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2006/12/27

ダイナマイト訃報でした  音楽全般

クリスマスのJBと言えば、Jingle Bellsだと思ってたけど、12/25にジェイムズ・ブラウンが亡くなってしまいました。クリスマスの日に亡くなった人で思い出すのは、チャーリー・チャップリン。当時のニュースを妙によく覚えています。JBとは特に関係もないだろうけど、2人ともアメリカを代表するエンターテイナーでしたね。

JBが亡くなったと聞いても不思議と驚きませんでした。今年2月に来日した彼を観に行ったのですが、それも今観ておかないと、もう観れないような気がしたからでした。彼の場合ブルースマンなんかと違って、90歳でよれよれになりながらも、枯れた味わいで聴かせるようには到底思えなかったんです。不謹慎を承知で言うと、枯れる前にポックリ逝ってしまうような気がしていました。

久々に観たJBは、相変わらず妥協のないソウルショーで楽しませてくれましたが、やはり寄る年波は隠すこともできず、前よりもアクションは少なくなったし、出ずっぱり度も相当落ちたように感じました。

以前毎年行っていたロングビーチ・ブルースフェスにJBが出たことがありました。1992年です。当然その日のトリで、持ち時間は1時間だったのですが、ステージのセットアップがとても時間がかかり彼が登場したのは、本来ならば終演する予定の時刻でした。1時間以上もセットアップしていたんです。完璧なまでにJB仕様にステージは作り替えられていました。

そして、その時間から始めて2時間近くやったんです。フルセットです。フェスティバルだろうが、なんだろうが、自分のショーには妥協は許さない。JBらしいなと思いました。だけど、主催者は大変だったろうな。聞くところによると、アーティストの楽屋用に用意されるトレーラーはJBの分だけで2台使ったそうです。衣装がスゴイ量だったそうで。

ライブは文句なしでした。あのときは、本当に手の届くような近さで観ることができました。余談ですが、彼の前に出たのがルース・ブラウンでした。いいステージを見せてくれたんですが、JB目当ての一部客が「おれがみたいのはジェイムズだ。ブラウン違いだ」などと野次を飛ばしていて、ったくもーと思いました。どちらも、相次いで亡くなってしまうとはね。

訃報続きですが、まさに2006年の最後にダイナマイト訃報でした。豪快な人生を送った彼の行き着くところは天国か地獄かはわかりませんが、あの世でも暴れて下さい。

「安らかに」は彼らしくないように思えるので、あえて言いません。
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2006/12/25

Cyril Neville & Monk Boudreaux  音楽全般

今日発売のブルース&ソウル・レコーズ誌(73号)に、シリル・ネヴィル&モンク・ブードロー取材記事が掲載されました。10月の「中之島Music Carnival '06」のときにインタビューしたものです。AERAの記事はとても短く、発言のほんの一部しか紹介できませんでしたが、ここでは4ページ取ってもらいました。よかったらご覧くださいね。

話の内容は音楽よりは、カトリーナ後のニューオーリンズの状況についてが中心ですが、一言一言にニューオーリンズで生まれ育った人たちの言葉だからこその重みがありました。文屋章さん撮影の写真もありますよ。(モノクロなのが残念ですが。)

今店頭に並んでいるミュージックマガジン(2007年1月号)には、今年1年のニューオーリンズ周辺の動きについて書きました。2006年を総括するコーナーの中の1コラムです。

色々、ニューオーリンズについて考えることの多かった2006年でした。
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2006/12/22

The Verbs with 奥田民生  ロック

昨晩12/21(木)The Verbsを観てきました。場所は、新木場駅から徒歩5分くらいのところにある、STUDIO COASTというハコ。定員が2,400名あるそうで、なかなか大きいハコでした。でも、こんなところ知らなかった。あまりにも辺鄙な場所にあるから、あまり使われてないのかも。かつてのMZA有明を思い出してしまいました。

で、僕が会場についたのは開演時間7時ギリギリ。大きな会場は満員でした。なんで?Verbsってそんなに人気あるの?って一瞬ぼけてしまいましたが、奥田民生が出ることを忘れてました。お目当てはダニー・クーチだったので。

スタンディングのフロアが、さほどギュウギュウになっていないのを幸いに、前の方に行きました。始まってみると、奥田民生の目の前だった。ダニー・クーチからはちょっと遠い位置。というか、ダニーは、ステージの奥の方でアンプのかげにかくれるように弾いていたので、どこからも遠かったかも。

僕は、Verbsのアルバムも聞いてなかったし、奥田民生の曲も知らないので、曲目はわからないですが、なかなか気持ちよく乗れるロッケンロールなライヴでした。雰囲気的には、80年代あたりのロックって感じかなぁ。カーズやら、ゴーゴーズやら、そういうサウンドと通ずるものがあるように感じました。

奥田民生はゲストでちょっと出てくるだけかと思ってましたが、最初から最後までバンドのメンバーとしてプレイしていて、しかも全体の1/3くらいは彼の曲でした。現在制作中の彼のアルバムからだという新曲も1曲披露しました。彼ははじけまくってたし、ギターも気持ちよく鳴っていていい感じ。

ダニー・クーチは白髪交じりで随分老けたなぁと思いましたが、でも観れただけでも感動でした。奥田民生が目立っていたので、相対的に存在は地味でしたが、Verbsの曲調がロックしまくっていたからか、彼のプレイも結構ロックしていてちょっとビックリ。これまでは、彼のプレイは癒し系というか、落ち着いている印象があったので、新鮮でした。結構ブルースっぽかったし、いいプレイでした。でも、もっと彼は目立ってもよかったんじゃない?音も奥田民生より小さかったし。バックボーカルすら取らなかったし。彼の使っていたのは黄色のSGとナチュラル色のテレキャスターの2本でした。

そしてリーダーのスティーブ・ジョーダンはやたらのりがいい。「次の曲は書きたての新曲だ。ウルトラHOTだ!」などと威勢よく言って、元気にリズムを叩き出す。痛快でした。そんな彼が奥田を是非参加して欲しいと言って誘ったらしいですが、ステージでスティーブは奥田を天才(genius)と紹介していました。

奥田は、ステージから何回もピックを投げまくってたけど、殆どキャッチされることなく、床に落ちたみたい。すし詰め状態の会場では、ライブ中に落ちたピックをさがすこともできず、ライブ終了後に、あちこちでピックをさがす客が見受けられました(笑)。

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2006/12/21

Staxレコード復活!  音楽全般

ジャズのリリースで有名なコンコルド・レコードが、スタックス50周年の節目にあたる2007年、レーベルを復活させるそうです。コンコルドは傘下に、これまでスタックスの音源をリリースしてきたファンタジーを収めていて、再発物はもちろん、新録もリリースするようです。既にアイザック・ヘイズとアンジー・ストーンは決定しているとか。

何年か前にメンフィスのスタックスの建物がミュージアムとして再建されたのも、この復活に向けた布石だったのか。
今後の展開が楽しみです。

http://home.businesswire.com/portal/site/google/index.jsp?ndmViewId=news_view&newsId=20061218005793&newsLang=en
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2006/12/19

Homesick James  ブルース

残念なことに、訃報が続きます。先日アトランティック・レコードのアーメット・アーテガンが亡くなったことが新聞にも載りましたが、ホームシック・ジェイムズが12月13日に亡くなったそうです。

彼がなくなったというニュースは数日前からネットの書き込みなどで出ていたのですが、訃報記事や公式な情報源からの発表などがなく未確認でした。Blues Foundationのサイトに訃報記事が出ているのをみつけたので、間違いはないだろうと思います。以下、その記事を翻訳したものです。(無断転載すいません)

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またひとり伝説的ブルースマン他界:ホームシック・ジェームス
ホームシック・ジェームスがミズーリ州スプリングフィールドの自宅で亡くなった。彼の正確な歳については疑いの余地が残るが(最も古くて、彼自身が1905 年生まれであると主張している) 、ホームシック・ジェームス・ウィリアムソンの切り込むようなスライドのギターの技術は疑いの余地がない。彼の充実作の多くは、突飛なタイミングの取り方が特徴的なソロの設定によるものである。(但し、バックバンドが付いたレコーディングの中にも秀作は多い。)

ジェイムズは、10歳の頃にはギターをはじめて、間もなくテネシー州の自宅から家出をして、フィッシュフライ、ダンスなどのギグでプレイするようになった。1920年代にミシシッピーとノースカロライナ州を放浪し、この間ヤンク・レイチェル、スリーピー・ジョン・エスティス、ブライド・ボーイ・フラー、ビッグ・ジョー・ウィリアムス等と交流を持った。

30 年代にシカゴに定住し、ローカルクラブでプレイ、また1937 年にRCA ビクターへ吹き込んだ。彼の代表作に数えられるArt Sheridan のチャンス・レコードの1952-53 年のレコーディング(彼の芸名のきっかけとなった名作"Homesick"を含む)を行う以前に、ジェイムズの実績は充分積み上げられていたのである。

ジェームスはまたサイドマンとしても活躍した。1945年には、シカゴの酒場パープル・キャットでサニー・ボーイ・ウィリアムソンとプレイ、1950年代にはいとこでスライド・ギターの名手であったエルモア・ジェイムズのバックを務めた。エルモアのスタイルは、彼に大きな影響を与えている。エルモアとホームシックは、1950年代にレコーディングも行っている。ホームシック自身の名義としては、1962年のコルト、USAのシングル、また1964年のプレステージの名作アルバム、そして1965年のヴァンガードのアンソロジーに残した4曲がある。

ジェイムズは、生涯レコーディングとツアーを止めることはなかった。近年ではAppaloosa、Earwigといったレーベルからアルバムを発表している。実際の年齢が何歳であったとしても、ホームシック・ジェイムズ・ウィリアムソンのブルースが盛りを過ぎたということはまったくなかったのである。

ホームシック・ジェイムズ・ウィリアムソンは、12月13日(水)午後11:15ごろ、ミズーリ州スプリングフィールドの自宅アパートで亡くなった。

出典:Blues Foundation http://www.blues.org/about/news.php4?Id=400
http://www.music-discussion.com/showthread.php?p=60759
(英語原文より翻訳)

(写真は1994年ロングビーチ・ブルース・フェスティバル出演時。撮影:陶守正寛)
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