれないが、「正しい報道」に近づいていこうというものであるような気がこっちにはあるわな。しかし、記者の人って「自分が書きたい話を聞きたがる」んよね。
この話がかみ合わない感じはなんだろう?というのがあって、しつこくマスコミ話を書くわけだが。
そうそう、週刊新潮、「朝日新聞襲撃犯」問題な。あれって、出た時から、世間的には完全にスルーされていて、まあ読んだらガセじゃねえか?って誰でも思うわけだがな。
問題の所在は週刊新潮の編集体制とかそういうんじゃなくて、むしろ世間的に「新潮社というブランド出版社が出しているんだから、週刊新潮はブランド雑誌だ」と誤認されているところが問題なんじゃないのか?
つーかこのままでは、蟹工船で作り上げた新潮文庫ブランドが危ない。つーか角川文庫、集英社文庫と並ぶ「3大夏の百冊」の地位が危ない。
むしろ、週刊大衆とか週刊実話とかの仲間であるという事を明らかにして宣伝していくことで、例えば週刊大衆に「間違った事が書いてある!」って言っていちいち怒ってくる人はおらんわけで、それでなにもかも解決するんじゃないだろうか。
この際、誌名を「週刊しんチョー!」に変えるとか。東スポのビートたけしに対抗して、名誉編集長にピエール瀧を迎えるとか。
雑誌としての存在意義、そしてクオリティの大幅アップ間違いなしである。

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