(7月12日掲載「朝244」の後日談です。)
ロシア政府から日本政府に渡された、抑留帰還兵のじいちゃんに関する書類と、そのロシア語を日本語翻訳した文書が届いた。
コピーとは言え、61年前に、じいちゃんが、ソ連でサインした書類が手元に来るってのは思っても見なかった。
書類は捕虜になった時の身上調査書で、かなり詳しく書いてある。
1938年、二等兵として陸軍入隊。39年から42年まで日中戦争に従軍。42年除隊。除隊時の階級は軍曹。その後、会社員として過ごす。44年、再召集にて朝鮮平壌に出兵。その時、配属になったのが「朝鮮第244部隊」。45年、曹長に進級。役職は本部事務官。45年9月2日ソ連軍の捕虜となる。
興味深かったのは“母国語以外の習得語”として、若干、英語とドイツ語と記されてた事。
身体的特徴も記されているのだが、「体格:がっしりしている」の記述も意外だった。俺には、“ちっちゃいじいちゃん”のイメージがあったが、敗戦後、捕虜になった時にロシア人から見て、がっしりして見えた位だから相当鍛えてたんだろう。
今回の資料は(財)全国強制抑留者協会 の仲介で厚生労働省から入手、翻訳してもらった物だが、以前紹介した資料は、厚生労働省から直接届いた物。この二つで、足取りを探る大きな手掛りが出来た。
本来、軍歴証明(兵籍簿)を管理してるのは、入隊した時の本籍地の県庁。普通は、遺族であれば請求出来るらしいが、じいちゃんの本籍地兵庫県はダメだった。
条例で、本人と配偶者にしか渡さないそうだ。二人とも、もうこの世にはいない。いくらゴネてもダメだった。
そこで電話したのが厚生労働省。今までの経緯を話すと、驚く事に担当者がその場で、兵庫県庁に電話してくれた。しかし、県条例に口は出せ無いそうだ。
ここからがスゴイ。担当者が「あなたの話を聞いて、このまま、知らん顔をするのは失礼だから。」と本来業務では無いが、個人的に書類を探してくれたのだ。だから俺は“戦中派の侍”と書いたのだ。
どうしようもない役所と言われているが、ちゃんと一人の日本人として働いてる人がいるんだな。
とりあえず、手掛りになる資料はそろった。後は、また靖国の図書館に通って細かい所を調べよう。
もう、じいちゃんの話を聞く事は出来ないから、戦場で何があったかは分からない。しかし、その経歴を見れば勤勉な人間であった事は間違いないだろう。誰が何と言おうと、大正、昭和、平成を勤勉に生き抜いた我が祖父を誇りに思う。


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