2004/4/16

たまには語るぞっ!  おいらのなかみ




最初にアメリカに来たのは23歳。
短期の語学留学にくっついて1ヶ月自由行動できるへんなツアーだった。
サンフランシスコのバークレー。
アメリカに足を下ろしたとき、単純に、ほんと、単純に感動した。
雑誌ポパイが見せてくれたアメリカを、おいらの足で踏んでいる。
それだけで、それを思うだけで、体が熱くなった。
一ヶ月は夢のように、過ぎた。

いつ頃からだろう。
次第にそういった気持ちは薄れ、英語をしゃべるのさえ(たいしてしゃべれるわけではないのだけれども)億劫になっていった。

特別なこと。
普通なこと。

おおよそ、生きていれば、普通のことばっか。
特別なことなど、そうそう、ない。
だから特別なことなのだけれど。

いろいろなことをして、時を経て、特別なことを特別なこととして終え、それは普通になった。
歳を重ねる、ということは、そおいうことなのだろう。
普通のことのなかに、特別だったことが、在る。
時を経るということは、それを知るということなのだろう。

いっぱいの感動が、想いが、普通の中に閉じ込められている。
普段は何も感じないけど、ふと、何かの拍子で、特別だった因子がはじけるときがある。と思う。

その証拠に、特別でも、初めて見たわけでも、なんでもないはずのこんな夕空に、今日は、特別にきれいだなあ、と。

いつか。
半分呆けてしまったおいらは、時としてその因子がはじけ、時空を遡り、あのとき、サンフランシスコの地を踏んだ熱き心の想いが過り、ふ、って顔をほころばせたりするのだろう。

かくも人生とは儚いものだ。
儚いからこそ、精一杯生きるのだけれど。
たくさんの普通を特別な想いでいっぱいにするために、精一杯生きるのだけれど。


よし、明日はたけのこを煮よう!
アメリカでたけのこを煮る特別な日!(感動か?それって、感動か?)


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