「・・・キャプテン!あの子は」
「夕凪のエースじゃない!」
突如現れた入部希望者に練習の手を止める女子野球部員達
無理も無い
ソフトボール神奈川県大会優勝投手が、挨拶にやってきたのだから
「たのもうー!!」と叫びながら
咲はベンチに鎮座する監督:徳川を前に深々と頭を下げた
「練習中におじゃましてすいません!1年2組日向咲、入部を希望します!」
「いらっしゃーい!女子野球部はいつでも部員募集中だから、入部者大歓迎だよ。」
あまりにもあっさりと入部が決まった
「監督・・・彼女は・・・」
監督の元に近づき耳打ちを始めたのはキャプテンの星野
ひょこっと頭を下げる咲
耳打ちが終わると監督が咲の前に立った
「へえ!ソフト部のキャプテンだったのか!」
「はい!」
「野球の経験は?」
「小学校の時に少しだけ・・・」
「まあ、細かいところは違うけど基本を知っているなら心配ないよ。改めてよろしくね、日向!」
監督が日向と握手を交わしたその時だ
「!!」
掴んだまま監督は動かなくなった
「か・・監督?」
「柔らかい・・・」
「はい?」
次に監督は入念に咲の指を一本一本丹念に触れていく
「か・・監督?一体何を?」
「え、ええ」
漸く監督は咲の手を離した
そして、練習中の選手全員をベンチ前に集合させた
「みんなに紹介する。新入部員の日向だ。」
監督に促されて、咲は正面を向き、背筋を伸ばした
「はい。この度、横浜明訓高校女子野球部に入部を決めました日向咲です!中学時代ソフトボールをやっていましたが、野球はこれから学んでいこうと思っています。
よろしくお願いします!」
バッ!
音がするほどシャープに、そして深々と頭を下げた
体育会系の挨拶だ
パチパチパチパチパチパチパチ
見事な挨拶に先輩部員から歓迎の拍手が沸く
拍手が収まったところで、監督は咲の肩を掴み、3年生の控え投手藤原を呼んだ
監督は藤原にアンダースローを咲に見せろと命じた
「はい。」
藤原はマウンドに立った
「日向・・・よく見ておけ」
監督が咲に囁く
「はい」
構えたマウンド上の藤原はぐっと腰を落とし、ボールを持つ右手が体の一番高い部分にまで体を沈めた
ぐううんっ!
体をうねらせるようにして肩を回し、右の指先に全ての力を溜め込む
右の中指が地面スレスレになった所から50センチ上でボールを手放した
・・・・・・・・・・パアァン!
解き放たれた白球はキャッチャーミットに納まった
「これが・・・」
「そうだ。お前が覚える新しい投げ方、アンダースローだ。」
「アンダースロー・・・」
監督は気付いた
咲の体がうずうずしている事に
この手を離したらすぐにでもブルペンへ行くだろうと
だが、一応本人に確認しなければいけない
「日向、やってみるか?」
「はい!!」
答えは分かっていたが、それ以上に元気な返事が返ってきた
監督は藤原を咲の専属コーチに指名し、控え保守の小宮山と3人でブルペンへ行くように命じた
咲は制服のままブルペンへ
小気味良く駆け出した咲は視線の先に舞を見つけ、両手を合わせてごめんのポーズ
舞は呆れながら微笑んでいつもの言葉をいうだけだった
「咲ったら・・・もう・・・」
ブルペンで藤原が行うアンダースローの基本形を何度も見る咲
正面から、横から、後ろから
余りにしつこいので藤原が咲にボールを手渡した
「これが野球のボールですか・・・小さい」
「その代わり硬いでしょ」
「はい。しっかり指が掛かりそうで、いい球が投げられそうです」
恐怖を煽るように言葉を選んだが、咲の返事はあまりにもかけ離れていて、藤原は驚きを隠せなかった
それと同時に沸いてくるかすかな嫉妬心
「・・・一度投げてみる?」
「いいんですか!!」
「ええ・・・いいわよ。私がバッターボックスに立つから、小宮山は座って」
「おいおい・・・彼女は硬球でキャッチボールもしたことないんだよ。それに制服だし・・・」
小宮山は藤原の心境を汲み取って、無茶振りを止めさせるように働きかける
「いいのよ。あういう何の苦労もしてきていない天才には思い知らせる必要があるのよ」
小宮山、藤原ともに3年間控えで一度もスタメンに名を連ねたことは無い
所謂補欠だ
補欠にとって一番怖いのが新戦力
今いる補欠という居場所すら奪われる可能性があるからだ
ポジションが異なる小宮山はともかく、藤原は咲と被る可能性が非常に高い
長年コンビを組んできた小宮山には、彼女の気持ちが痛いほど分かるのだ
「・・・いいだろう。だけど、『使えない』とわかったら、すぐに止めさせるからな」
「ええ。」
小宮山は藤原から咲の元へ
サインの交換ではない。本当に基本の基本ボールの握り方を教える為だ
藤原はバットを持ってバッターボックスへ
小宮山は咲とニ、三言葉を交わしてからキャッチャーボックスへ
咲はマウンドでロージンを振ってすべりを良くする
「むむむ・・・」
左手にグローブが無いので若干の違和感を隠せない
グローブが無いと球種がばれるからだ
だが、彼女は気付いた
「・・・私ストレートしか投げられなかったっだ。へへへ・・・
よし!」
ガッ!ガッ!
革靴でマウンドの土を二度蹴った
その瞳には先ほどまでの笑っていた顔の面影は無い
勝負師の顔
横向きから振りかぶる右腕
ぐうううううんっ!
足を目一杯伸ばし、重心を下げる
スカートが地面に付きそうなほどに
腰を中心に上半身全体が唸り、ボールの位置が下がっていく
地面から数センチの所、まるで手が地面にあたるような位置までリリースポイントが下がった
そして
ピッ!!
翻るスカート。垣間見える真っ白な綿パン
・・ドスッ!!
咲の手元から白球が離れて数秒後、鈍い音がした
呆然とバッターボックスで立ち尽くす藤原
球筋が捕捉出来ず防具で止めることしか出来なかった小宮山
神奈川の太陽:日向咲誕生の瞬間だった

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