2004/12/28

冬の幼虫幻想  おいらのなかみ

未だ夢で見るおいらのうちはここである。

物心付いてから20年近く住んだ市営アパート。
4階建てでおいらんちは一階だった。

この場所は裏口に続くベランダで、写真手前に3段ほどの階段があって写真右奥に台所、そこに裏口があった。
その横にはお風呂場のちっこい窓があって玄関や裏口が施錠されている時などそこからずるずるとナメクジのように侵入したものだ。ちっちゃい時ね。

奥のガラス戸が割れている。
これが割れた時の事は良く憶えてる。
この年、9月。
伊勢湾台風の時、前においてあるざら板が飛んだんだ。

しかし、なんちゅう格好じゃ。
腹のモコつきはなんともはや、申し訳ない。
おまけに左足ときたら球体関節人形を捻り間違えたポーズだぞ。
歯もあまり無さそうだ。
ここらは今とおんなじか。

奥の部屋はのちにおいらの部屋となる。
そこからはちっこい庭が見えた。
庭ではおいらが捨てた柿の種が育って実をつけた。
庭はまた、可愛がっていたネコのお墓にもなった。
スズメもカエルもトカゲも、埋めた。

おいらはいまでもここにいる夢を見る。
夢の中でうちに帰るときはこの裏口から帰ってくる。

不思議と家から出かける夢は見ない。
帰ってくる、ここにいる、ばかりだ。
ここにいてもなんにもないのに、いいことなんかちっともなかったのに、それでも、おいらは夢の中でいまでもここに帰る。


ああそうだ、きっとそうだ。

おいらはここ埋められている。
ネコやカエルやトカゲやスズメや柿の種といっしょに、きっと、ほんとうは、ここに埋まっているのだ。







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2004/12/25

口の中はオカルタス!  おいらのなかみ

 
 気持ち悪い?

まあ、こんなもんでしょ。
自分が見たかったので手術後すぐ会社へ戻って写真を撮ってもらった。

一応、解説。
場所は右下奥のずっと奥である。

@ 親知らずがある場所(表面には出ていない。)
A 欠けた奥歯が2本あった場所(今日抜いた。)
B チタンのインプラント土台
C これも今日くっつけた簡単なもの
D ここらを切開して拡げたので縫ってある。蜘蛛ではない。

5〜6本なければいけない歯が手前1本しかないでしょ?
以前はAにあった奥歯と手前の1本にブリッジをして繋いであった。
そのブリッジが外れてAの奥歯が欠けてしまったわけで、まあ、おじいさんみたいに歯茎むき出し状態。
で、インプラント。

本当はAのまんなかあたりにもう1本打たなければいけないんだけど今日はとりあえずこの1本だけ。

んで、今日つくづく思ったんだけれど、この歯医者さん、おもしろい。
埋め込み後すぐカガミを見せて「どうです?いやね、ずらっと並ぶともっと壮観なんだけどねえ。」

おいおい、ストーンヘンジ(列石遺跡)じゃねえぞ!
宇宙人との交信はお願いしてないから。


歯医者さん曰く、本当はもう何ミリか手前に埋め込んだほうが残りの1本を埋め込んだ時、等間隔で素敵になったらしいのだがおいらの骨の都合でずらすしかなかった、そうな。


土台をレントゲンで見ると見事!骨に突き刺さっている。
さしづめ地中に埋め込まれたタイムカプセルのようだ。
埋め込んである部分にはタップが切られていてボルトのようなのだが捻り込むわけではない。
昔は捻り込んだそうだ。
最近のはチタンに骨と融合する何かがコーティングがしてあり(何だろう?)、埋め込むだけで2ヶ月ほどで骨とくっついちゃうらしい。

「だから無理やり抜けばぐぎょぐぎょってなって骨ごと抜けてしまうのです。あははははは。」

抜くなよ、骨ごと。

さて、埋め込むのはドリルみたいなんで骨に穴を掘って、先生が手でぎゅっぎゅと押し込む。
奥歯なので先生の手がのどの奥まで突っ込まれ、吐しゃを強制するような(喉に指突っ込んでげーげーする、あれ)状態が続く。
時折、ぐえぇっってなるので顔をしかめると「痛い?」と先生。
痛いわけではないので首を横に振るしかない。
こっちはしゃべれないわけで、「痛い」以外にも問題があるわけだし、いろいろ聞いてもらわなければ実に困るのだ。


横(D)を切開したのにはいろいろ事情があるようで、こうしておくと(そのあたりのテンションを弱めたらしいのだが)後々、土台が歯茎としっかり固定されるのに役立つようだ。
或いは、間違ってここを切っちゃって仕方ないので縫った、としても、永遠の謎でしかないけどね。

全体の感想として、治療費がお高いのを除けば、手術そのものはどってことない、ってのが正直な気持ち。
昔、親知らずを抜いた時のほうが大変だったような気がする。
おそらくは日進月歩で進化しているのだろうインプラント治療。

願わくば歯の種を埋め込んで3ヵ月後には新歯が生えてくる、ってところまで辿りついて欲しいものだ。

めりーくりすます!!
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2004/12/18

食い意地大魔王再び  おいらのなかみ

相変わらず見事な食い意地っぷりのおいらだ。

先日友人から頂いた物の中にこの「7D Dried Mangoes」が一袋、あった。
乾燥マンゴー。
マンゴーは嫌いではないのだが乾燥マンゴーでおいしいのに当たった試しがない。
だから最近は好んで食すこともなくなっていた。
ただし、お腹が減っていれば別である。
食い意地大魔王の名はだてではないのだ。

腹が減っていれば何でも食う。
まあ、食品であれば、だが。
食品らしき物はギリギリで、食品に似たものはまあまあで、食品っぽいものはそこそこだ。

そんな時、好き嫌いは関係ない。
腹の足しになれば何でもいいのだ。

さらに、しょっちゅう腹が減るのである。
突然、腹が減ったりする。

飯?
んなもん、食えるかて!
と、心から思った10分後には、空腹を抱えた別人格に支配されてしまう事だってある。
間違いなく多重人格だ。(か?)

で、この頂き物も申し訳ないのだが暫くは非常食バック(ええおっさんが「非常食バッグ」なる怪しげな物を車に常備していること自体が、ほらね、多重人格のほかならぬ証拠だ。)に突っ込んでおいた。
このバック、実に不思議で、会社でお腹いっぱいの時見つけた貰い物の饅頭やせんべいなど、さらに別人格の支配下でおこなわれる「さっさと取り込む」行為によって、いつ何時も食い物が詰まっている。常に飢餓感を予測し、どんな時でも「食」を忘れない、そんな素晴らしい人格をも持ち合わせているおいらではあるが冬眠はしない。

さて、飢餓感に苛まれしある日、非常食バッグを弄る手に7Dが触れた。

その刹那、おいらは食いしん坊であることを神に感謝することになる。

うまかった、のだ。すっげえ!
フィリピンはセブ島にある会社がメーカーでハワイやグアムなんかでお土産として売られているらしい。日本でもデパートなんかでは売られているらしいのだが、ほれ、おいらはそおいうとこ、行かないから。

なんちゅうか、半生?半ドライ?
口の中に3分くらい置いておくと戻る?
生のマンゴー?
完熟マンゴー?

んな感じ。

腹が減ってるのも忘れるほど、もう、あっという間に食い尽くす。(そりゃ、腹も膨れるて。)

冷静になって哀しくなってくる。
「一袋かよお〜〜。おしまいかよお〜〜」

でも、おいらはあきらめなかった。
早速会社のパソコンで検索。(仕事せえや)
日本での販売会社をつきとめる。
すわ!購入か?
いや、まてまて、これ、高ないか?

腹が膨れているので冷静なおいら。

念のために、ヤフ〜のオークションで検索。(だで、仕事せえて)
ふふふふ。
半額。
さらに、即決!!


ふふふふふ。
ははははは。
あははははははははははは。


今、おいらの手元にはこの冬越しに十分な7Dが、ある。 ・・・リスかて。


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2004/12/10

限界令?  おいらのなかみ

今日は危なかった。
ギリギリ?
普通の人で言うギリギリ。
おいらの場合はまだまだ。
ここからが勝負ってとこ。
ほんの開戦前のいざこざ、ってとこか?

トイレの話。
おお!ってレイラさん。嬉しそう。ぷぷ(ぷぷはこおいう場合やばいか。)

おいらはやばいのである。
知っている人は知っているのだがこの歳までいったい幾多の戦火の中を歩んできたことか。
人の一生を単位とするのであれば人の五生、六生、いや、十生分は戦ったはずだ。そして、それらの8割は敗戦なのだ。

そして、それらの史実はおいらと係わった人々に余すことなく伝えてきたつもりだ。
『ハワイバーガーキングの砦』
『新聞配達早朝事変』
『100メートル道路攻防戦』
『小学校同時多発テロ』
『竣工前ビルの悲劇』
などなど、自らが歴史の語り部となり、時には飲み会、時には披露宴(おいおい)で。
ただし、戦後復興におけるすざましい描写場面はあまりの惨たらしさに未だ極秘となっている場合が多い。
そこはそれ、戦後50年を経て明らかになる裏の歴史だ。

そんな中、あまり語られなかった史実がある。
凄惨さもさることながら、ネタ話のような内容が史実に認められ難い理由からだ。

白州次郎の話の次にこんな話もなんなのだが、今日の良き日を祝して(か?)読んでみる?


美容室を開設した当時のこと。
2軒目の美容室を開設するべく車で現地へ移動中であった。
そんな折、目的地半ばで戦火に巻き込まれることになる。

前記したようにおいらは、やばいのだ。
普通、開戦前に何らかの兆候があるでしょ?
朝からお腹の調子が悪いだの、ゴロゴロしてただの。
おいらにはまったくそれが無い。
ギリギリまで平和そのもの。
鳩がいっぱい、みたいな。
南の空からB29の大編隊がいきなし現れる、みたいな。

その時もまさに突然、スカッドミサイルに追われ交戦状態になった。

折りしも新興住宅地にさしかかったところ。
新興住宅地はまさにまずい。
トイレどころか、空き地ひとつ無い。
空き地さえあれば例え昼間であろうがおいらにとってはなんでもないのだ。
歴戦の勇者だから。(ホント)
仮に、仮に夜であれば、住宅街であろうが無かろうが地球上の土地であれば全て大丈夫。
歴戦の兵だから。(ホント)

とにかくそのときは状況がまずかった。
運転どころではないのだがとにかく走らにゃ。
避難場所を求めて逃げ惑うおいら。
なんか、なんかないか?
空き地は?廃屋は?物陰は?
トイレを探していないところが哀しい。
最前線とはそおいうとこだ。(とこか?)

『架設図書館』っちゅう怪しげな木造建物があった。
公に人の出入り可能なものに違いない。
戦況は一気に好転する!

緊急脱出。車外へ!
ベルトはすでに外れている。
内股を!内股で!天の声が聴こえる。

足取りはおぼつかない。
この戦火の中だ。
気持ちは匍匐前進。
すでに眼に入るものは揺らぐ木造建物の木戸だけだ。

木戸はすんなり開く。
民家を改良したのか玄関は土間、一段上がって廊下が続く。
靴を脱ぐのがもどかしい。
大声で人を呼ぶ。

廊下の奥でのんびりした返事。
スローモーションのような足取りでおばあさんがへたりへたり、歩いてくる。
知っとんなあ〜?おいらの状況、しっとんだろおお〜〜?しっとって、わざとゆっくりだろおお〜〜〜〜!!

トイレは廊下の突き当たりだよと言う。
ええ人や、この際あんたはええ人や。

皆も知ってのとおり、肝心なのはここからだ。
スカッドミサイルの追撃は正確かつ、執拗に照準を逃すことなく、刻々と迫り来る。
気を抜けばすべて、ぱ〜。
すでに先陣のエクトプラズム部隊は廊下突き当たり、トイレの木戸前で待機中だ。
抜け殻であるはずの本隊は、それでも重い装備を引きずりながら、ついに先陣部隊に合流!

息つく間もなく木戸に手が!
開かん?
カギ?
呪文がいるのか?
ならばあああ〜〜
『ひらけぇ〜〜肛門!!』(ち、ちまうう〜!!)

おのれ、おばああ〜〜しかけたなあ〜〜、しかけやがってえええええ〜〜〜!!

スカッドミサイルの着弾とトイレの木戸に手がかかったのはほぼ同時。
その時点での安心感の後に5〜6秒の終末緊張状態が保たれるのは周知の事実。
着弾を意識しつつ、最後の緊張、噴火の如く一斉掃射の大反撃でミサイル撃破のシナリオ。
だった。

叫び声でおばあさんはなにやらゴチャゴチャ付いたカギ束を持って再びやってきた。
おばあさんはカギ束からひとつ、またひとつと、まるでアンティークモールのガラスケースを開ける外人の如く、首を捻りながら試している。

おばあさん、まあええよ。
すべてはね、おわってしまったんだよ。

おいらはおばあさんから出来るだけ距離をとるよう、後ずさるのだった。

(この敗戦処理、復興に至る過程も他と同様、すさましいものがあり、公表にいたっては50年の歳月を有するものとす。)

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2004/12/7

続続/12月5日の日記  おいらのなかみ

            (謎のもの。説明は後半に)


つるみゃ〜(もしくは「つるま」とも言うがこれでもやはり正確に「まい」か「まえ」か分からん。ったく名古屋って。)公園から西にゆっくり10分走れば「大須」だ。

前記したちっこい規模の秋葉原ゾーンや、古着&雑貨、衣料品などのお店がひしめきあう。
戦前、大須は名古屋の筆頭繁華街だった。
大須観音をはじめ、お寺がいっぱいあって、アーケード商店街、演芸場、映画館など東京ならば浅草って感じで、当時の人々の娯楽には事欠かない街だったそうだ。
まあ、戦後になるとこの手の地域は名古屋に限らず、ことごとく衰退していく。
まさしく大須もさびれた街になっていった。
 
昭和40年代初頭、まだボロい映画館が幾つか残っていて3本立て100円とか200円のマカロニウエスタンやフランスコメディ映画を今日のように自転車をこぎこぎ、観に来たものだが、お買い物の街、というイメージはなかったなあ。

おいらが大須にお店を出して10年以上になる。
その頃から世代交代した地元若店主による意識改革や安売り電器店、リサイクルショップ、古着屋などの台頭、昔からの大須ならではのイメージと時代が相まって驚異的に人々が戻ってくるようになる。
大須に行けばなんか変なもんがあるぞ!安く買えるぞ!的な意識だ。

面白いのは大須の復興は誰かやなんかの団体やましてや自治体が絵を描いて成し遂げたわけではない、と思う。
そりゃ、今になってして、あれは私がこうして、とか、市がこういう計画の下に、とかいろいろ語っちゃう部分はあるのだろうけど。
そおいうものより、もっと、どろどろした庶民パワーみたいなんが風向きでここに飛ばされ、個々に発芽して根を下ろして、環境が土壌が合致して、いつの間にかでっかい塊になっちゃった、んじゃないか?
そおいうこともあるんじゃないか?って思う。
そんなんで去年だか鳴り物入りで完成した大須中華街なんかもいまいち、さえない。
この土壌がいいからって無理やり意識的に挿し木したって育たない。
そんな気がするんだよなあ〜

で、「大須」で買い物だ。
電器店はいっぱいある。
目的を持って行かなければ一日中うろうろすることになる。
今回はヘッドフォンだけだから大丈夫。
やっぱ、アメリカより種類もあってお安い。
あれこれ迷った末、SONYのN・U・D・E EX コード1.2mを買う。
お店の出口に携帯モック100円の張り紙。
とりあえず見る。
おいらの使っているSONY SO505iのブルーを意味も無く3個買う。

次は靴。
くつはねえ〜
とにかく楽じゃないと。
歩くからねえ〜
歩く仕事、といってもいいぐらい。
時々スタッフが重たい皮のラバーソールなんか履いて出張について来るけど、すげえ〜、って感心する。
修行の重い靴か?
試合で履き替えるとウソのように軽くなる、アレか?
試合は無いんだが・・
むしろ、出張中が試合みたいなもんだが。

で、おいらの場合楽な靴にあたるとそればっか履き続ける。
必然、どんな格好にもその靴である。さらにどんどん傷む。

ええかげん買い換えんとなあ、と思ってからもすぐ半年、過ぎる。
しかし、デザインの好みもある。
難しいのである。
今回はある程度、的を絞っておいた。
ニューバランスで黒っぽいやつ。
いや、ここまで的を絞れば問題は無い。
もともとニューバランスは軽いし、楽である。
ここで、ナイキとかプーマとかなると難しくなるのでとにかく選択肢を絞り込んで勝負だ。(勝負か?)
なんのことはない。すぐ買えた。

おいらのお店に寄ってスタッフに見せびらかそうと思ったのだがお店は混雑していてそれどころではなさそうだ。
仕方がないのでレジに立っていたのだがお客が商品を持ってくるのでレジの打ちかたが分からないおいらは情けない愛想笑いをし、スタッフを大声で呼び、早々と立ち去った。

友人の服屋さんに寄る。
友人といってもおいらのもうひとつのお店の大家さんだ。
学生の頃から知っているので友人みたいにお付き合いしてくれている。
おいらより2つ歳上で一等地で何軒もお店をやっていて、本人は最近舞台衣装などの仕事をこなしている。
うううう。やるきまんまんだなあ〜〜

2時間ほど世間話をして出る。
おいらのもうひとつの店で売り物の時計を修理して、すでに夜も8時前。

まだ行きたいところがあるのだ。
なんでもテレビ塔の付近に(名古屋の中心繁華街辺りね)UFO型の屋根の近未来っぽいなんかがあるって聞いている。
だいたいおいらはまず街に出ない。
テレビ塔周辺などヴィトンが出来た頃通ったきりだ。
大須からあっという間の距離なのにねえ。

途中レイラさんが大好きな「ランの館」ってとこを通る。
落ち武者人形とか飾ってある館?
レイラさん、好きだから。そおいうの。

入場時間は終わっていて中には入れなかったが不思議とクリスマスのイルミネーションがごっちゃり飾り付けられた西洋風の建物。
応仁の乱あたりではなく戊辰戦争頃のものか?
(ホントは花のランです。ったりめえか?)

近未来っぽい物(写真)は綺麗だった。
思えばおいらは何にも知らないなあ。
ここがなんというとこかも知らないのだ。
なんとなく情けない気持ちで虚飾の街を後にした。

(これ以上は文字が多すぎてだめだって。よって、に続きます。もうちょっとで終わりだよ。)

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2004/12/7

これでおしまい12月5日の日記  おいらのなかみ

後は本屋だ。
まず新品本屋。
このあたりは地元でまかなえる。

プレミア・プロ実践講座とフラッシュマックス2004デザイン講座、来年の能率ダイアリー、江戸300藩 最後の藩主。以上4冊でリュックはかなり重い。

お腹がすいた。
コーヒーも飲みたい。
甘い物も食べたい。
で、モス。

最初にコーヒーと照り焼きバーガー。
一息入れて、またコーヒーとイチゴと木苺のケーキ。
モスは絶対コーヒーを2杯飲む。
いつごろからかそう決めている。
どこかで読もうと持ってきていた読み残しの夢枕獏の「ものいふ髑髏」を読んじゃうことに。

モスを出るともう11時過ぎ。
古本屋さんは12時までだ。

ちょいと寒い。
でも気持ちいい。
見慣れた景色を見るとも無くぼんやり自転車をこぐ。
リュックは重いけどなんだかそこには今日が詰まっているような気がしてちょっと嬉しかった。

古本屋まであとちょっと。
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2004/12/6

続/12月5日の日記  おいらのなかみ


前回のあらすじ(いらんわいっ!)

土器どきどき・・
おいらは本当にドキドキしていたのだ。
立ちこぎのまま超低速で自転車ごと路地へ。

きゅうう〜〜〜〜ん〜〜ぎゅるるるるる〜〜ポンッ!!(って・・)
(タイムスリップした音)

こりわああ〜〜!!

この路地は感じとして市場の参道みたいになっていたので両側には何がしかの商店が並んでいた歯抜けの記憶があった。
その、その、その歯抜けがうまるううう〜〜!!いんぷらんと?さしば?

建物の扉はすべて閉まっていて普段営業しているのかどうかは分からなかったが、立ちこぎ姿勢にしてなお、目線の上にはしっかりと屋号の看板が軒を連ねて並んでいたではないか!
ざっと10軒ほど。
強風で走行が困難であったここまでの道のりとはうって変わって、路地の中は何もかもが静寂で空気の微々たる動きすら感じない。
さらにはあたかも密度の濃い空気の抵抗が奥への侵入を阻むが如く、増しての超低速走行を強いられるのだが、果たして両側からもそれに支えられた感触が、苦も無く、完璧な上級者のスタンディング状態を作り出そうとする不思議。(*スタンディングとは停止状態の自転車に、立ちこぎ姿勢のままでいること。上級者はびくともせずに10分でも20分でもその姿勢を保つことが出来る。おいらもできるけどびくともしながら、(笑)なんとかなってるかな?って、普段はそんな程度。)

ただ、正面に市場のかげは無く、なぜか映画のセットを裏側から見た状態のような幾重にも塗り重ねられた色とりどりのペンキが剥げた板壁が行く手を遮り、そこでどんずまりだ。
がしかし、だ。
市場の入り口があっただだろう正面左側軒下の位置の板壁前に、更なる奇跡があった。
朽ち果てかけてはいるけれど、木戸で囲まれた小屋は紛れも無い、あの時の回覧本の本屋である。
これ以上の何かがあれば都市伝説に至る怪談話のようになってしまうんじゃないか!

かろうじて、そこには真新しいセロファン紙でカバーをかけられた『少年』や、買い物籠を手にしたエプロン姿の主婦たちの姿も、在りはしなかった。
それゆえ、おいらは正気を保つことが出来たようだ。

そして、いんぷらんとされた記憶を何度も何度も確認しながら、本屋の前でターンをし路地を抜け出た。
ハンドルを握るグローブの中はいつの間にか汗ばんでいた・・。

   ********

今日は買い物の目的もあるのだ。
ひとつはヘッドフォン。
この前の出張の時イヤープラグがゴムになった密着式タイプ(耳栓みたいなやつね。)を電器屋で見つけたんだけど、そこでは種類も無くて高かったからぜひともこっちで買うつもりだった。
もうひとつは靴。
これも出張中に買おうと思ってたんだけど時間が無くて買えなかったから。
名古屋にも東京の秋葉原みたいなんのが規模は小さいながら、在る。
名古屋の中心繁華街のちょいと南。
おいらのお店(古着&雑貨)もその地域にあるし、靴屋もでかいチェーン店が何軒かある。
次に目指す場所はそこだ。

幻の路地を出て大通りを避け、出来るだけ知らない道を選びながらゆっくり走る。
自転車はこれが楽しい。

おいらの住んでるところからは西北へ進むことになるのだが途中に大きな公園がある。
鶴舞公園。
休憩ポイントにはうってつけ。
名古屋人は「つるみゃ〜こ〜えん」と言う。
正しくは「つるまえ」なのか「つるまい」だったか地下鉄の駅名表示を見ないと分からない。え〜かげんなのだ。それでいいのだ。

ゆっくり、20分ぐらいでおいらの思う公園『入り口』に到着。
でかい公園だし道路に面した部分はいっぱいあるので正確な入り口って知らない。ほんとはどこだろ?そおいうのってあるんかな?
おいらは昔から公園の南東角、池があって真ん中に橋で渡れる屋根付きのちっこいお堂みたいなんがあるところを入り口としている。
なんのことはないのだけれど、おいらの住んでるところから向かえばここに最初に到達するからなんだろう。

お堂に渡ってちょっと休憩。
トラ柵が一個置いてあって、ここでシートやらダンボールの家は禁止と張り紙。
見回すと辺りには何軒か(?)らしいのがある。
何年も来ていなかったので園内がこおいう状況になっているとは知らなかった。
さすがこのお堂は手付かずなのだがこの張り紙があるって事は以前そおいう輩がいてもめたのかも知れぬ。

で、園内に。
ぱらぱらと人が出ている。
園内中央には野外ライブが出来る施設もあって地元FM局主催のヒップホップミニライブが始まるところだった。
ただだし、地元のインディーズバンドだったので、せっかくだから観た。
結局、リハーサルから通して最後まで観ちゃったので時計は3時をまわっていた。

 

つづく  (ええええ〜〜〜〜〜〜!!まだあ〜〜〜?)
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2004/12/6


12月5日(日曜)

久々の休み。
買いたい物、行ってみたい所がそれなりにあったので、お昼から自転車で出かける。

子供の頃住んでいた場所は自転車で10分程。
そのあたりで前から気になっていた一画がある。
そこから責めることに。

中学生の時の通学路で大通りから細い路地を抜けると奥まった所に市場があった場所。
その入り口の軒下に出店のような本屋さんがあっておいらが中学生より更に昔、回覧本をやっていた。
回覧本っていうのは、おいらが当時勝手につけた名称で、まあ、早い話が新品漫画雑誌の貸本だ。
今では考えられないけど、昔は月刊の漫画雑誌(例えば「少年」例えば「少年クラブ」例えば「ぼくら」例えば「冒険王」例えば「日の丸」)に薄いセロファン紙でカバーを付け、安価で回覧してくれる本屋さんがあったのだ。さらに驚くことには配達、回収までしていた。
月刊誌には紙の組み立て玩具などの付録が付いていて、それを時々、サービスでくれたりもした。
おそらく回覧読者に順番で配っていたのだろう。
でも、忘れた頃に付いてくる付録はとても嬉しかった。
回覧の順番もあった。
発行されてすぐ配達してくれる月、おしまいのほうになる月、いろいろだった。回覧読者全体を考慮した実に納得出来る、よく出来たシステムだったわけだ。
当時、月刊漫画雑誌は唯一、床屋さんで限られた本を読むぐらいだったので、いろいろあれもこれも読みたいクソボウズにはもってこいのシステムでもあったのだ。

おそらくはそんなに儲かる商いではなかったろうけど、漫画月刊誌を買ってもらえるような裕福な家庭が本当に稀な時代、福祉とかボランティアなどとは違う意味での、活きのいい生活密着助け合い精神が人々の暮らしの中にはあり、たとえ商いであるといえど、それは、同じようにあったんだなあ、と、目頭が熱くなる。

なんだか前置きがすっげえ長くなってしまったのだが、ほんの出だしなんです、まだ。

さて、その本屋さん、中学生の時にはもう無くなっていた。
市場自体はまだ暫くあったようだがいつの間にか月日は流れ、そのあたりの景観もすっかり変わり、大通りを車で通る事はあってもさして用事の無いその一画を歩くようなことは、まったく無くなってしまった。

んがぁ〜〜

最近、やけにその本屋さんのことが思い浮ぶ。
正確には本屋さんのことだけではないのだが、そのあたりの途切れがちな記憶がよく思い浮ぶ。
歳をとった、ということだろう。
誰もがそうかどうかは判らないけど、自分はそうだなと、確信できる。
理由があるから。
その理由はまあ、気にしないで。(笑)

そんなんでここのところその一画を通るたびに注意深く観察していた。
前記したけど大通りから眺める景観はすっかり変わっている。
角の怖いおばさんのいた八百屋も商売気のなさそうだった文具屋もそのとなりの東映まげもの映画館も厚化粧のねえちゃんがいた化粧品屋も、何もかも、無い。あたりまえだけどね。
しかして、ついに、先月、見つけてしまったのだ!
よくよく眼を凝らして見れば、ぬわんとっ!あの市場に通じる路地がまだあるではないか!
先に続く奥まったところはどうなってるのか車からは判らない。
こりゃ、いかん!
どうなってるんだ?奥は?

はいっ!
あ〜ながっ!

もう一回書きますがここまではほんの出だし。
だって、家を出て10分程のその場所にまだ着いていない。
今日は12時間、お出かけしていた。
久々の本格外出に書きたいことは山盛り。

こりゃ先が思いやられますね。ぷぷ

つづく  (えええっ〜〜〜〜〜!)


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2004/12/4

脚立貿易  おいらのなかみ

脚立である。
中古の。
物によっては中古と言うより『ボロ』である。
運良く、てっぺんまで登りきると、とても心臓に悪い。

これをパレットに括り付けシュリンク梱包して日本に輸出する。

積み込みのトラッカーはいったん落ちこぼれた眼をあわてて拾いながらの勢いで質問だ。
「これを本当にエキスポートするのか?」
「これは特別な物なのか?」
「これは半分壊れた脚立に見えるのだが?」
答えは上から「イエス」「ノ〜」「イエス」だ。

いつもの事ながら本当に面倒くさい。
ど〜でもええじゃろ〜。んなこと。
脚立に使うかっ!んなもん。
日本の敗戦は60年前だぞ〜。
アメリカ人だってこいつをガーデニングの道具として上手に使ってるやつはいっぱいいるし、むしろそれを日本人が真似てるだけやん。
ただし、真似るだけあってその代償はこんなもんでも随分お高いのだけれど。

なぜなら、こうやってこんなもんを手間暇かけて輸出するだろ〜、ハンドリングチャ〜ジや輸送費がめちゃ、含まれるだろ〜、税金だって国内送料だってかかるだろ〜。
業者のラリー・ジョンソンにだって時給払って運んでもらうだろ〜

 

要は雰囲気だて。
日本にこおいう脚立はなかなか無いでね。
んで、こおいう汚れも。

んで、新品の立派なアルミ製伸び縮み自在の脚立よりこの『ボロ』がお高くて人気あるもんで中古脚立貿易商するんだてえ〜。

と、いちいち説明するのが面倒なので
ふふふ、と笑っておく。

遠くでラリーも笑っている。


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2004/12/2

まずは歯医者!  おいらのなかみ

飛行場から一直線で歯医者なのだ。

ここ5日ほど毎日6時間おきにイブ2錠の生活。

10月に腫れを抑えるという事で抗生物質などを投与されていた左上。   

  

こいつがなんとも、どんどんひどくなっていった。

11月の出張間際はそれほどでもなかったので、とりあえずそのまま。勿論、投与された薬はとっくになくなっていたけど。

で、一時は痛みも治まりかけて後は時間の問題か?と安心したのも束の間、この有様である。
おいらは痛い病気にしょっちゅうなる。
若い時からそんな病気ばっかだ。
だから痛いのには普通の人よりガマンできる自信がある。
その変な自信が仇となる。

5日ほど前からは頬の上からちょいと触るだけで飛び上がるほど痛くなってしまい、そのあたりにいかにも膿が溜まってるんだろうと素人にも判断できてしまう。
これはガンかも知れぬ。もうだめかも?と、小心の血が騒ぐ。
楽しかった日々が走馬灯のように浮かんでくる。

歯医者さん。
「あれ〜〜???こりゃ、ひどいですねえ〜〜〜。この歯折れてますよお〜〜。抜かないとだめだなあ〜〜。この前、私、そんなこと言いませんでしたねえ〜〜。ごめんなさいねえ〜。きっとヒビがはいってたんだけどわかんなかったなあ〜〜。どんどん黴菌、入って骨まで達してるねえ〜〜きっと。」
きっと、じゃねえやいっ!
「こりゃあ、何も食べれませんでしょ?え?食べてた?我慢強いですねえ〜。ははは」
ははは、じゃねえやいっ!
「とりあえず、膿抜かないとねえ〜。ここの歯茎の壁に穴開けましょうね。チクッってしますけど、あと、楽になりますよお〜〜♪」
チクッチクッ・・チクッチクッ・・って、何回刺すんだよおお〜〜〜
「あれ〜〜??こりゃ全部は無理だねえ〜〜。全て完了、めでたしめでたしにはなりませんでした。でも、穴、開いてるから大丈夫ですよお〜〜」

痛てえええええ〜〜〜〜〜

「今はね、痛いよ〜。痛いところいっぱい刺激したからねえ〜。すぐ、痛み止め飲みます?」

うんうん。飲む飲む。

「海外出張は大変ですねえ〜〜」
あんたに言われたないわいっ!
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