旧パラを検証する144
第十二号 4
新版 失禮御免ヘタの横槍 前田三桂
将棋競技会といふものは、どんな機構の下に行はれて居るのか、俺はそんな会場を覗いた事もないから、皆目様子は判らない。従って之に抗議する資格は勿論ないが、盲目蛇に怖ぢずとやら、そこは心臓の強い横槍親爺だから、局外者の意見として以下二三の実例を挙げて提議するのである。他山の石として参考に資してもらえば幸である。
前に板谷八段の餞別角落将棋を失敬したのが機縁となり、本誌九月号に其のアマ選手の棋譜が登載されて居るのに気付き、袖振り合うも多生の縁で、どんな将棋か一遍見せて頂こうと、ムラムラと起る好奇心から早速駒を並べて見た。高段将棋に横槍を振り廻すよりもズット面白くおかしく又くすぐったく、甚だ興味深く感じたのでさらさらと筆を走らせて、御頭の心許ない海鼠のように奇怪な駄文を書いてしまった。
棋譜は同号にあるから茲には省略するが、最後の局面が左掲の如くなっている。
先手が二七飛と打った所

此時後手某四段は二七飛の王手には全く弱ったらしく蛇の魅せられた蛙のように消気てしまい、今は反抗する気力も失せて、無益の抵抗をなし恥を晒さんよりは、潔く自決するに如かずと、涙を呑み駒を投じて敗退したものである。
此場合何故後手が敗を自認したかを想像して見るに、徒に二六に合駒を打って見た所で三七桂と飛むて王手をせられると一四玉と逃げても一五歩と突かるれば夫れ迄であるを速断したものであろう。だが此自決はチト早まって居る。俺は後手の諦めのよいのに少なからず驚いたのである。そこで俺が審判といふ事柄に対し議論を吹き掛け注意を促がす段取りとなるのである。
さて将棋が終局した時、対局者の双方が、「勝負が付きました」と申し出た際、審判員が、「ハアソウですか」と受理して、アッサリ片付けて了ったものならば、それは余りに無責任である。此将棋を終局の図面上から観察すれば、まだ進行の途中であつて、勝負の決したといふ時期には達して居ない。従って勝とも負けとも確定づけるべき時ではない、されば審判員たる者は其職責上偏せず党せず競技の神聖を保持する為に「もう少し指し進めて下さい」と一応は却下すべきものであろうと思ふ。
既に対局者自身が敗を自認して居るのであるから其申出の通り後手の「負」と認めて差支えはない。他から兎や角と容喙さるべき理由はないと主張するかも知れぬ。
競技に出る人達が七段八段の権威者ばかりならコンナほほえましい問題は起らないであろうが、アマ選手の競技に参加する人達には初段以下二三十級位のヒヨコ達も沢山御出席になる斯様な幼稚の方々は、実はまだ将棋を正当に御理解されて居ない関係上往々間違った事を平気で犯して居られる。審判員は厳密に調べ勝敗を正しく審判せねばならぬ。是は審判員としては甚だ面倒であり、且つ骨の折れる仕事でもあるから、俺は次の様な方法を取りたいと考える。
将棋が終局した時、其終局面を正しく図録し且つ全棋譜を書添へ双方連署し姓名の上に段位並に勝敗を付けて、審判を求めるようにしたい。而して成るだけ誤解を避ける為に玉を詰める最後の詰まで指せるようにするのが良いと思ふ。俺は今相撲の例を引いて参考にしたいのだが是も一知半解で間違って居るのかも知れぬ。力士が土俵の上で胴体共倒れになつた場合、行司は自己の見る所に従って、甲力士に軍配を指したとする。乙力士は逃げるように急ぎ足で退却せんとする瞬間、四本柱を背にして始終の様子を観ていた検査役が、突如起ち上がって、甲力士が先に手をついたと主張して「物言い」を付け、更に乙力士を招いて土俵の上に蹲踞させ交渉の結果を持たせる事が屡々ある。而して「此物言い」が非常に長時間に亘り見物人を倦怠せしむる事もある。交渉が解決して行司の認めた「勝」を翻して乙力士に改めて勝名乗を与へしむる光景を俺は目撃した事がある。検査役は所謂審判者である。審判の役目は斯うした責任がなければならぬと思ふ。
扨て大分議論に手間取ったが、最初の図面に逆戻りして俺は静に此局面を凝視し一一手駒の性能と照し合せて二六に合をする駒の適否を考えて見た。有るぞ、有るぞ、此場面に処する絶好の合駒銀将がある。是れだ是れだ、運命の女神は未だ後手方を見放しては居らぬ。(此点編輯子モ二六銀合デ果シテ詰アリヤト疑問符ヲ付シテ居ルノハ敬服ダ)二六銀合、三七桂、一四玉、一五歩、同銀、此所で一五香と走っては同玉、二五飛、一六玉で詰がない。詰がないとすれば、今度は先手方が慌て出す番である。禍福は糾える縄の如く人間万事塞翁が馬だ。先手に即詰の手がなければ一手透きを掛けねばならぬ。其の一手の間隙に乗じて後手が跳ね返へして豊富な手駒を利用して先手の玉に即詰の手段を講ずれば、或は後手勝となるかも知れぬ。
コレヒドール島から我軍の重囲を脱出したマッカーサーが却って最後の赫々たる勝利を得た実例は我等の終生忘るる事の出来ない苦い体験ではなかったか。
木村名人でさへ将棋は終局まで投げるべきものでない事を唱導して居る。
此将棋でも二七飛と打たれて平太張つて仕舞了って敗けと烙印を押しては棋譜が泣く、もつと頑張って、油で煮た鳥餅のように粘って粘って粘りぬいてやるのだ。今是れが最新流行型である。戦後派とやら「暴れ芸流派」とやらの慣用手段じゃないか。将棋は投げてはいけない。短気は損気だ。得心行のくまで駒を働かせて指し続けるがよい。そこで俺が詰将棋的に玉を詰める最後まで指せといふのである。
何故勝とも負けとも未確定の中途半端の所で気前よく将棋を投げ出す風が近頃流行するのであろうか是には何かの原因何かの理由が伏在してゐるのではないかと想ふ。

昭和二十四年五月十四日塚田対木村の第八期名人戦第五局目の決戦が皇居済寧館で行われた。其時の最終盤面が上掲の図で、九十三手目に木村前名人が二四歩と突いた所である。
此時塚田名人は悲壮な面持で「これ迄です」と投了した。別室に控えて居た観戦者は塚田名人の散りぎわの潔よく、立派な態度に感服し、讃美し、激賞したのである。此将棋を一般の人達には何故塚田名人が投了したのか、其意味がハツキリしない。当時此将棋をどう指せば勝になるのかといふ声が各所に聞かれた。此終局面を天皇陛下と皇太子殿下がお指し継ぎになつて、負けた塚田名人側になられた陛下の勝となりお笑ひになつた挿話も伝へられて居る。其後或雑誌に初心講座を受持った其大家が、将棋の終局に際し玉頭に金を打たれて詰むまで指すのは見苦しい、少し余韻を残して投了するのがよいと教へられたのを見た事もあつた。こういふ事が浸潤して、中途半端の投げを助長し、西施の顰みに倣うのではあるまいか、名人将棋の輸贏は天下鬼神の闘争だ、ヒヨッコ達の勝負は下界の子供の戯れである。ヒヨッコ達が名人の真似をするのは恰も猫と犬の喧嘩で「ニャワンニャワン」名人は名人。牛は牛連れ、生兵法は大怪我の元だ各自が得心の行く所まで指すのが一番よいわい。

今一つ例を挙げよう。将棋時代誌八月号に竜攘虎搏の一戦と題して上掲の図の如き実に面白い将棋が載せて有った。対局者は双方共に初段同士である。此時後手番で五五角と玉の退路を作った所から以下先手の猛追激となり、五二龍 七三玉 六五桂 六四玉 六三龍 同玉 五三と 七二玉 七三金 同角 同桂成 同玉 六五桂 八三玉 七二角 九三玉 八三金 同角 同角成 同玉 と息つく隙も与えず、懸軍長駆鬨を作って追っ駆け追い詰め、今は既に袋の鼠、いかにもがくともあがくとも、遁れ出づべきようもなし。敵玉の運命は且夕に尽きなんとする折しもあれ、ああらいぶかしや、斯はそも夢かまぼろしか、休戦の喇叭はりゆうりようとして営中に鳴り渡り敗を伝ふる伝騎の使者、櫛の歯を引くが如くに馳せちがう晴天の霹靂にも似たる我軍降服の司令に、万人色を失ひ魂を消してあな傷ましや悲しやな我が王物に狂い給ひしか勝と叫びし勝鬨の、声は未だ巷に消えもやらざるに、掌を反へす忌はしの敗報、誰かこれを真なりと信じ得べきや、鼻つ柱に玉なす油汗かいて数時に宜る奮闘激戦も、無散や何の甲斐もなく総て水の泡となりしか、あな口惜しや無念やな、盤上の駒若し命あらば血涙を絞って皆泣いたであろう。
後掲の終盤の局面が、即ち先手が刀折れ矢尽き敵玉を降す力及ばず血涙を呑んで敗戦を覚悟し、自ら面縛して敵の軍門に降参した図である。

観戦の参謀総長清野六段は毎期連戦連勝で七段の塁を摩する俊傑の棋士である。何じよう此所に詰ある事を逸すべき、其講評に曰、尚最終図以下も詰がありますが、(註此以外ニモ詰ガアルカラデス)皆さん考へて下さい。初級詰です先手は何か勘違ひして此の最終図で投了されました。某氏程の棋力の有る方が、どう迷はれたのか不思議です。妙手は一手です盲点なのでしょうか。詰は大事です。皆さんが詰がウマクなりますと、将棋は一枚も二枚も強くなり速に進歩します。専門家でも終盤の強い人が勝率がいい。三段以下弱い人ほど其の差が加速度的になるのです。某氏の感想は次の如くでした。
「終盤八三金でも詰と速断したのは汗顔でした。」
と実に懇切丁寧を極めた講評だった。が詰の手順を殊更明記してゐないのは読者に考えさすべき慈悲心である。
俺は低級ヒヨコの方々に迄判るように詳解を掲げて置くのも、是れも慈悲心から出た真心である。
此場合最初に誰の目に着くのも七三飛打か或は六三飛打です。然し此の飛打はどちらも即詰になりません。此所はビックリするような妙手が一手ひそんでゐるのです。それは七三桂の成捨です同玉六三飛と打ます。前に六五桂が存在して七三に足場を作って居る大切な駒がある時でさへも六三飛打つも即詰が無いといふ頭があるのに此大切な駒を捨てて後に六三飛打つといふような矛盾した考へがどうして浮ぶものですか、こういふ所を上手の方々でも先入手に引きづられて誤って見過ごして了ふのです。以下は容易です七二玉なら六二と八一玉八三飛成です、八二玉なら八四香打で合利かず、九二玉と避けても六二飛成で駄目です。
八四玉なら八五銀同玉八六香打七五玉六五飛成る詰です。
たつた是れ丈けの事です。
出んて某氏は只これだけが判からず八三金打は大変な誤想をしてゐたと大に汗顔されたが此八三金打はダイヤモンドほど光輝凛然立派な手であつて、実は七三桂成の絶妙なる一手が見えなかった計りに躓かれ、折角の好局を投了されたのは、惜しみても余りありです。
高段の先生方でも大切な駒を只成捨てる妙手には往々気が着かず、急転直下好局を台無しにされるのも、こんな場合です。
「フフンそんな事ぐらいが高段先生に判らないテ、馬鹿いふもイイ加減にしておけ。」と嘲笑されるかも知れぬが、俺は大きな頭陀袋にイロンな手品の種を詰こんでおるから今一つ取り出して、お目にぶら下げよう。
チト種は古いが、目下喧しく評判の高い升田大山の将棋だから面白かろうと思って、鳥渡引合に出して見よう。

昭和十四年七月十六日当時六段升田幸三、二段大山康晴の角落将棋に出来た局面だが、此時升田六段が七六飛と「王手」と威勢鋭く突進して来た。大山二段は静に六七玉と寄った、升田六段は次に五六金打の詰を含んで四五金と出た。此一手の間隙に乗じ大山二段は待てば海路の日和も有りと二一銀 同玉 三二金 同玉 三三歩 二一玉 三二銀 一二玉 二三銀成 同銀 同飛成 同玉 三二銀 二四玉 二五歩 同玉 二六歩 二四玉 二三金 三五玉 二七桂まで、大山二段に凱歌が揚ったのである。諸君!以上の指方に間然する所はないでせうか。イヤイヤ大に有りです。升田六段が七六飛と出て大山二段が六七玉と寄った時に升田六段には六七飛成捨ての好手があつたのです。升田六段ほどの鋭い眼の豪傑でも此際此手に気が着かなかつたのです。七七同玉と取るの一手七六金打八八玉八七歩成七九玉七八との詰で升田六段の勝であつた将棋だつたものですよ。
まだまだ書きたき事は山ほど有之候へ共〆切切迫迫り候まま惜しき所にて筆止め申上候あらあらかしく、アツハツハ
失礼御免
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プロの将棋の詰み抜けを指摘するはずのコーナーなのに、アマチェアの将棋の終盤のミスを論うのはどうかと思う。そして当事者が投了の意を示して居るのに、審判が詰みまで指せというべきだと書いているのはあり得ない。前田氏は大会に参加したことが無いとしか思えない。最初の図で27飛には前田氏の指摘とおり26銀合で難解(COMによると以下37桂、14玉、15歩、同銀、42金(26飛だと54金以下トン死)で先手勝ち筋とのこと)だが、後手が投了したのなら投了優先しかない。もしそうでないなら、投了した将棋で実は勝があった場合にその指摘をすれば勝敗がひっくり返ることもあり得る。前田氏は将棋大会についての常識が無いと思う。
次の木村・塚田戦はこの奇麗な投了図で塚田名人が投了して木村名人復位になったから、この投了図が何度も取り上げられることになった。この後指し続ける場合、24同歩、同飛、23歩、34飛、37金、同飛で34桂が防げないので、プロ的には大差の内容です。観戦記で投了図以降の指し手を解説すれば良いのであって、プロが大差の将棋を見苦しく詰むまで指すのはどうかと思います。
3局目は初段のアマの将棋(当時の初段なら今の4段位は指すでしょう)を詰みを逃していると、批難していますが、この73桂成の手は見えなければ投了も止む無しだと思います。それをアマ初段が見落としただけで、パラで晒し者にして良いのでしょうか?面白い詰みがあるので紹介するのは良いと思いますが、この書き方は無いと思う。
そして4局目でもの凄く昔の将棋で升田先生が詰みを逃しているのを貶しています。この順は投了後に大山2段が当時既に指摘していた手順で、目新しい話では無い。それを自分の手柄の様に書くというのは、やってはいけないことではないでしょうか?
前田氏の文書は今見ると、嫌味な文書にしか私には見えません。旧パラの紹介をする為に載せているのですが、転記するのは結構辛い作業です。

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