旧パラを検証する135
第十一号 4
つれづれ草(今の読者サロン)の続き
塚田前名人が双生児を生んだ話・春山行雄・・・近代将棋昭和26年1月号「塚田前名人特別出題懸賞詰将棋」とその2年位前に週刊朝日に出題された塚田名人作が配置が酷似していて手順も2手加えただけという指摘。
立派な詰将棋・吉岡正憲・・・誌上で不詰と書かれていた作品に詰みがあるという指摘。
偽筆を誉める塚田さん・草柳俊一郎・・・大井美好氏の百人一局集93番の作品の原図を、塚田前名人が近代将棋で4pに渡って紹介し、激賞していた記事について、不完全作を検討もせずに誉めるのはお粗末であるという指摘をしたもの。前回にも書きましたが、塚田前名人がアマの作品を紹介して誉めたのは良いことだし、検討はしないのが普通だと思います。問題は未発表の作品を誌上で紹介したことで、経緯は不明ですが大井氏の作品が2重発表のような形に結果的になってしまったことになります。
大山 南口 野天大手合・棋明庵(大阪府)・・・大山九段と南口八段の野外席上対局の紹介(双方持時間一時間)矢倉の将棋で序盤で南口八段が不利になり大差で90余手で大山勝。消費時間も二人合わせて1時間位だったというもの。
複式詰将棋について・古関三雄
最近詰将棋の行詰りをとやかくいふ人が多くなつた。私は容易に行詰るとは考へては居ないが、新しい詰手筋を発掘するのは全く困難になって来ている。詰将棋の一つの発展として私は棋誌が普通の詰将棋の他に複式詰将棋を設けることを希望する。複式詰将棋といふと難しく聞こえるがこれは玉の二つある詰将棋のことである。玉の一つある普通の詰将棋を単式詰将棋と仮に命名すれば相対的に二つの玉の詰将棋を複式詰将棋といへよう。複式詰将棋の特徴は玉方の応手が逆王手になることによって攻方の攻め手を局限し、あわよくば逆王手に応じている間に詰を抜けようといふのでこれに依り詰将棋は非常に変化に富んで来るであらう。逆王手が多ければ多い程傑作といへるであろう。私は実戦に於ては単式詰将棋よりも複式詰将棋の方が役立つと思ふ。王手王手と玉を追って来て龍が引いた合駒して頭金の詰と思った瞬間、その合駒が逆王手になつて形勢一変といふことは誰もが一度は経験したというところであろう。これは相手の玉にばかり気にとられた独善的読みに依るもので、此の点複式詰将棋は大道棋として使用すれば価値がある。
逆王手を分類すると
(一)打つて逆王手
(二)開き王手
(三)盤駒の移動王手
に大別される。
(一)の場合は必ず遠王手に対する合駒に限られている。
(二)は(イ図)に於いて二三歩成二一玉がそれである。

(三)は桂馬が良く使はれるし妙味も多い。

(ロ)図に於て七五桂七二銀の手をせず功を焦って九三香成などとやると同桂で逆王手になつてしまふ。此の場合九筋に香があるのでなければ九三香成の手は無い。

(ハ)図は複式詰将棋として良く出来たと思ふ。逆王手の手筋が変化にもあつて大道棋にしたら天狗連の鼻を明かすことが出来るだろう。
(ハ)図詰手順
73角、82桂、84玉、95銀、同香、同飛、83桂、同角、82角成、同玉、83銀成、71玉、53角、62角、
73香、61玉、A72成銀、51玉、43桂、同歩、42銀(二十一手)
一寸見ると八三玉で簡単と思はれるが九五飛の妙手ありてオジャン。単に八四玉や九三香打は八二玉と逃げられる。七三角に対し桂合は此の一手で他の合は九三香の早詰。玉を右に追って五三角と打ったとき六二角と又も逆王手の時そのまた逆王手の七三香合このあたりが複式詰将棋の面白いところで詰将棋マニヤの諸君に一層の傑作を期待する。そして複式詰将棋欄設置の世論を高めてもらひたいものである。
☆古関氏提唱の複式詰将棋は非常に面白い。北海道の小原信治氏にも傑作ありとか。皆さんの妙作をどしどし寄せて下さい。
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この詰将棋(ハ図)以降、双玉詰将棋が世の中に認識されるようになったという点で、まさにエポックメイキング的作品。古関氏はこの作品で、双玉の創始者として詰将棋史に記録されることになったのでした。
作品としても逆王手がふんだんに入り1号局とは思えない完成度です。ただ、解説は若干変で、初手84玉に対して82玉では91角、72玉、73角成、61玉、53桂、71玉、72香、81玉、91香成迄で詰みます。正しくは、95銀、同香、同飛、83桂、同角、73角、82歩、同角、同玉、83銀成、71玉、53角、62角、73香、61玉、72成銀、51玉で持駒に桂が無いので詰みません。際どい紛れなので、詰パラ昭和26年6月号(13号)に御愛嬌ルーム特別室として初手84玉、95銀、同香、同飛、73角(若しくは83桂)以下詰みますと横浜のSK氏が指摘し、鶴田主幹もSK氏のお説の通りです。と不完全だと認めていますが、合駒を歩合にすれば、逃れています。横浜のSK氏は当時不完全を多数指摘していた草柳俊一郎氏でしょうか?
問題は、Aで72銀、51玉、43桂、同歩、61銀成、同玉、72成銀、51玉、62成銀、41玉、31歩成迄27手駒余りの余詰があることです。今までこの不完全の指摘は無かったと思います。何とか修正していただきたいものです。
ところで、(ハ)図が双玉の1号局とされてきましたが、(ロ)図も75桂、同香、72銀、92玉、81銀生、同玉、73桂迄7手詰で、詰将棋として成立していますし、(ハ)図は不完全ですので、(ロ)図を1号局とすべきかもしれません。
ところで、後に加藤玄夫氏が、実戦大道棋で双玉作品をこれより前に出題していて、自分が元祖だということを仰っておられます。実戦通報でも双玉の加藤氏の作品が通報されていますので、元祖は加藤氏で、定義付けたのは古関氏というのが正しい認識でしょうか?

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