電車の吊り広告のだな、『週刊朝日』2008年8月1日号、7月22日に書店に並んだ号だが、それの見出しに「いい加減にしろ! 韓国人」というのが載っていた。そうだ。
http://watashinim.exblog.jp/8321299/
というのも、現物の雑誌にはどこにも、目次にも記事の見出しにも本文にも、「いい加減にしろ!韓国人」という文言はどこにも記載されていないのである。
記事のタイトルは
>なんと80%が「反日」「竹島問題」が沸騰する韓国のお家事情
というものだ。
上記のブログの人などは、
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だが、記事の内容を読む限り、「いい加減にしろ!韓国人」の方が、この記事によりふさわしいタイトルだと思わざるを得ない。
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と串刺しだが、「いい加減にしろ!韓国人」というおぞましい文言を書いてしまうのと書かないのとでは、やはり「ルビコンを渡った」というか、もう引き返せないところまで行ってしまったというか、エラ違いなのではないかと思うのである。
一体これはなんでこういうことになったのだろうか?
広告部門が右派的に決起とかそういう展開なのだろうか?
「ジャーナリズム史」では明らかにひとつの事件、「論座」にナベツネが出た時以上の大事件だと思うが、それがこういうわけのわからないことになっているというのは興味深い。
よそ様の国の「お家事情」を云々するという行為には、当然にも「お前んとこの国はそんなええもんかよ?」と問い返されるということが起こるのは当然であって、ついこないだまで、小泉・安部状況というので吹き上がりまくっていたこのブサイクな国がなにえらそうにものゆうてんねんというような感想、例えば日本人が「クジラを取るな」というオーストラリア人に対して「こないだまでアボリジニの絶滅政策やっとったくせしやがって、なに今更文明人ぶってんねん!」という感想を持つのと同じように他者からも思われるであろうという、そういう作用に無自覚に書いてしまうというのは大新聞、自称クオリティペーパーの週刊誌としてそもそもどうなのかとゆうようはこともありつつ、それにしても
「いい加減にしろ!韓国人」というようなさくっと民族差別主義に訴えてしまうような広告を通してしまうという、これははっきりと「悪行」であるわけだが、この悪行に手を染めてしまう週刊朝日の今日この頃なのだなあ。嗚呼。
投書とかするようなのだろうか?
朝日新聞社に取材に行きたいような気もするぞ。
追記
週刊朝日の発行部数と、吊り広告の「閲覧人数」とを比較すれば、むしろ雑誌そのものよりも吊り広告のほうが社会的影響力は大きいわけであって。
「吊り広告を見るだけで世の中のこととかを把握している人」はものすごくたくさんいるわけで、「吊り広告だけの問題」なんて話ではすまんと思うぞ。

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