旧パラを検証する134
第十一号 3
本誌々代について
最近の印刷諸費昂騰に関して本誌が74頁三〇円を維持することが困難となったので之が打開策について愛読者各位の御意見を求めました処多数の方々から熱誠溢れる御指示を頂き主幹以下一同感激の外はありません。御意見を寄せられました大多数の方は8頁増の四十円案を支持されました。中には現状の儘十円値上げせよとの方や値段は云わぬから百頁位にせよ等の積極的な方もありました。
然し結局御覧の通りの八頁減の定価据置に決定しました。これに決定いたすについては百方熟慮の下の事でありまして裏面の事情は発表を差控えますが、兎に角「定価の据置」を最重点に考えたわけでありまして諸般の苦衷を御諒察の上かわらざる御支援をお願いいたします。
尚この際おことわりしておきますが今回発表の如き作品賞に廻す資金があれば減頁の必要はないのではないかとの御懸念が起るのではないかと云う事です。御尤もの事ですが、本賞金と減頁との間には何等の関連もありませんことを断言します。全然別個のものとお考え下さって誤りはありません。誤解を避くる為一言附言します。
× × ×
減頁は身を切ることです。つらい話です。然し定価引上げが廃刊を来すかも知れぬ危険な事である以上泣いて頁を切りました。然しこの減頁をいつ迄もこのままにしておく程我々の情熱は淡いものではありません。我々の烈々たる熱と愛読者各位の御協力によつて必ずや近き将来旧に復するの日を信じて疑いません。
大方諸賢の御同情に訴えてこのピンチを切り抜けたいと存じ真実の苦衷をさらけ出して御了承をお願いいたす次第であります。
-----------------------------------------------------------------------------------
実は10号は1月号で11号は3月号なので、2月号は休刊だった訳です。これは、鶴田主幹の多忙が主な原因だったようです。そして、戦後の高度インフレにより、誌代を上げざるを得ない状況に追い込まれていて、先行き不安なものを感じさせます。結局11号(3月号)は30円で66p、12号(5月号)は40円で66pという形に落ち着きました。
-----------------------------------------------------------------------------------
つれづれ草(今の読者サロン)・・・
1、謹賀新年として山川次彦七段より@自作の誤植指摘A前田三桂氏のヘタのヨコ槍について、実戦と局後の検討では違うことに言及あり。@の誤植指摘は旧パラの編集部のミスですが、山川七段の誠実さは伝わります。Aについては、その通りですが、プロなら詰みのある局面では詰ますべきだし、持時間が結構あるのに詰みを逃すことはよくあるとは思いますが、開き直るのは違うと思う。
2、塚田前名人と京須四段作、木見八段と金田秀信氏の同一作指摘。(どちらも後記の方が先行作)昔は平気でプロは下請けに出した作品の2次利用や他人作の盗作が横行していました。
3、滞浜二十五時間 編集主幹
十一月二十日から十二月二十三日迄三十五日間の東京での学校生活−その間日将連はじめ棋友各位を歴訪するつもりで張り切って上京したのが、何とまあ、世田谷の三軒茶屋に越智君を訪ねたのと、横浜の西根岸に草柳さんを奇襲したのみに終わったのは、かえす返すも残念であった。他の方々に御無礼した理由は一に時間の余裕に恵まれなかった為で失礼の段誌上から深くお詫び申上げます。
十二月某日の夕まぐれ西根岸の草柳邸の玄関に突如姿を現わした筆者でした。
草柳大人はドテラ姿で来客と応接間で詰将棋の検討に夢中だった。来客とは余人ならず、横浜の残間喜一君で、同君の新作を草柳先生がコテンコテンに余詰を突いて残間氏頭カクカクの場面であった。
勿論わたくしは御両所とは生れてはじめて対面乍ら、其処はそれ『詰将棋大明神』の功徳にて忽ち百年の如く、挨拶もそこそこ話題は直に詰将棋の楽園に入る。丁度近代将棋将棋世界の新年号が机上にあり御両所の深刻な批評がはじまる。少し録音して見ましょうか。筆者は聴き役。
A『宮田画伯の表紙を無理しているが一体表紙に金をかけてどうするんだい。官報みたいな編集は砂を噛む如し。買わなきゃ不便だが買っても積ん読−』
B『近将の表紙は概ねよろしい。但し野党色は極めて希薄となって来た。』
A『パラの進出を気にしているのが眼に見えるようだ。』
B『それにしても大井美好君の詰将棋を絶賛した塚田先生の一文は傑作だね』
A『全くだよ。百人一局集の大井君の作品の原図だが余詰だらけの図でネ。塚田先生ロクロク検討もしないで褒めているが一体引っ込みをどうしてつけるつもりかナ』
B『百人一局の大井君の作品はあれに修正を加えて完全局となっている。』
A『そうそう表紙裏の特別懸賞問題もひどいぞ。前作のヤキ直しだ。これを表紙に買い付けると良い心臓だナ』
B『大体塚田さんは少し濫作気味で疲れている。下請工場に良い職人が不足して来たかナ』
A『おいおい失礼なことを云うちゃいかんよ』
B『主幹。何か新企画でも、、、。』
主『勿論考えています。二月号でアツと云わしますよ』
AB『それは耳寄り。是非聞かして貰いたい』
主「云わぬが花。暫らく御辛抱下さい。」
A『それは罪な−』
主『それよりパラの酷評を−』
B『文句なし』
主『それは御世辞すぎます』
B『否々。満点なり。不完全作を発表する事を苦にする必要はなし。但し発表の際丁寧に解説すること。実行しているからよろし』
A『僕がね近将の評を事細かに書いて送ったのさ。そしたら何かメモみたいなものを二冊送って来たのさ。人を小馬鹿にしてるよ。それから見る気もせんがネ』
B『然しもともと近将はパラと同時誕生したものだから野党誌として両者共存共栄主義でやつて貰いたい』
A『評論は最近悪アガキをしているように見られる。危ないゾ』
録音中止
令夫人が酒肴を運んで来られる将棋の方は分らないが酒の方は断然私がリード。酒興湧き棋談閑談尽くる所なく冬の夜は更けて最早終電車もなし。
残間氏は歩いて帰宅。小生は一泊。時午前二時。
翌朝九時起床。大人と二人で又々酒が始まり棋談がはじまる。遂に延々夕刻に至るも未だ尽きず。
かくて夕景厚く感謝の辞を述べて草柳邸を辞去したのであるが、同邸会談に於て練られた秘策妙策は続々そして本誌上に具体化され諸賢の御清鑑に供されることをお約束し滞浜二十五時間の記を終る。
-----------------------------------------------------------------------------------
塚田先生が大井氏の作品を褒めたことを貶していますが、作品鑑賞するのに余詰検討する人はそんなに居ないと思う。むしろアマチェアの作品を絶賛したのは讃えられるべきことだと思う。そして百人一局集の作品は完全だと言い切ってしまいましたが、簡単な早詰では恥ずかしいと思う。主幹が「二月号でアツと云わしますよ」というのは看寿賞の制定のことだと思われますが、2月号が休刊で3月号での発表になってしまいました。後の主幹の回想では、横浜に行く前に草柳氏から詰将棋の賞の制定の為に賞金の提供の申し出があったことを受けての話でもあるのですが、この記事では編集されているのか、残間氏が居ない時に詳細が決まったのか不明です。ただ、前回記載した看寿賞制定の記事の中で、草柳氏の資金提供について書かれていないのは、手柄を取ったみたいで良くなかったと思います。

1