2021/12/26

追悼Sonny Rhodes 1940-2021  ブルース

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Sonny Rhodes at Long Beach Blues Festival, 1996
Photo (c)Masahiro Sumori.


ブルース・ギタリスト/シンガーのサニー・ローズ (Sonny Rhodes)が亡くなりました。81歳。今のところ訃報記事は出ておらず詳細はわからないのですが、12月14日就寝中に亡くなったとのことです。サニーと親交が深かったブルースマンのバードレッグが奥さんから電話で聞いた話としてfacebookに投稿している他、サニーの娘さんのモニークからのコメントでも確認されています。
https://www.gofundme.com/f/sonny-rhodes
https://www.facebook.com/birdlegg.pittman.1/posts/458912092420769

サニーは、ソウル系の曲を歌っても非常にいい味を出しているシンガーでした。ギタリストとしては、特にラップスティールの演奏で知られる人でした。

サニー・ローズは本名をクラレンス・スミスと言い、1940年テキサス州スミスヴィルに生まれました。生後間もなく養子に出され、養父母のスミス姓を受け継ぎました。10代の頃から自身のバンド、デイライターズで活動するようになりましたが、高校卒業と同時に海軍に入隊。1961年、除隊後にオースティンのドミノ・レーベルからデイライターズ名義のシングル” I'll Never Let You Go b/w Something Is Wrong”でデビューを果たします。その後、1960年代には本名クラレンス・スミス名義でギャラクシー、ボーズからシングルをリリース。その後60年代の後半ごろ、サニー・ローズを名乗るようになりました。1969年にはEsiobudレーベルからサニー・ローズ名義のシングルを出しており、この名前のレコードはこれが初めてと思われます。

1970年代に入るとヨーロッパ・ツアーも行うようになり、1977年、スウェーデンのアミーゴ・レーベルからアルバム「I Don't Want My Blues Colored Bright」をリリース。翌1978年には、自身のレーベル、ローズウェイを立ち上げ、シングル"Cigarette Blues b/w The Bloodstone Beat"をリリースしています。

その後1980年代にかけてアパルーサなどヨーロッパのレーベルからの散発的にリリースを行いましたが、1990年代に入り米イチバンからのリリースを皮切りにコンスタントにアルバムをリリースするようになりました。僕もこの頃に何度かライヴを見る機会に恵まれました。

ターバンがトレードマークだったサニーですが、2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降イスラム教徒だと勘違いされたのか度々脅迫を受けるようになり、普通の帽子に変えてしまいました。近年は新作もしばらく出ていませんでしたが、2016年の以下の動画を見ると近年も元気にしていたことが伺えます。



僕は個人的に大好きな人だったので、本当に残念な思いでいっぱいです。RIP。
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2021/10/29

さよなら、江古田俱楽部  ブルース

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江古田俱楽部が閉店します。西武池袋線江古田駅から歩いて数分、小さなお店でしたが40年以上の歴史を持つ老舗、知る人ぞ知るブルース・バーでした。8月6日にマスターの出原義史さんが急逝し、以後営業はしておりませんでしたが、今月末で退去するそうです。

先日、お店を覗きに行ってみたら、マスターの奥様やお店に出演していたミュージシャンの人たちが片づけをしていました。たくさんのアンプや本、レコードなどが並べられていました。これらの多くは、お店にゆかりのなる人の下に引き取られていくようです。

思えば初めて僕がお店を訪れたのは1990年代の半ばくらい、スカンクちかのさんがここでライヴをやるというので行ったのが初めてだったと記憶しています。その後は、ずっと行っていなかったのですが、一昨年ZYDECO KICKSのライヴを見に本当に四半世紀ぶりくらいに行きました。しかし、時間が止まったように見覚えのある光景がそこにはありました。店内の壁を埋め尽くす古いブルースのポスターや楽器、雑然としながらもなんだか落ち着く隠れ家的な空間。マニアックなお店のようで、嫌みなところのない気楽な雰囲気がありました。それは、マスターのお人柄がそういうお店を作ったのでしょう。お客さんは勝手に冷蔵庫を開け、自分でほしい飲み物を取って栓抜きで開け、お代を置いていくセルフサービス。そんなシステムも慣れれば心地よいんですよね。

昨年2020年は、幸運にも3回ほどお店に行く機会がありました。

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Delta Beat@江古田倶楽部(2020.12.22)

「今度、いろいろお話をきかせてもらえないでしょうか?ウェブでお店を紹介したいんです」

これだけ長い間お店をやられているマスターなので面白い話が聞けるのではないか、そう思いマスターに聞いてみたら「いいよ」と快諾いただきました。しかし、コロナやマスターの入院でお店が営業できない日々が続き、お話を聞くことはかないませんでした。とても残念です。

皆「エコクラマスター」と呼んでいたので、僕はお名前すら知りませんでした。昨年お話しした際、お歳は73歳だと言われていたので、74歳だったのでしょうか。近年は体調がよくなかったようでしたが、よく東長崎のCREOLE COFFEE STANDまでお散歩していたそうです。

僕は常連と呼ぶには程遠いですが、久しぶりに訪れても変わらずに待っていてくれたこのお店がなくなってしまうことに淋しさを感じています。

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エコクラマスター、出原義史さん (2020.7.17)
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2021/9/7

追悼Carol Fran 1933-2021  ブルース

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Carol Fran at New Orleans Jazz & Heritage Festival
April 26, 2008
Photo by Masahiro Sumori. All rights reserved.


ルイジアナ州出身のブルース・シンガー/ピアニストのキャロル・フランが9月1日、ルイジアナ州ラファイエットのオクスナー・ラファイエット・ジェネラル・メディカル・センターにて亡くなりました。87歳でした。公式には死因は明らかになっていませんが、新型コロナに感染していたとの情報があり、一部メディアは回復後に合併症を起こして亡くなったとしています。

1950年頃から60年以上という長きに渡って活動した人ですが、1990年代に夫でギタリストのクラレンス・ハラマン(ホリモン)とのデュオとしてアルバムをリリースしてその名前は広く知られるようになりました。デュオ名義でライヴ盤も含め4枚のアルバムをリリース。1998年にはパークタワー・ブルース・フェスティバル出演のため来日もしました。

キャロル・フランは1933年10月23日、ルイジアナ州ラファイエット生まれ。ゆるりとした味わいを持ったルイジアナのスワンプ・ブルースの歌い手として知られますが、ザディコやケイジャン的な色合いの楽曲や、ジャズ、ソウルなどもこなす存在でした。

出生時の名前はキャロル・アンソニーと言いましたが、1950年代にニューオーリンズで活動していた際に出会ったサクソフォン奏者、ボブ・フランソワと結婚し、その姓を縮めてフラン姓を名乗り始めました。当時は、リー・ドーシー、ジョー・テックス、レイ・チャールズといったスターたちとツアーに出るなどして活躍し、ニューオーリンズのシーンでその名を上げていきます。1957年にはエクセロ・レコードからシングル”Emmitt Lee”でレコード・デビュー。その後ギター・スリムとツアーに出るなど、活動を一層活発化させました。



エクセロからは計4枚のシングルをリリースしていますが、いずれもヒットとはなりませんでした。その後1960年代にかけてリリック、ボー・モンド、ポート、ルーレットといったレーベルからシングルを出しますが、1970年代に入ると彼女は演奏活動も限定的となり、新しいレコーディングも途絶えてしまいました。

1980年代に入り、旧知のクラレンス・ハラマンと再会し、1983年に結婚。居をテキサスに移し、デュオとして活動するようになりました。1992年にブラックトップ・レコードからデュオ名義の「Soul Sensation!」をリリース。これはキャロルにとっては初のフル・アルバムとなりました。このリリースを機に2人の名前は広く知られるようになり、海外ツアーも多くこなすようになりました。その流れの中で来日も実現したというわけです。



僕もその来日公演は見ましたが、セッションで鍛え上げた職人的なハラマンのギター、そしてふくよかな味わいで聴かせるキャロルの歌とピアノ、本当に至福の演奏で、来日が実現して本当によかったと思いました。

2000年にハラマンが他界し、キャロルは故郷ラファイエットに戻ります。その後はソロ・シンガーとして活動を続け、2001年にはギターにセルウィン・クーパーを迎え、「Fran-tastic」をリリース。2005年にはハリケーン・カトリーナで被災したニューオーリンズを救済するためのチャリティーCD「Our New Orleans」にも参加しています。

2007年には脳卒中に見舞われピアノは弾けなくなってしまいましたが、その後も歌手として活動は続行。僕はニューオーリンズで2008年に彼女のソロ・ステージを見ましたが、しっかりと立ち元気な歌声を聴かせていたのを覚えています。

2013年には米国の国立芸術基金(NEA)から人間国宝に相当するナショナル・ヘリテッジ・フェローシップを授与されます。米国のアーティストとしては最高の栄誉と言える称号です。

2015年の映画「I AM THE BLUES(アイ・アム・ザ・ブルース)」にも出演。ボビー・ラッシュ、ヘンリー・グレイらと和やかなセッションを繰り広げています。

僕は未聴ですが、2020年にはアナログ限定で久々の新作アルバム「All Of My Life: The Saint Agnes Sessions」(Jazz Foundation of America)をリリースしました。同年彼女のドキュメンタリー映画「Every Day Is Not The Same」も制作されています。

2018年以降は養護施設に入居していたといいますが、今年10月に予定されていたニューオーリンズのジャズフェスにも出演が決まっていました。コロナの再拡大によりフェスが中止になった際にはインタビューで残念だと答えていたくらいなので、ごく最近まで元気だったのだろうと思います。

ご高齢であったとは言え、突然の訃報に寂しい気持ちでいっぱいです。RIP。

【過去のキャロル・フラン関連書き込み】
映画「I AM THE BLUES」日本で公開 (2018/4/28)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1780.html
キャロル・フランが米国の人間国宝に (2013/6/5)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1423.html

2021/10/14追記:2020年リリース新録アナログ盤「All Of My Life: The Saint Agnes Sessions」はその後入手しました。既存のレパートリーのみで構成され、声はだいぶ老け込んだ印象もありますが、それがかえって彼女の年輪を感じさせる、深みのある作品です。現在のところ、リリース元のウェブサイトにも掲載されておらず、オンラインで購入できるのは下記2か所のみのようです。

Louisiana Music Factory
https://www.louisianamusicfactory.com/product/carol-fran-all-of-my-life-the-saint-agnes-sessions-vinyl-lp/

Coulee Productions
https://www.couleeproductions.com/product-page/carol-fran-all-of-my-life-the-saint-agnes-sessions

ドキュメンタリー映画「Every Day Is Not The Same」は40分あまりの短めなものですが、本人や周囲の人のインタビュー映像が多く登場し、興味深いエピソードを語っています。こちらも上記2か所から購入ができます。リリース元のCoulee Productionsではダウンロード販売もあります。
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2021/8/31

追悼Roy Gaines 1937-2021  ブルース

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Roy Gaines
Long Beach Blues Festival, September 1, 2002
(c)Photo by Masahiro Sumori. All rights reserved.

ブルース・ギタリスト/シンガーのロイ・ゲインズが8月11日に亡くなりました。83歳でした。彼の娘でブルース・シンガーのキャロリンがSNS上で明らかにしました。翌日8月12日は84歳の誕生日でした。死因など詳細は明らかになっていません。

ゲインズは、Tボーン・ウォーカー直系のスウィング・サウンドを得意とするギタリストとして知られていますが、1981年の作「Gainelining」ではクルセイダーズのメンバーと共演し、フュージョン色のサウンドも聴かせるなど、懐の深い深いプレイヤーでもありました。リトル・リチャードとの共演で知られるサックス奏者の兄グレイディは、今年1月に亡くなっています。

1937年にテキサス州ワスコムで生まれ、ヒューストンで幼少期を過ごしたロイは、10代の頃からTボーン・ウォーカーやジョニー・コープランドらと共演し頭角を現しました。1950年代にロサンゼルスに移住してからは、セッション・ギタリストとしてボビー・ブランド、ビッグ・ママ・ソーントン、ビリー・ホリディなどブルースやジャズの大物と数多く共演を重ねました。

主に脇役だった彼がソロ・アーティストとしてデビューしたのは前述のアルバム「Gainelining」。1985年には映画「カラー・パープル」のサウンドトラックにミュージシャンおよびソングライターとして関わっています。

1988年にはグレイディ・ゲインズのアルバム「Fulll Gain」にゲスト参加し、兄弟共演を果たしました。

1999年にはパークタワー・ブルース・フェスティバル出演のために初来日。最終公演の日の夜、吾妻光良氏ら日本のミュージシャンとスタジオ入りし、レコーディングを敢行。「Guitar Clashers From Gainesville, Tokyo」としてリリースをしました。

近年は新譜のリリースなど、活動の状況もあまり聞こえてこなかったのでどうしているのかなとは思っておりましたが、なんとも残念です。

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Roy Gaines & Mitsuyoshi Azuma
Guitar Clashers From Gainesville, Tokyo
(P-Vine Records, 2000)
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2021/7/17

取り消されたノミネーション  ブルース

今年3月の話ですが、2021年の米ブルース・ミュージック・アワードのケニー・ウェイン・シェパードのノミネーションの取り消しが発表されました。これは、過去に彼が南軍旗をあしらった車やギターを使用していたことを問題視した措置でした。ご承知の通り、南軍は南北戦争で敗退するまで奴隷制を推し進めたことで知られています。

アワードを主宰するブルース・ファウンデーションの人種差別ステートメントでは「あらゆる形式の人種差別的表現を明確に非難する」としており、ケニー・ウェインはこれに反する行為を行ったというのがその理由です。ファウンデーションの毅然たる姿勢を称賛する声も上がりましたが、僕は釈然としないものが残りました。本当にそれでいいのか、と。

もちろん、人種差別は許してはならないことです。差別的行為には声を上げていくことは絶対に必要だと思います。

しかし!です。今回のファウンデーションの対応にはいくつかの点で問題があると考えています。

まず、ケニー・ウェインが人種差別的意図があったのかという問題です。問題の車とギターは、1980年代の人気アクション・コメディ番組「The Dukes of Hazzard(邦題:爆発!デューク)」に登場する車を模したものでした。本人によると彼は番組の大ファンだったと言いますが、南軍旗が問題があると気づいてからは使っていないとのことです。ギターに関しては、自動車メーカーのドッジから贈呈されたものであり、そもそも一度もステージでは使用したことないそうです。

近年BLM運動などにより、南軍関連のモニュメントや旗が相次いで撤去されてきているのは事実ですが、これは本当に最近の話です。昔から問題視する声はありましたが、「爆発!デューク」が全米で人気番組だったことからも判る通り、そういう認識が一般的だったとは言えません。

ケニー・ウェインが黒人の音楽文化に敬意を持っていたことはこれまでの活動を見れば十分わかります。彼自身も今回の取り消しに対し、人種差別には反対であることを表明し、意図せず傷つけてしまった人たち対し謝罪もしています。

どう考えても彼に人種差別的意図があったとは思えません。「爆発!デューク」の車の問題を語らずして、ケニー・ウェインに非を押し付けるのは矛先が違うように思います。

また、もう一つの問題は、今年のノミネーション取り消しの理由に、昔の話を持ち出していることです。過去1年の彼の行動を問題としているのならば取り消しも理解できなくもありません。しかし、そうではないということは筋が通りません。彼の今後の態度に関わらず、永久追放しようということでしょうか。彼はそこまでの措置を受ける悪事を働いたのでしょうか?

僕には彼がスケープゴートにされているようにしか見えません。

さらに言えば、彼は過去2008年と2011年にブルース・ミュージック・アワードを受賞しています。彼の車やギターが制作されたのは2004年のことだそうですから、いずれもその後です。それには触れず今回ノミネーションを取り消すのはおかしくないでしょうか?

今回、ケニー・ウェインのノミネーション取り消しと同時に、ファウンデーションは、組織の役員だった彼の父親ケンの辞任も求めたそうです。この対応も腑に落ちません。なぜ、父親であるというだけで辞任なのでしょうか?彼は2020年12月に新しく役員になったばかりだったそうです。実際に顔を合わせての役員会はまだ一度も出たことがなかったとのことです。彼は「なぜ自分を辞めさせるのか全くわからない」とコメントしています。

僕は人種差別に反対する運動は基本的に全面的に支持しますが、これはちょっと違うんでないの?そう思うんです。

ケニー・ウェインは非常に人気があるので、ノミネーションが取り消されてもさほど影響はないのかも知れません。しかし、このように歪んだ考え方でアーティストが非難されることを看過できません。ブルースの世界では権威のあるブルース・ミュージック・アワードだけに、いっそう強くそう思います。

参考までに、ケニー・ウェインはブルース・ロック・アーティスト部門にノミネートされていましたが、結局この部門の今年の勝者はマイク・ジトでした。彼にはもちろん罪はありません。おめでとうございます。
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