3月4日の夕方にNHK総合でやってた
「百万回の永訣 柳原和子・がんを生き抜く」ってーのをビデオに撮っておいて、やっと見ることができたんだけど、なんだかドーッと疲れたのと同時に、思わず大声あげて走り回りたくなっちまったよ。
この番組は卵巣ガンの患者で「ガン患者学」なんかの著書で知られているジャーナリストの柳原和子が、自身の再再発とその治療の過程を書いた同名の本と同時進行で作った番組らしく、去年の5月にハイビジョンでやったヤツの再放送だそーな。
ま、ハイビジョンもBSも無縁の
ビンボー人には10ヶ月遅れで見せれば十分という「皆様のNHK」の素晴らしい姿勢についてもそーだけど、本を書きながら番組も作らせちゃうとゆー彼女のプロ根性は、見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ。
で、
「不治の宣告から3年半・医師との対話 患者に希望を与える医療とは?」って宣伝文句についちゃー、医療ジャーナリストとしてあちこちの名医と知合いだから相談もできるし情報も集まるしといった
特別待遇ぶりや、東京から神戸に治療に通っちゃえる経済状態なんか、どこが患者への希望なんじゃー!とゆーツッコミは、無名のビンボー人のひがみと受け取られそーなんで置いとくけど、一年以上前に、ちょうどこの取材の途中経過みたいなのをNHK「生活ほっとモーニング」の
「がんサポートキャンペーン」でやってたのを見た時と、やっぱし同じものを感じちゃった。ちなみに最凶は「百万回」のほーは読んでないけど「ガン患者学」での問題意識には、けっこーいい印象を持ってたんですけどね。
でも番組を見る限り、この人、すんきゃー肩に力が入ってガン患者をやってんじゃね?。本人はフツーであることをやたら強調しているけど、なんか
再発ガン患者の理想像があって、ちょーマジメにそれを目指してるみたいに見える。そのためにも理想の医師、理想の治療法が必要で、それを必死に探してるみたいなんだよね。
最凶のまわりを見回してみると、再発していよーがいまいが、ガン患者が医師や治療法を探すのはごく当たり前のことだけど、症状がけっこうシビアでも、どこかで「ま、こんなもんか」ってな自分なりの見切りがうかがえるもんだ。仕事や家族がある人なんかは特にそうで、ガン治療に全人生を賭けてるって感じじゃないね。
ところがぎっちょん彼女の場合は、人生100%再発ガン患者をやってるみたい。そのせいかドクターショッピングも、なんか「
すがりつける理想の男探し遍歴」みたい見えてきちゃうんだよー。最近の若い連中が
「私のための絶対的なものがどこかにあるはず」って幻想に振り回されているのと重なっちゃうよーな、永遠の自己肯定っつーか。
んでもって、カン違いしている乳ガン患者だったら
ペッドでカーラー巻いちゃうんだけど、彼女の場合はもっと知性的なところで医者のウケを狙ってんじゃないのかって邪推がムクムク。テレビ取材もそれに利用してなーい?。だって医者がすげーカメラを意識してるんだもん。医者と患者が対等というよりも、
ねじくれた力関係が垣間見えちゃったのは最凶だけですかねー。
番組のところどころにはさまれる本の内容からのナレーションが、深く考えているよーに聞こえるだけに、彼女が医者の前で見せる言動のどこかに媚びを含んだよーな印象とのギャップが、すんきゃー俗っぽさを感じさせてくれちゃって、見ているのが辛いんすけどー。1時間半使った番組で、さていったい何がメッセージだったんでしょーか。
それから、ちょーど前の記事でNHKの番組がすーぐ生きものに人間の価値観を投影しちゃうって書いたけど、この番組にもそーゆー
悪しきデントーが受け継がれてるらしく、彼女のマンションの隣の
ケヤキが枝おろしされちゃったのを自分の死に結びつけたり、新芽が吹いて来たのを生へのガンボーに結びつけちゃったりしてて、一緒に番組を見てた元盆栽屋の跡取りは、「あのなー、植木屋は芽吹きをちゃんと計算して切ってんだよ。木を切ることが悪だとゆーよーな半可通の自然観が、里山の自然の荒廃につながっていて・・・」てな話をトートーとしはじめたんで口にセンベーつっこんで黙らせましたが、こーゆー安っぽい自然観に裏打ちされたよーな病気に対するスタンスがあちこちにあるもんだから、違和感ありまくり。
たとえば
「科学的論理的な秩序への期待をガンは裏切る」なんて本からのナレーションも入ってたけど、ガンだって、それによって死に至ることだって「科学的で論理的な自然の秩序」だと思うんだけどどーよ。文章が巧みなだけに、
自分の都合のいい時ばっかり「科学」とか「自然」とかってーコトバを振り回してる場面が多いと、「あーこの人、テクだけで世渡りしてんなー」って印象が強くなっちゃうぜ。うぷぷぷぷぷ。
最凶的には、彼女が
番組についてのエッセイで
「 闘病番組、お涙頂戴番組にしないこと。わたしという個人の患者の思索、行動を観察し、それを叩き台に多くの人たちに共通の医療番組に仕上げること。そのために愚かさも見せる。」なんて書いてたのとはウラハラに、
常にカメラを意識し続けて想定内で「愚かさ」を演じてるみたいに見えちゃう。
それと、べっつに彼女が病気についてどんなヘンなスタンスでいようが、すがりつける医者を求めようが、生き方としてはかまわないんですがね、それが普遍性を持っていて多くの患者に希望を与えるかってなるとギモンなんですけどー。ま、NHKが誇るハイビジョンを駆使した画像と、寺島しのぶが朗読する巧みなブンガク的表現に、思考停止しちゃってカンドーするヤツは多いだろーけどね。
実はこの放送の前の日に彼女の講演会があって、午前中に仕事が入っててクタクタだったのと、ちと遠いんでパスしちゃったんだけど、聞きにいったガン患者の友人も、やっぱ同じ違和感を感じたみたいな報告が来てたぞ。承諾済なんでメールを転載させてもらっちゃおう。
「柳原さんはやっぱり変な人でした。(治療経過については略)柳原さんは今まで、肩書きではなく自分にとって一番治療を熱心にしてくれる医師を探してついて行ったんだって。そして最後は研ぎ澄まされた自分の感性が自分を救うものであり、がんと知ってから恐怖心がいつも根底にあって、それが感性を研ぎ澄ますから自分の恐怖心に忠実になるようにと言っていました。
それから自分は医者にとって特別な存在で居たいんだって。それは患者なら誰しもそう思うのは当たり前なので、どんなバカな質問でもなんでもして、みんな特別な存在になりましょうとも言っていました。
でもそれって、たしかに機械的に処理されるのはいやだけど、これ以上「自分をわかって〜!」と医者に求めるのはますます医者を多忙にし、医療崩壊を招くことにならないかと思いました。 なんでも質問していいと言っても、自分のことなんだから病気に対して基礎知識くらい勉強して、医者となるべく共通できる部分を多くして、一緒に医療を選択していくべきなんじゃないの?。
結局、見苦しいくらい生にしがみついて、お金と名前と時間があるからあっちこっちと自分を見放さない自分好み(理論より一番自分にとって熱心で自分の言うことを受け止めてくれる人)の医者を求めて生きているようにしか見えませんでした。
自分の不勉強や恐怖心を開き直って、それを武器に生きているように感じられました。恐怖心を大切にして感性を磨けと言うけれど、感性ではなく感情で生きてんじゃないの?。
帰りの電車の中でガン友がポツリと「結局あの人って頭悪いわね。」って言っていました。」
おそらくあちこちから総スカン食いそーだけど、最凶的にだって「感性」が受け付けないからね。ま、「感性」なんてもんが
カンタンにコントロールされちゃうコトは、長年のゲージツ家稼業で経験済みですけどー。
<例によって赤い字は関連記事とリンクしてます>
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