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2008/1/25

大阪マスコミ最終試写/2008.1.17神戸・三宮 東遊園地  2008年
1/16、『ハダカの城』大阪マスコミ試写、最終。
職場である「ビジュアルアーツ大阪・アーツホール」で上映した。
今回の大阪公開は、昨年10月の東京公開より実は苦戦している。
試写会の動員はそこそこの成績だが、メディアの参加が少ない。
つまり、知人・関係者への発表会にとどまってしまっている。
地元関西圏でどれだけ露出するか。作品の存在を知らせなければ。
曾根崎陸橋でアピールするのが効果的かな。。。(^^;)

あと一カ月。
僕は自分の作品のために、「西宮冷蔵」のために、何が出来るか?

−−−−−−−−−−
その翌日、1/17早朝。神戸・三宮「東遊園地」に居た。
13年目のあの時、『1.17のつどい』、3年ぶりに"5:46am"に立ち会った。

『ハダカの城』のもう一つのモチーフである「阪神淡路大震災」。
10年目、2005年1/17の朝の情景も本編に使ってある。
この年はどしゃ降りの雨が降りしきる厳しい夜明けだった。
メッセージが書かれた竹筒にロウソクを入れた灯籠が沢山あって、
人々が一本一本、火を灯して行く。
小さな女の子が、かじかんだ素手で風を遮りながら、
雨でなかなか点かないロウソクに、不安そうな顔をしていた。
この灯籠は上空から見ると「1.17」の形になっていて、
それを撮影する為のヘリコプターが飛ぶ音が響いて、
その騒然とした雰囲気に、当時の様子が重なった。
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今年は、風の強い寒い朝だった。
突風が吹いて、一瞬にして火が消える。
それをまた誰かが残ったロウソクから火を繋いで、灯してゆく。
若い女性が寒さから顔を覆うようにマフラーを巻いて、
目を真っ赤にして、その火を見つめていた。
年々訪れる人が少なくなって、
メディアの扱いも地元だけで小さくなっていると聞いていた。
しかし今年は大勢の人が居て、テレビカメラは各局取材に来ていた。
僕もカメラを手にしていた。
特別、取材をしなければならない理由はなかったのだが、
いま、この朝に"居なければならない"気がしていた。

僕は震災の直接の被害を受けていない。
当時実家の京都に居て、強い揺れで目が覚めたが、
そのとき神戸で起こっていたことなんて、想像もしていなかった。
ただ、交通機関は関西一円で麻痺し、
大阪にある職場に出れたのは翌日になってからだった。
連絡が付かない学生が大勢居て、テレビで見る震災の光景に竦んだ。
幸いにも、被災し、身内に不幸があった者も居たが、
学生本人は全員無事だった。

その後、あるきっかけがあって【震災後の風景】を追うことになった。
具体的には震災のあった“1995年”、
あの時代に置いてきてしまったものを探している。
10年目の取材は、前日の終電で神戸入りして、朝まで街を歩いた。
震災取材のきっかけとなった建物にも行った。
“立ち入り禁止”の立て札。入り口は厳重にトタンで囲われてしまっていた。
その内部でみた「無自覚な悪意」を、
僕は、結果、カタチにすることは出来なかった。
今日は、前夜の仕事が長引いたことと、この日もそのまま出勤になる為、
諸々の準備をして始発で赴いた。
大阪からだと、“5:36am”にJR三ノ宮駅に着く。
駅から東遊園地まで急いで向かったが、黙祷の瞬間には実は間に合わなかった。
そう。大阪から公共交通を使ってでは“あの時”を知ることはできないのだ。
それだけ、感じていた気になっていた悲しみは「偽物」だ。

治りはじめたらはがしてしまう瘡蓋の様に、
「震災」は自分の偽善的な一面をいつまでも疼かせる。
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明けて行く空。
僕は実はなにも無くしていない。
じゃ、なにが見つからないんだ。。。
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