さて、いよいよ切羽詰まってきました(笑)。
いつものように、敬称略で書きなぐっていきます。
あ、それから、色々と個人的見解、解釈も入ってますので、そのあたりもご了承いただければ。
衝撃的な日本シリーズから年が明けて2003年。
まず、元日から、株式会社大阪近鉄バファローズが、株式会社大阪バファローズになります。
うん、今から思えば、このあたりから不穏でしたよね。
そうそう、近鉄グループの従業員で組織されていたバファローズの後援会が解散したのも、この前後だったと記憶しております(今度、当時勤めていた知人に確認しておきます)。
それから同月21日に、翌シーズンからの北海道移転を控えて日本ハムは、北海道出身で社会人・サンワード貿易から渡邊孝男(元西武)の入団が決定します。プロ自由契約→アマチュア経験を経て、プロ再入団となったのは、前年のJABAの規則改正後、これが初のケース。ま、それはさておき、なんですけど。
それから、2004年に向けて、新プレーオフ(のちのCS)制度についての骨子が固まっていってます。ええ、当時、かなり、風当たりがというか、もう、半ば笑いもの扱いでしたよね。
ついでに、GS神戸が、ネーミングライツで
ヤホーYahooBBスタジアムになりました。
この年は、福岡ダイエーホークスが優勝。
歴史的な「内弁慶シリーズ」も制して、日本一にもなります。
……信じられないだろ、翌年、身売りしちゃうんだぜ、この球団。
とはいっても、オフに、おそらく日本のプロ野球史上、最も不可解な無償トレード(いわゆる小久保事件)もあったのは、その予兆と取れなくも無いのですが。
ただ、それ以前に、当時のT球団社長(「君の登板する火曜日は、客入りが悪い(要旨)」という、いかにもブラック経営者な発言は有名)が、あまりにもアレだったというのも忘れてはいけないですね。
つーか、勝てば勝つほど、チームが主力が抜けて、崩壊していくという、ただただ笑えないですな。
さて、ここで書いておきたいのは、この年のドラフト会議。
ちょっと傾向に変化が出てきます。
日本一になった鷹は、自由枠で馬原を獲得……翌年、身売りするとは思えん(おい)。さらに2位で城所、4位明石、6位に後年、大吉華丸のネタとなった金子、7位三瀬、いや、まじで翌年(しつこい)。
西武は、とりあえず6巡目で岡本(篤)、7巡目で警備員(のちの
EEE佐藤)。
大阪バファローズは自由枠で香月兄、4巡目で坂、CLMは自由枠で内、4巡目で田中(雅)、5巡目で
飛翔、ハムは自由枠で
宇宙人、2巡目須永、4巡目押本、5巡目稲田、オリックスも自由枠で歌藤を指名、獲得しております。
自由枠では、「欲しい選手」の獲得に力を入れるのは当然としても、特に4巡目以降で、ごく一部を除く各球団、スカウトの力を入れる方向、発想が変わってきたのかも知れません。
後年、「1位=特攻枠、2位3位=即戦力枠、4位5位=希望枠(素材枠とも)、6位以下=色物枠(ネタ枠、お笑い枠、高学歴枠など様々な呼称あり)」とも表現される(って、表現しているのは、主に私だけですけど)パ・リーグの新人獲得方針の基本が、固まってきた時期なのかも知れません。
そして、いよいよ日本プロ野球史上、最激動の一年を迎えます。
(まだまだ続いてしまう・・・)

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