昨年末からの展開の中で、岡真理さんがあっちこっちで発言していて、それを聞く機会が多くあった。で、どこで聞いた話かさっぱり覚えていないのだが、強く印象に残った話がある。
「ユダヤ人という、ホロコーストという大きな悲劇を受けた人々が、なぜ同じような事をパレスチナに対してやるんでしょうね?」という話だ。
それについて、
それは、「どこまでやっても大丈夫か、つまり、どこまでのレベルだと、国際社会は殺されている人々を見捨てるのか、という事を、イスラエルの人々は知っているからだ。ユダヤ人はホロコーストによって、国際社会に見捨てられた経験を持つ。国際社会は、見捨て、忘れるものだという事を、身をもって知っているのだ。ホロコーストの被害者が、パレスチナに対する加害者になっているのは偶然ではない」
という趣旨だったと記憶する。
イスラエル国家の、自らの行為を正当化しようとする奇妙なロジック、あまり誰も説得しえないのではないかと思える論理の中で、ホロコーストや「反ユダヤ主義」は、イスラエル国家の正当性を示したり、反対者をやりこめたりするためのアイテムとして便利に使用されている。
これは俺にはかなり奇怪な事のようにしか見えないが、これがイスラエル国家の、自らの無謬性の源泉になっているのは、これはマジであるようだ。
結論はわかりきった事で、さしておもしろい話ではありえないが、パレスチナの人々の命を救うために、イスラエル国家の暴虐を止めるために、国際的な連帯を強化し、イスラエル国家を国際的に孤立させ、追いつめていく事が必要だ、という事になるわけだが。
でね。
反ユダヤ主義、あるいは「ガス室はなかった」とか言っているアホの類と、イスラエル国家の占領政策に反対する事は、本来別の事である。
反ユダヤ主義に反対し、「ガス室はなかった」とか言っているアホに反対するのと同時に、イスラエル国家の占領政策に反対するのは、別になんの矛盾もなく成立する事である。
・ ・・まあ当たり前の話なんですが。
そこでね、「パレスチナ連帯運動と歴史修正主義の親和性」みたいなものすげえぞんざいな批判がなされてしまうのってなんなんだろう?と。というかこれってシオニストは一生懸命言っている事だが。
で、実際に歴史修正主義の、「ガス室はなかった」とか言っているアホの中でも、イスラエルの攻撃という情勢を便利に利用しようとしている奴らは、ネット上などでは現れている。
切断線、すなわち論争の争点はここに引かれるべきではないのか?
ホロコーストを理由に、イスラエル国家への批判自体を差し控えるべきだなどという人物も現れているようだが、それは単にパレスチナの人々を見捨てようという主張でしかない。
ホロコーストの際にユダヤ人を見捨てたことと同じ愚を繰り返しているにすぎない。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062140098/
イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 1
の版元である講談社は、かつてこういう本を出している。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062095882/
ユダヤ人陰謀説―日本の中の反ユダヤと親ユダヤ
これは宇野正美、太田龍から広河隆一、日本赤軍まで全部「反ユダヤ主義」だとひっくるめて批判しようという珍本だ。
俺は実はこの本との出会いが「イスラエルって・・・なんかおかしいんじゃないか?」と思うようになったきっかけだったりして・・まあどうかと思うが。
反ユダヤ主義というのは、日本で一時期、かなりブームになった事がある。これは日本ではユダヤ人というものが「身の回りにあんまりいない」ところでもって、なにやら「大きな話」を語る事によって、陰謀好きの人たちを客層として大いに繁盛した。
だが、そこではパレスチナのことなど一言もふれられておらず、反ユダヤ主義とパレスチナ解放闘争を結びつけて語ったのは、この本が最初なのではないだろうか。
で、この本のおもしろいのは、日本における親ユダヤってのも、「身の回りにユダヤ人があんまりいないところでのものすげえ想像上のユダヤ人に対する親近感」であるという事を示しちゃっているというあたりだったりする。
なんか、観念を継ぎ足していったらわけのわかんないとこにいっちゃったよ、というような現象の図鑑としては、実際おもしろい本である。

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