2012/7/30

橋下市長と文楽  政治

橋下大阪市長が文楽にもの申した件が物議を醸し出してますね。

補助金凍結をちらつかせながら改革を迫るやり方は、権力を持つ物としてやってはならない手法だとは思いますが、橋下大嫌いな僕も今回彼が言ってることは、共感出来る面もありました。彼は文楽を「守るべき古典芸能」であることに認識しつつも「時代に合わせた演出も必要」としています。

二回見たくらいで何が判る?は確かにそうでしょう。その道に身を置く者からすれば非常に面白くないだろうと思います。しかし、判らないならば黙っておけと、聖域化して手をつけないというのが最善の選択なのでしょうか?僕にはそうは思えません。伝統的な文化を守ることは必要だとしても、より多くの人が楽しみ、理解しやすくするような努力はあって然るべきと思います。あえて問題提起をしたことは評価できると思います。

僕は文楽に関しては全く判りませんが、クラシック音楽について、同様の思いを強く抱いていました。クラシック音楽は伝統を重んじるばかりに、演奏者もファンも妙に堅苦しい枠に留まっている感があります。その中にどっぷりな人は気づかないかもしれませんが、判らないならば判らなくていいよとでも言わんばかり。せっかくの文化遺産もこれじゃ、広がらず、宝の持ち腐れです。

文化は生きものです。その時代時代の人々の感性に合わせて変化して行かないと、どんな素晴らしいものでも、所詮過去の遺物になってしまうのではないでしょうか?歴史の1ページを忠実に保存する必要性は否定しませんが、それだけでは文化は死んでしまうと思います。

変に大衆に迎合する必要なありません。文化の本質を変えずにより柔軟な対応をすることは可能だと思うのです。

例えばクラシック音楽で言えば、演奏する側はオリジナルの楽譜に拘らず、もっとポピュラー音楽の要素を取り入れたり、即興演奏を入れたりするなど自由な演奏をしてもいいと思うし、コンサートももっとリラックスした環境で聴く機会を増やしてもいいと思うのです。咳払いしたくらいで、白い目で見られるような環境で本当に音楽が楽しめるとは思えません。

長い間守られて来た文化はしっかり守って貰いたいけど、どうやって守って行くのか、聖域化することなく幅広い議論が深まれば、結果オーライになるのではないでしょうか?
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