2005/7/17

昭和30年代のセミさんへ  

 
ずうう〜と昔の話。
まだ、記憶というものが「楽しい」事しかなかった頃。

夏はその中でもとびきりの「楽しい」だった。

おいらは昆虫とかむやみに殺すほうではない。
子供の頃だってどっちかといえば男の子系・蟻の巣攻撃グループではなく女の子系・密かに見守る観察グループのほうだったし。
が、しかし。
事、セミに関してはちょっとした小国を根こそぎ殲滅すべく破壊の限りを尽くしたものだ。
それはただ単に「セミ採り」という当時の夏の最大行事を一心不乱、遂行したに過ぎなかったのだが。

なあんであんなにワクワクしたんだろお?
子供の頃から朝起きのにがてなおいらだったけど、セミの季節は別だった。
セミの最初のひと鳴きで完全起床だ。

夏休みが始まる前の主流はニイニイゼミ。
ちっこいセミね。
休みが始まる頃には本格的なアブラゼミ時代が来る。

そいつらをまるで生きる糧であるかのように、採リまくるわけだ。

昭和30年代のセミ採りスタイルは現在のそれとは異なる。
それ以前はどんなんだったかは知らないがとにかくその時代、セミを採る道具は竹竿であった。
なので、セミの季節直前は近所の竹屋が「マイ竹竿」を求めるガキどもに占領される。
釣竿よろしく、握り、しなり、長さなどをああでもない、こうでもないと吟味する真顔のガキどもに。
竹は長ければ良い、というものではなく、使い勝手の良い適度な長さがある。
高いところにいるセミに対してはもう一本竹を繋いで長竿にするという手段もあったが、なぜかこの技をこなしているガキは少なかったように記憶する。
多分重くなったり揺ら揺らしたりで扱いにくくなったのだと思う。

若い御仁のなかには、はて、竹竿でどのようにしてセミを採るのであろう?という疑問もおありであろう。
まあ、原人如く、先っちょで突くわけではないし、叩き落すわけでもない。
竹竿の先端部から20〜30cm、べっちょりと「とりもち」を付着させ、それをこっそりこっそりセミに近づけ、ひょい、と、くっつけるのである。
「とりもち」?
これは最近見ないなあ。
セミ採り用には、週刊誌サイズの見開紙の間に粘着度の高いべとべとがサンドイッチされているタイプの「とりもち」が便利で、見開紙をぐいいい〜〜って開いてそこに竹竿の先端をはさみ、閉じる。
閉じたまま竹竿を引っこ抜くとまんまと先っちょに「とりもち」がくっつく塩梅だ。

基本的には臨戦態勢に入った時点でその作業をする。
「とりもち」をべっとり付けた竹竿を終始持ち歩くのは非常に危険、かつ、リスクの多い行為であって、とにかくなんでもくっついちゃうわけで、あちこち移動している間に葉っぱやら砂やらところてんの食いカスやらで粘着性が薄れてしまう。
さらに髪の毛にくっついてしまった場合は悲惨この上ない。
大概の場合、2〜3人のグループが竹竿係、とりもち係、虫かご係ってな具合に役割分担をして行動を共にしていることが多く、当然、とりもち係、虫かご係がその犠牲者となる。
して、とりもち係、虫かご係は子分的な存在、という関係が多く、とりもちでべとべとになった髪の毛は無残にも刈り取られ、泣き寝入りパターンが図式であった。
親分の竹竿係としても、後日、子分の親にどやされる事になるわ、とりもち係はいなくなるわのリスクを背負い込むわけで、必然、「とりもち」の扱いはシビアであったわけだ。

また、とりもち係がいなかったり急遽単独での行動となれば、竹竿の先端を前にして足にはさみながら、自ら「とりもち」をくっつけるわけなのだが、この行為にして危険度は高く、ランニングシャツはもとより、自らの髪の毛に被害が及ぶことも多く、低学年者には敷居の高い狩りのスタイルであった。そおいった理由もあって、低学年においては、いつか竹竿係!と、夢みつつ、とりもち係での修行の日々を送ったものだ。

さて、「とりもち」でセミを採れば当然、セミはべとべとである。
上級者のなかにはセミの頭部を狙い、へろっとくっつける技を披露するものもいるにはいたが、羽が自由なだけに採り逃がす事も多く、その収穫数を良しとする場合(ほとんどがこれであったわけで)羽にべちょっ!ってな具合に捕獲する。
この捕獲の瞬間がなんとも言えず手ごたえがあって嬉しい。
魚釣りの感覚と似ている、といえばそうだ。
虫かご係がいれば、そいつがセミを竹竿から引っぺがし、虫かごに収める。
何匹か虫かごに入ればそれらはごてごてにくっつき、やがて、せみ団子となる。
終盤ともなればセミ団子の塊は謎の物体Xの如くに成長し、もはや虫かごには収まりきらなくなった時点でその日は解散となる。

セミ団子は一晩中ぎゃあぎゃあ鳴き続け、朝にはほとんど死んでしまっている。
そいつをポイって捨てて、その日も再び出かけるのだった。


なあんであんなにへっちゃらでセミを殺し続けたんだろお?

セミを採る行為が楽しくて楽しくて、それによって、セミが死んでしまう事に何の感傷も抱かなかったのは今の自分からしてみれば不思議だが、かといって、ここでその幼き自分を責める気にもなれない。
あのときのセミ達には本当に申し訳ないのだが、なにもかもがきらめいていた幼き夏の記憶を自虐と後悔で消し去ることがセミ達への供養になるとも思えないし、精一杯、感謝の気持ちを捧げることで、いかんだろおか?

「いっぱい殺してしまった昭和30年代のセミさん、本当にありがとお!」

・・やっぱ、いかんわなあ〜〜




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