旧パラを検証する152
第十三号 1

12銀、イ同玉、24桂、11玉、12金、同金、同桂成、同玉、45角、34桂、同角、同香、24桂、13玉、14金、22玉、A23金、21玉、B32角成、11玉、22馬迄21手
イ同金から33桂、22玉、11角、同金、23金迄
解答者総数 一五四四通
不正解者数 四九七通
A23角成、21玉、32桂成、11玉、22成桂迄21手のキズあり
B12桂成・12金でも詰むキズあり
正解者ではなく、不正解者数だけ発表というのは珍しい感じです。簡素図式でイの変化も洒落ていて、結構良いと思うのですが、AやBのキズは痛い。(特にAは今の基準だと余詰)
人間木村大いに語る 中京生
時 昭和二十六年四月十日
所 中京丸小壽き焼店広間
人 木村名人、板谷八段、片岡三段、その他中京各界名士十数名 末席を汚して筆者
四月八日の大垣の将棋大会に臨席された木村名人を帰京の途次名古屋に迎えて、名人の慰労激励を兼ね清談会が中京愛棋家名士によって催された。片岡一精三段の厚情で筆者も列席の機に恵まれ、苛烈な名人戦渦中に身を置く名人の人間「木村義雄」としての赤裸な芸談体験名人戦感想などを、つぶさに聴いたことは望外の幸であった。
午後二時背広姿で愛想の良い顔で会場に現れた名人。対局中の一組が驚いて対局中の一組が驚いて対局を中止する。
私は名人とは初対面であるがその印象は非常に親しみ易いものを感じる。丁度升田氏と一対一で週日の後に大阪の第三局を控えて居られるだけに、一同は名人の気持ちを乱すまいと、話題が名人戦に及ぶのを警戒しているのに、人間木村は大いに語るのであった。
『今度の試合も升田君の若さから溢れる様な圧力を痛感した。今年升田君は念願の挑戦権を獲得し大層張切っておる。今迄の名人戦の中で今回が一番人気があるようで、私も毎年同じ人と試合するより、変った人と力一杯戦い新しい将棋を残す事が楽しみでもあり、意義もあると思う。私が仮にこの一戦に敗退したらどうするか。私は絶対退かない。再びA級で戦い、挑戦権を握り、升田君からタイトルを奪還する決心である。将棋盤が私の生命であり、力の続く限り名人位を死守する。
打明話だが、名人位を辷るか辷らぬかは死活問題。主として経済的の面ですが、私の場合は名人位の維持は何物にも換え難い絶対的のものです。その為極度に節制を守りコンディションの保持に心掛けて居る。
名人戦途中諸方の大会に出席する事は極力遠慮しているのだが大垣は恩師関根先生が生前大変世話になられた所であるので亡き師の報恩の為に出席した』
師の恩を重んずることかくの如き名人木村。関根名人の徳の偉大さが偲ばれる。
『私は死力を盡して戦うが、私を負かす棋士が二人でも三人でもしゅつげんすれば私はその時こそは喜んで退陣する。然しまだまだと云う感がする。
升田、大山両君がとても強くなったが、自分で云うのもおかしいが私の六段当時は群がる相手を次々に倒したのにくらべ、両君が時々飛んだ相手にやられるのは淋しい。もっと充実して貰いたいものだ。
升田君は時間を費わない方が良い様だ。(この予感は第三局で的中−筆者)
酒や煙草を慎んでいるようだがそれを普通慎んでいない時より身体に無理があるようだ。
とまれ升田君は今年絶好のチャンスで大山君のある限り再びと云う機会は容易でない。世間で升田君の放言に兎角の評があるが今は触れない。白い壁ばかりでは目立たぬが其処に汚点が一つついた時その白さが目立つ−升田君にもそんな処がある』
恐ろしい自信の程を示す木村名人であった。
『板谷君は全く棋界のひろい物。八段になると私思わなかった大山君との金星は殊勲甲でA級残留は他力本願で誉めた事ではない』
板谷八段がニガ笑い。
『今年の方が手剛いからしっかり頑張って貰いたい。加藤博二、花村元司の両君がA級に入り中京にA級が三人になれば三都対抗戦も可能だ。加藤君は将棋は良いのにどうも勝運がなくて気の毒だ。
A級をABCにわけると、Aは升田大山、Bは丸田塚田坂口で残り者はCと考える。王将戦に塚田君が落ちたのは淋しい。A級五位迄で六位の塚田君が圏外であるのは残念である。坂口君はチェスから転向したのに今回の成績は実力を物語る。』
板谷八段を激励した名人は更に
『私が塚田君に破れ名人をとられ失意の時、今此処に居られる片岡一精さんから筆舌に盡せぬ激励鼓舞を与えて頂いた。そしてあらゆる意味の援助を本当に親身に与えて下さったのは片岡さん只一人である。私の一生の恩人として脳裡から消えない。私のカムバックは氏の涙の鞭であり私の大恩人であります』
木村と云えば将棋、将棋と云えば木村。鬼神の如き一世の名人木村義雄が、眼に涙を浮かべて語る謝恩の一語一語に一同粛然とする。其処に偉大な人間木村の巨大な像が浮彫されて来る。この人こそ、政治家実業家芸術家の何れの道を選ばれても必ずや相当の地位迄ゆける人だろう。我々は裸の人間木村義雄の眞の姿に触れ、今更乍ら一芸の達人の偉大さが分かった。
この会から数日後大阪に於て第三局に勝ち二対一とリードした名人であった。
(名鉄電車社員)
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木村名人の自信の程が窺われる。木村名人は初代の実力名人なので、名人だったものは、第一人者でなくなったら、引退すると思っていたことが、この当時からよく解ります。実際、大山八段に名人を奪取された時点でも、大山・升田以外なら木村名人の方が強かったような気がします。

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