2020/8/28

ブルース・ギタリストBryan Leeが他界  ブルース


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Bryan Lee at the Blues Club, Apr. 26, 2004
Bourbon Street, New Orleans
(c)Masahiro Sumori. All rights reserved.

ブルース・ギタリスト、シンガーのブライアン・リーが亡くなりました。77歳でした。

亡くなった原因は明らかになっていないのですが、8月21日、フロリダ州サラソータのホスピス施設で亡くなったということですから、闘病中だったのでしょう。2018年に出したアルバム「Sanctuary」でも元気な演奏を聴かせていましたが、これが最後のリリースとなってしまいました。

ブライアンは1943年、北部ウィスコンシン州のトゥーリヴァーズ生まれ。8歳の頃に失明しており全盲でした。braille blues daddy (点字のブルースおやじ)の愛称で親しまれました。

1980年代初頭にニューオーリンズに移住し、以後30年に渡り同地を拠点に活躍しました。僕も1988年に初めてニューオーリンズを訪れた際、バーボン・ストリートのライヴハウス、オールド・アブシンス・ハウスで彼のライヴを見たのを覚えています。当時、ここがブライアンのホームだったのです。

1990年代にこのお店がダイキリスタンドに変わってしまいライヴをやらなくなると、同じバーボンの別のお店にホームを移し、ギグを続けました。

長年ニューオーリンズに住んだブライアンですが、ギグが少なくなってきた2013年にフロリダ州に移住します。しかし、ニューオーリンズへの愛着は変わらなかったようで、度々戻ってきてはプレイしていたようです。

彼のサウンドはB.B.キング、アルバート・キングといった人たちの流れをくむ正統派なコンテンポラリー・ブルースを基調としながら、ジャンプやロックンロール的な要素も感じさせるノリノリで楽しいブルースでした。特に2002年の「Six String Therapy」で聴かせたニューオーリンズ味のR&Bは最高でした。

ルイジアナ出身のブルース・ロック・ギタリスト、ケニー・ウェイン・シェパードが彼を師と仰いでいたのは有名な話です。ケニーが13歳の頃、ニューオーリンズでブライアンのライヴに行った際、ブライアンは彼をステージに上げて共演し、これがきっかけで彼はプロのミュージシャンになる決意をしたのだそうです。

この2人はブライアンのライヴ盤、そしてケニーのアルバムでも共演をしています。

Kenny Wayne Shepherd Feat. Bryan Lee - Tina Marie - USA 2006



ブライアンはカナダのジャストインタイム・レーベルを中心に計17枚のアルバムをリリースしました。前述のラスト・アルバム「Sanctuary」はゴスペル色も加えたサウンドを展開していたのは印象に残りました。

ブライアン、安らかに。

Bryan Lee - Braille Blues Daddy
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2020/8/25

BLUES & SOUL RECORDS 155号発売  ブルース

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先の書き込みの通り、ブルース&ソウル・レコーズ誌はこの号からトゥーヴァージンズに発行元が変わります。とは言え内容はこれまで通りだと思います。

5月に亡くなったリトル・リチャードを巻頭特集に据え、彼のバイオやディスク・ガイドはもちろん、LGBTQの世界にまで触れた大特集となっています。

5月は、他にもベティ・ライト、ラッキー・ピーターソンと訃報が続いており、彼らの追悼記事も掲載されています。僕はラッキーの記事を書きました。

他僕は、ロバート・ジョンソンの義理の妹アニエ・アンダーソンによる回想録「Brother Robert」の紹介記事も書いています。この本の発表に合わせて公開されたジョンソンの3枚目となる写真はブルース・ファンの間で話題となりました。アニエが持っていた写真ですが、今年94歳となる彼女は実際幼少期をジョンスンと一緒に過ごしており、彼と過ごした日々を未だ鮮明に覚えていると言います。これまで語られなかった等身大のロバート・ジョンソンを描き出した興味深い一冊です。

本号はまた、特別付録として「わたしのソウル愛聴盤」という小冊子が付きます。15人のライターたちがそれぞれ7枚ずつ、計100枚ほどのソウル愛聴盤を挙げてまとめた冊子です。

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BLUES & SOUL RECORDS NO. 155
2020年8月25日発売
定価: 1,600円+税
https://bsrmag.com/magazine/bsr155/

この5月に87歳で亡くなったリトル・リチャード。ロックンロールのオリジネイターとして知られる彼は、ジェイムズ・ブラウン、オーティス・レディングといったR&Bを代表するシンガーや、ボブ・ディランやビートルズを始めとする多くのロック・アーティストに決定的な影響を与えただけでなく、LGBTQ+の先駆者としても多くの人に扉を開いた。人々に自由のスピリットを植え付けたその偉大な功績を讃えたい。
★ [特別寄稿]ROY (THE BAWDIES) ─背中を押したポジティヴな歌声
★ 砂糖菓子とスプートニック ─LGBTQ+が見る、LGBTQ+先駆者のこと [丸屋九兵衛]
★ 時代を制した危険な破壊力リトル・リチャード・ストーリー ─[ワダマコト]
★ スペシャルティ期の全米ヒット19曲解説[小出 斉]
★ リチャードはトリックスター? スペシャルティ作品に隠された意味とは[濱田廣也]
★ レコーディング・ガイド 
  ■RCAヴィクター/ピーコック 
  ■ゴールドナー/マーキュリー/アトランティック 
  ■ヴィー・ジェイ 
  ■モダン  
  ■オーケー/ブランズウィック 
  ■リプリーズ  
  ■1970年代以降[鈴木啓志/濱田廣也]
★ リトル・リチャードをもっと知る 
  ビリー・ライト/エスケリータ/ゴスペル界の伝説的シンガーたち/計り知れない影響力[濱田廣也]
★ 世界最高のロックンロール・バンド ジ・アップセッターズ[鈴木啓志]

【その他の主な記事】
● 映画『メイキング・オブ・モータウン』がいよいよ上陸[妹尾みえ]
● [緊急リポート] コロナ禍に直面した全国のソウル・バーはいま[加藤千穂]
● 追悼 ベティ・ライト[高橋 誠]/
  アルバム・ガイド[新井崇嗣/林剛]
● 追悼 ラッキー・ピータースン[陶守正寛]/
  アルバム・ガイド[スカンクちかの]
● 注目作をじっくり鑑賞する─「語りたい逸品」コーナー
 *BOOK 『BROTHER ROBERT』/
  ロバート・ジョンスン伝説の裏のもうひとつの顔[陶守正寛]
 *CD『JOHN LEE HOOKER: The Sensation Recordings』/
  ジョン・リー・フッカーの至宝センセイション録音集現る![やすだあきよし]
 *CD 『DAVID KIMBROUGH JR.: Say You Don’t Love Me』/北ミシシッピ・ブルースの異才、生前最後の生身の歌[井村 猛]
●[新作アルバム・リヴュー]ドン・ブライアント/メイシオ・パーカー/ジョー・ルイス・ウォーカー 他

【連載】
☆ 永井ホトケ隆 好評連載「Fool’s Paradise」第3回
☆ なんてったってインディ・ソウル 蔦木浩一×齋藤雅彦
☆ フード・フォー・リアル・ライフ 〜歌詞から見るブルース&ソウルの世界/中河伸俊
☆ 小出 斉の勝手にライナーノーツ「THE WILD & FRANTIC LITTLE RICHARD」
☆ リアル・ブルース方丈記/日暮泰文
☆ 鈴木啓志のなるほど! ザ・レーベル VOL.84 「Gay Shel」
☆ ゴスペル・トレイン「TAKE 6」/佐々木秀俊+高橋 誠
☆ BLUES IS MY BUSINESS no.231/吾妻光良
☆ いづみやの曲追い酩酊談/佐々木健一
☆ 原田和典の魂ブチ抜き音楽
☆ 文聞堂書房〜古書掘りコラム/出田 圭
☆ ICHIのチタリン・サーキット最前線
☆ International Music Stroll〜世界の音楽にぷらりと出会おう/ワダマコト
☆ ニッポンの。国内アーティスト新譜紹介/妹尾みえ
☆ ブルース&ソウルが流れる店/轟美津子
☆ Ain’t That Good News 国内ライヴ/イヴェント/来日公演情報ほか

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【特別小冊子付録】「わたしのソウル愛聴盤」
 ソウル・ミュージックの魅力とは?と聞かれたら、さて、どう答えましょう。
 今号付録小冊子では「歴史的重要盤」という物差しはひとまず脇に置き、ソウル愛好家のみなさんにこう聞くことにしました。

「あなたのソウル愛聴盤を教えてください」。

 長年ソウルや黒人音楽を専門として執筆されている方を中心に、ミュージシャン、レコード・ショップや音楽バーの店主、レーベルのA&R等、それぞれにソウルと向き合っている方々に、日頃愛聴しているアルバムを7枚ずつ紹介していただきました。複数の方に選ばれた歴史的名盤もあれば、知る人ぞ知るもの、まだ生まれたばかりのアルバムもあります。約100枚のアルバムからは、選者の皆さんそれぞれの「ソウル観」も見えてきます。
 これらの「愛聴盤」が、ソウルの多彩な魅力と多様な楽しみ方を教えてくれることでしょう。
[参加者一覧(五十音順)]
  ■安藤賀章[Pヴァイン] 
  ■岩間慎一 
  ■高地 明 
  ■小渕 晃 
  ■佐藤 潔[Cafe & Bar SUPER GOOD] 
  ■柴崎祐二 
  ■鈴木啓志 
  ■田中伊佐資 
  ■蔦木浩一[ディスクユニオン]
  ■中田 亮[オーサカ=モノレール] 
  ■林 剛
  ■原田和典 
  ■日向一輝 
  ■平野孝則[ブーツィーズ・レコード] 
  ■濱田廣也[ブルース&ソウル・レコーズ]
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2020/8/24

初のブルース・レコーディングから100年  ブルース

黒人が歌った最初のブルースのレコードってご存知でしょうか。

それはメイミー・スミス (Mamie Smith, 1991-1946)という女性シンガーが歌った“Crazy Blues”という曲で、1920年8月10日レコーディングされ、その数ヶ月後にオーケー・レコードよりSP盤がリリースされています。そう、今月は初めてのブルースがレコーディングされてからちょうど100年という記念すべき月なのです。100年、すごい長いですよね。1920年といえば第一次世界大戦が終わった2年後、アメリカで大恐慌 (1929年)が起こるより前の話です。日本で関東大震災 (1923年)が起こるより前ですね。ブルースも随分と長い歴史を歩んできたんだなと思わずにはいられないです。

Mamie Smith / Crazy Blues (1920)


1887年に平面円形のレコード盤が発明され20世紀初頭にはレコードが発売されるようになっていましたが、当初のターゲット購買者は白人で、一部の例外を除いて演奏者もほぼ全て白人でした。黒人は購買力がないと考えられていたのです。

しかし、この“Crazy Blues”は黒人層に受け、発売の最初の1ヶ月で75,000枚を売り上げるヒットとなりました。これに味をしめたオーケー・レコード、そしてそのライヴァルのレコード会社もメイミーに続く黒人のスターを探すようになり、1923年にはマ・レイニー、ベシー・スミスが相次いでレコード・デビューしました。

黒人層をターゲットとしたレコードは新たなマーケットとして認識されるようになり、race (人種-つまり黒人のこと) recordの名で呼ばれるようになりました。まだ、白人優位が当たり前の時代だったわけです。

真っ先にレコーディングを行ったシンガーたちってみんな女性なんですよね。少なくともブルースのレコーディングでは男性よりも女性が一歩先を行っていたのです。

では、初めて男性のブルース・レコードはなんなのか?あまり話題にはならないですが、それはエド・アンドリューズという人だと言われています。彼が何者なのかはよくわかってはいないのですが、カントリー・ブルースのシンガー/ギタリストで、1923年にレコーディングを行い1924年にそれがリリースとなっています。他ほぼ同時期 (1923年)にシルヴェスター・ウィーヴァーもギターのインスト曲を2曲レコーディングしています。

パパ・チャーリー・ジャクソンもそれを追うように1924年にレコーディング・デビューを果たしています。

Ed Anderson / Barrel House Blues (1924)


Sylvester Weaver / Guitar Rag (1923)


Papa Charlie Jackson / Airy Man Blues (1924)


いずれにせよ、1923年頃がいっきにレコードを作る機会が増えた時期だということでしょうね。

この時点ではまだレコーディングは電気を使わずに演奏の振動を直接原盤に刻み込む方式で行われていましたが、1925年に電気式のレコーディング技術が導入され、以後レコーディングの精度が飛躍的に向上しました。遠くの音もよく拾えるようになったので、大編成のバンドのレコーディングも増えていきました。

こんなレコーディングの歴史という側面を考えながら昔のレコードを聴くのもまた楽しいです。
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2020/8/22

8月22日はジョン・リー・フッカーのお誕生日です  ブルース

暑い日が続きますね。

8月22日は、キング・オヴ・ブギことジョン・リー・フッカーのお誕生日です。彼は2001年に亡くなっていますが、存命ならば103歳になります。1917年のこの日にミシシッピ州のクラークデイル近郊の町、タトワイラーに生まれています。

ジョン・リーが生まれた日のタトワイラーも今のような猛暑だったのでしょうか。

ジョン・リーは、11人兄弟の末っ子でした。父親のウィリアム・フッカーはバプティスト教会の説教師で、子供たちに宗教歌以外の音楽を聴くことを許しませんでしたが、ジョン・リーが11歳のとき両親は離婚し、母親のミニーはウィリアム・ムーアというブルースマンと再婚しました。ジョン・リーのスタイルは彼から学んだものが基礎となっているそうです。

14歳のとき、ジョン・リーは家を出てメンフィスへ向かい、ビール・ストリートでプレイするようになりました。その後シンシナティで暫く過ごした後、1943年にデトロイトに移住しました。ここでセンセーション・レコードのオーナー、バーニー・ベスマンと出会い、 彼の下でレコーディングした“Boogie Chillen”でレコード・デビューを果たしたのでした。1948年のことです。今年、英エイス・レコードからセンセーション音源のコンプリート版3枚組CDがリリースになりましたね。

Documenting The Sensation Recordings 1948-1952
『ザ・センセーション・レコーディングズ 1948-52』
http://p-vine.jp/music/pcd-17815_7

エレキギターをドロンデロンとつま弾きながら唸るように歌う初期のジョン・リーは、一人あるいはエディ・カークランドがセカンドギターに入るシンプルな構成が多い
のですが、強烈な個性に引き込まれてしまいます。テンポも小節数も勝手気ままな感じで、こんなブルースマンは他にはいなかったんでしょうね。バンドを付けようとしても、なかなか彼には合わせられなかったという話もあります。

そんな彼も1950年代後半にヴィージェイ・レコードと契約した後はバンド・スタイルが中心となっていきます。この時代に“Boom Boom”、“Dimples”などの代表曲が生まれてました。

1960年代には渡欧し、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバルに出演。その後もキャンド・ヒートとの共演盤「Hooker 'n Heat」のリリース(1971年)、映画「ブルース・ブラザーズ」出演(1980年)と活躍を重ねました。

1989年にはオールスター・ゲストを迎えたアルバム「The Healer」が注目を集め、この中に収録された“I’m In The Mood”で初のグラミー賞を受賞しています。1990年代以降、ジョン・リーは殆どツアーには出なくなってしまいましたが、当時住んでいたカリフォルニアを中心に時折ライヴは続け、新作も出し続けました。

フル・アルバムとして最後の作品となったのは1997年の「Don’t Look Back」。旧知の仲のヴァン・モリスンとのデュエットがフィーチャーされた作品で、円熟味たっぷりのジョン・リー節を聴くことができます。ジョン・リーは最後までジョン・リーでした。

John Lee Hooker ft. Van Morrison - Don't Look Back (1997)


この曲はジョン・リーが1964年にヴィージェイからリリースしたもののリメイクですが、ヴァンにとっても1965年にゼムのデビュー・アルバム「The Angry Young Them」で取り上げた思い出の曲です。ヴァンは1964年にはジョン・リーと出会っているそうですから、本当に長い付き合いなんですよね。

何はともあれ、ジョン・リーお誕生日おめでとう!

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【過去のジョン・リー・フッカー関連の書き込み】
祝!ジョン・リー・フッカー生誕100周年 2017/8/22
https://black.ap.teacup.com/sumori/1749.html

BLUES & SOUL RECORDS 137号発売(ジョン・リー生誕100年記念号) 2017/8/26
https://black.ap.teacup.com/sumori/1750.html

ジョン・リー・フッカーの初のアルバム・レコーディング 2014/11/1
https://black.ap.teacup.com/sumori/1579.html

ジョン・リー・フッカーの命日 2014/6/22
https://black.ap.teacup.com/sumori/1541.html

ジョン・リー・フッカーの来日公演(1984年) 2013/12/23
https://black.ap.teacup.com/sumori/1485.html
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2020/7/30

追悼!Peter Green 1946-2020  ブルース

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Peter Green at Long Beach Blues Festival
Sept. 6, 1998
(c)Masahiro Sumori. All Rights Reserved.


ピーター・グリーンが亡くなったそうです。詳細はわかりませんが、7月25日、就寝中に安らかに息を引き取ったとのこと。73歳でした。グリーンと言えばフリートウッド・マックの創設メンバーで、後にサンタナの代表曲となる”Black Magic Woman”を書いたことでも知られています。

ロック・ギタリストとしては最も多くの人に影響を与えた一人だと思いますが、若い頃にドラッグの影響などで心身を病んでしまい、長らく引退状況にありました。全盛期と呼べるのは若い頃の短い時期に限られます。

そんな彼なので、亡くなったことに驚きはないのですが、それでもかつての偉大なプレイヤーが去ってしまったのはさびしい限り。

1946年、ロンドンに生まれ。本名はピーター・アレン・グリーンバウムといいます。1966年、エリック・クラプトンの後釜としてジョン・メイオールのブルースブレイカーズに加入、その名を広く知られるようになりました。翌年、ブルースブレイカーズで一緒だったミック・フリートウッド(ds)とフリートウッド・マックを結成。間もなく同じくブルースブレイカーズからジョン・マクヴィー(b)も加わり、1968年にレコード・デビューを果たしました。

バンド名はフリートウッドとマクヴィーの姓から取ったものですが、バンド結成時、マクヴィーはまだブルースブレイカーズに在籍していたので参加できませんでした。しかし、ピーターは彼を引き抜いてベースを加入させることを念頭にこの名前にしたという訳です。

しかし、グリーンは心身状態の悪化から1971年にバンドを脱退。その後ソロ活動を行いますが、統合失調症により安定した活動を行うことができず、1977年には金銭的なもめごとでマネージャーを銃で脅迫する事件を起こし、逮捕されてしまいます。

1990年代後半には旧友ナイジェル・ワトソンとピーター・グリーン・スプリンター・グループを結成。新譜をリリースし、ツアーにも出るようになりました。2002年には来日もしています。

来日時にブルース&ソウル・レコーズ誌でインタビューをする機会がありましたが、正直言って僕が経験したインタビュー取材の中では一番難しいものでした。ピーターは終始不機嫌で、あまりこちらの話を聞いている様子はなく、挙句の果てには「なぜそんなに僕のことを色々聞くんだ?」と怒り出す始末。

同席してくれたナイジェル・ワトソンが非常にいい人で、彼がフォローしてくれなかったらインタビュー自体成り立たなかったように思います。カムバックしたとは言え、彼の精神状態は決してよくなったわけではないことを実感しました。

このときのライヴは悪くはなかったとは言え、ピーターのプレイにかつての面影は殆どなかったし、バンドがそれなりに形になっているのも本来ピーターが弾いたり歌ったりすべきところをナイジェルがリーダーとなってやっているからという面が大きかったと思います。

その後もたまに復活してライヴをやることもあったようですが、2000年前後のように活動を活発化させることはありませんでした。

安らかに休んでください。RIP。
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