深夜やってた映画「12人の優しい日本人」中原俊監督
かなり前に作られた映画で、当時陪審員制度が実現するか決まっていたのかは分からないけど、2年後には現実に始まります(裁判員制度として2009年5月までに開始される予定。ややこしいのでここでは陪審員で統一)
映画は会議室の中で始まり会議室で終わる。登場人物も陪審員の12人と守衛のおっちゃんだけ。
主婦、サラリーマン、体育教師、喫茶店のマスター、銀行員、所謂普通の人達が一つの裁判を巡って真剣(?)に殺人事件を議論する。
ネタバレになるので内容にはこれ以上触れないが、一つ気になった事。
陪審員の議長を勤めていた人が終始“被告人無罪”を主張していた。
理由を問い詰める陪審員達に議長が語った言葉は非常に重い物だった。
そして思う、果たして我々一般人に人を公平に裁く事何て出来るのだろうか。
陪審員は重大事件(傷害致死、殺人、強盗致死傷、放火、誘拐など)にのみ適応される。
つまり陪審員が招集される裁判の判決内容は非常に重い。当然極刑も含まれることになるだろう。
仮に被告人がどうしようもない極悪人で「一家5人を惨殺し幼女を誘拐し、身代金を要求した後、結局殺してしまった」という犯罪を犯していたとしよう。
被告の罪を認めていて確固たる証拠もあったとする。だとしたら判決は死刑が妥当だ。
誰が陪審員をやっても判決は同じはず(死刑制度が廃止されてない限り)
判決の内容を他人にとがめられることも無い。
しかし、どんなに判決が妥当なものだったとしても、本人に重く圧し掛かる“人を殺した”という事実。
罪の重さから考えれば判決は妥当なもの、誰も責めたりしない(死刑制度反対論者は除く)
それでも“人を殺した”という事実からは逃れる事は出来ない。事実“殺さない”(無罪、又は死刑以外)という選択肢もあった中で、あえて“殺す”(死刑)という選択を取っているのだから。
こんな考え方は、余りに自虐的で全く意味を成さない理屈だ。それに陪審員が担当するのは一審の地方裁判所レベルのみで、重大事件ともなれば最高裁まで行くことはほぼ確実なわけで(それでもねぇ・・・)
でももし、陪審員が死刑判決を下した後で、こういう考えを持ってしまったとしたら・・・・・
「あんな極悪人は死刑になればいい」何て事は口では言えても、実際に死刑にするかしないかという決定権が与えられた時、果たして冷静に公平にその権利を行使する事が出来るんだろうか。
もっと下世話な話、どうでもいいような汚いオッサンと、若くて綺麗な女性が微妙な内容の裁判で争っているとしたらどうだろう。何の先入観も抜きにして考える事が出来るだろうか?(俺個人としてはこれが一番心配)
映画自体は笑い有り、笑い有り、でちょっと考えさせられて、少し怖い映画です。
そして、現実に自分の身に起こり得る話しが語られている映画です。
あなたが一生の内裁判員に選ばれる確率
1.5%(67に1人)

0